五八話 新たなる妹
塀の外にまで響く子供たちの声。
これが一昔前なら子供の声がうるさいとクレームが入ったかも知れないが、昨今では子供に寛容な風潮が広がっているので問題は無い。少子化の功罪である。
かく言う俺も子供には甘い。
しかも、それが孤児院の子供たちとなると輪をかけて甘くなってしまうのだ。
「あっ! ビャク兄ちゃんだーっ!」
「うむ、久し振りだな」
俺が孤児院に顔を見せた直後、遊んでいた子供たちが一斉に駆け寄ってきた。
ひしっと俺の足に抱き着いたかと思えば、後ろから走ってくる子供たちはその背中に抱き着いていく。それはまるでラグビーのスクラムのようだった。
後ろの方の子供たちは俺に接触していないのだが、本人たちは楽しそうなので気にするのは野暮と言うものだろう。何よりも大事なのは気持ちなのだ。
「よしよし。ほら、お土産だぞ」
お土産のぬれ煎餅を渡した途端、子供たちの多くは一斉にわーっと散らばった。
物目当てだったようで少し寂しさを覚えるが、それでも年少組の子供たちは足元に残っている。お土産よりも甘える事を優先するとは見どころがある子供たちだ。
「ビャクにぃ、たかいたかいしてーっ!」
「ああ、構わんぞ。順番にやってやろう」
これが中学生くらいになるとカリンのように子供扱いを嫌がるようになるのだが、まだ五歳に満たないくらいの子供たちは素直なものだ。
この純粋な期待に応え、子供たちの兄として全力で甘やかしてやるとしよう。
「――よし、これで終わりだな。ところで、先生は部屋に居るのか?」
「いるよー。あのね、新しいお姉ちゃんが来てね、一緒にお話してるんだよー」
存分に甘やかしてから院長先生の所在を尋ねると、思わぬ応えが返ってきた。
孤児院に子供に入ってくる事は珍しくないが……四歳のこの子が『お姉ちゃん』と呼んでいるという事は、おそらくは小学生以上という事になる。
この孤児院は乳児の段階で入ってくる子供が大半なので、もしかすると複雑な家庭の事情を持っている子なのかも知れない。
「そうか、新しい子か……。せっかくだから俺も挨拶しておくとしよう」
どんな事情があったにせよ、俺にとっては新しい家族の一人だ。
困った時に頼ってもらえるように仲良くなっておくのは当然の事だろう。
賑やかな子供たちと別れ、俺は院長室へと足を向ける。院長先生は数少ない尊敬する人物なので、自然と足取りも軽くなっていた。
「――千道です。ご挨拶に伺いました」
「あら、ビャク君? どうぞお入りなさいな」
温かい声に招かれて扉を開けると、先生の穏やかな笑顔が出迎えてくれた。
院長先生。この孤児院を運営する人物であり、綺麗な心を持っている老婦人だ。
俺は人の心が見えてしまうせいで子供時代は人間不信に陥っていたが、この院長先生が居てくれたおかげで自分を保つことが出来たのだ。純粋に尊敬しているし育ててもらった恩もあるので、俺の態度が丁重になっているのは当然の事だった。
「ご無沙汰しています。先生の声を長く聞いていないと手が震え出しますからね、居ても立っても居られずに来てしまいました」
「ビャク君、アルコールは控えないと駄目よ?」
おっと、アル中扱いされてしまった。チャイクルさんもそうだが、聖人的な心を持つ人物には冗談が通じないのが玉に瑕なのだ。
しかし、本気で心配してくれている先生に口答えは許されない。
ここは素直に「はい、控えます」と答えるのみだ。旅行中は酒量が増えていたという事実も否定できないところなのだ。
「ちょうど良かったわ。新しい子が来たからビャク君にも紹介しましょう」
そういえば新しい妹が加わったという話だった。先生の笑顔しか視界に入っていなかったが、よく見ると院長室にはもう一人存在している。
妹の存在に気付かなかったとは、兄として大きな失態だった。反省だ。
「この子は綿貫ミスミちゃん。――ミスミちゃん、このビャク君はここの卒業生でよく遊びに来てくれるのよ」
先生の声に導かれるように新しい妹に視線を向け、思わず二度見した。
孤児院の新しい職員? と誤認してしまうほどに大きな妹。特にバストなどは反射的に『ははーっ』と平伏してしまうほどに大きい。
よく見ると顔は若いので十代半ば、ルカと同年代くらいなのかも知れないが、孤児院に新しく入るにしては年嵩だと言わざるを得ないだろう。
「はえーっ、イケメンのおじさんですねぇ……」
ほわほわしながら感嘆の声を上げる少女。褒められているようでおじさん扱いもされているので、差し引きはゼロと言ったところだろうか。
少女の外見的には自活していてもおかしくない印象を受けるが、気の抜けた口調からすると内面はまだまだ発展途上のようだ。
「こらこら、俺はまだ二十歳だからおじさんではないぞ。ミスミは十五歳くらいか? その若さで見事な巨乳だな」
おじさん扱いされた事を否定しつつ、イケメンと褒められたのでマナーとして褒め返しておいた。俺は子供相手にも礼儀を忘れない男なのだ。
「あーっ、それセクハラですよー!」
おっと、まさかのセクハラ扱いだ。
しかしミスミは糾弾しながらも笑みを浮かべているので、この様相からすると冗談でセクハラ扱いしているだけのようだ。
第三者に聞かれると誤解されかねない、冤罪を生みかねない危険な所業ではあるが、まだ初対面という事で今回は見逃しておこう。
「ミスミ、この孤児院に来たからにはお前は俺の家族だ。どんな小さな事でもいい、困った事があったらなんでも俺に相談しろ」
相手が幼女であろうと十代の少女であろうと俺の対応は変わらない。
年齢的にはすぐに孤児院を出る事になるかも知れないが、それでも孤児院の子供が家族の一員である事には変わりがないのだ。
「すごいですーっ、ビャクさんは言うこともカッコいいですね~」
煽られているような気がしないでもないが、ミスミからは負の感情が見えないので本心で言っているようだ。間の抜けた口調が誤解を招きやすいのかも知れない。
少なくとも裏表のない人間のようなので悪くない、と考えていると――ニコニコと見守っていた先生が口を開く。
「ビャク君、よかったらミスミちゃんの案内をお願いしてもいいかしら?」
俺たちが打ち解けたという事で、施設案内を任せられると判断したようだ。もちろん俺が先生の要請を断るはずもなく、二つ返事で「お任せください」と承諾だ。
そして院長室を退室した直後、ミスミが興味津々な様子で質問を飛ばした。
「ビャクさんはよくここに来るって話でしたけど、ニートの方なんですか?」
こいつ、なんて失礼な奴なんだ……。
しかし信じ難いことにミスミに悪意は欠片も見えない。失礼極まりない質問ではあるが、ミスミは純粋な好奇心だけで聞いているようだ。
この無遠慮で世間知らずな雰囲気はルカを彷彿とさせるが……もしかするとミスミも閉じられた環境で育った娘なのかも知れない。
ならば、俺のやるべき事は一つ。
「他人に『ニートの方なんですか?』なんて聞き方をするものではないぞ。そこは婉曲に『自宅を警備している方ですか?』と聞くのが社会のマナーというものだ」
世間知らずな子供を導くのは大人の役目。
平日の昼間に孤児院を訪れている俺がニートに見えるのは分からなくもないが、それでも尋ねる時には遠回しに聞くのが常識というものだ。
幸いにもミスミは根が素直なのか「なるほどーっ」と感心している。……また微妙に煽っているようにも聞こえるが、ここは素直さに免じて目を瞑っておく。
「ちなみに俺はニートではないぞ。自由業だから時間に縛られていないだけだ」
「ほえーっ、自由業ですかぁ…………あっ、ちょっと待ってください。私がビャクさんの職業を当ててみせますよ!」
ほほう、面白い。
名探偵に推理を披露するとは身の程知らずなやつよ。プロ野球選手とバッティングセンターに行って『ワイの打撃を見せたるわ!』とブチ上げるようなものだ。
俺が微笑ましい思いで見守っていると、ミスミはわざとらしく咳払いをしてから「まずは質問です」と、セオリー通りに情報収集から始めた。
「――ビャクさんが最後に観た映画のタイトルを教えてください」
くっっ!? ば、ばかな、なんというクリティカルな質問なのか……。
答えたくない……正直に答えたくないが、ここで嘘を吐くのは俺の矜持に反してしまう。俺は血を吐くような気持ちでそのタイトルを告げる。
「…………『名探偵ポロリの事件簿』だ」
「分かりました! ビャクさんの職業は――――そう、探偵です!!」
くそっ、正解を当てられた事より正解に至るまでの過程が屈辱だ……!
名推理と言わんばかりのドヤ顔をしているが、そのものズバリで推理要素が欠片も無い。無駄に答えを勿体つけているのがまた腹立たしかった。
「……正解だ。褒美にミルク飴をやろう」
「えへへ〜っ」
だが、悔しくとも信賞必罰を怠るわけにはいかない。偶然が重なったとは言え、たった一つの質問で真実に辿り着いた手腕は認めざるを得ないのだ。……あのゴミ映画で職業を連想された事は屈辱だが、ここは不名誉に耐えるしかないだろう。
明日も夜に投稿予定。
次回、五九話〔作っていた原因〕




