四九話 幼女と旅館の夜
人々が寝静まった夜、俺は静かに旅館の廊下を歩いていた。
スキー場と同じく旅館も貸し切りとなっているので館内は静かなものだ。
一週間前に旅行の予定を立てたのに他の宿泊客は居ないのか? と思うところだが、そこはもちろんマネーの力で解決だ。
剛腕の雨音が札束で殴ってしまえば万事解決。金で貸し切りにして満足、大金を受け取って満足、というお互いにウィンウィンの関係である。
ここまで至れり尽くせりだと申し訳無いという気持ちはあるが、雨音から『対価とは言いませんが、お嬢様の護衛と撮影をお願い致します』と依頼を受けているので俺の心は少しだけ軽くなっている。
幼女の動画撮影を対価にされると犯罪的なものを感じなくもないが、俺が遠慮したところで余計な手間を増やす結果にしかならない。
ここは気にせず開き直って、素直に旅行を満喫させてもらうべきだろう。
「…………あれ、ビャク?」
「カリンか。こんな夜更けに奇遇だな。もう床に就いたものと思っていたぞ」
軽い足取りで薄暗い廊下を歩いていると、夜の世界に合わない相手と遭遇した。
この旅館は万全のセキュリティ対策が取られているので安全面の問題は無いが、それでも夜にカリンが一人で出歩いているのは少し意外だ。
「ルカとラスはもう寝てるわよ。私は厨房にホットミルクを貰いにいくとこ」
なるほど。健康優良児であるルカの就寝が早いのは分かるが、同じ女子部屋に入っているラスも既に寝ているらしい。
ラスは俺と同室が良いなどと言っていたが、やはりカリンたちの部屋に行ってもらって正解だったようだ。まだ俺は寝るつもりはないので、俺と同室にしていたらラスの安眠を妨げるところだったのだ。
「カリンも厨房に用か。俺も酒のつまみを拝借しにいくところだったんだ」
仕事的に翌日がお休みという状況は珍しいので、この好機をみすみす逃す手はない。貴重な休みを満喫するべく夜酒を楽しもうと考えるのは自然な事だった。
「これから部屋で映画を観ながら一杯やるつもりだが、寝つけないようならカリンも来るか? 旅行の時くらいは夜更かししても構わないだろう」
「なっっ!? わ、私を部屋に連れ込んで何するつもりなのよっ!」
「映画を観ると言ってるだろうが」
勝手に騒ぎ出した幼女を諭しておく。
これでも中学生なのでお年頃なのだろうが、隙あらば人をセクハラ犯に仕立て上げようとするのは困ったものだ。
「まぁ無理にとは言わん。明日はルカの実家――龍の里に向かうわけだからな」
龍の里。ルカが育った村には山龍や川龍などの龍の名が付く親戚が存在するらしく、上流社会では宗家の海龍家と共に『龍の一族』と呼ばれている。そんな龍の一族が暮らす村という事で、俺が勝手に『龍の里』と命名してしまった次第だ。
そして龍の里は山奥に位置しており、公共交通機関どころか車でも行けないような場所だと聞いている。言うなれば登山に行くようなものなので、本来ならば明日に備えて体力を温存しておくべきではあるのだ。
「……し、仕方ないわね。そこまで言うなら映画に付き合ってあげるわ」
それほど執拗に誘った記憶はないが、カリンは渋々の体で提案を受け入れた。
しかしカリンが付き合ってくれるならそれに越した事はない。
個人的には映画を観るなら一人より二人だ。
一人で観た映画が駄作だった場合はモヤモヤを抱える事になるが、これが二人なら駄作なりに感想の応酬を楽しめたりするのだ。映画が良作なら言うに及ばずだ。
そんなわけで無人の厨房から物資の調達を終え、俺とカリンは部屋に入る。
「ここがビャクの部屋……なんか狭いわね」
「何を言うか。好きな映画を観られる上に酒まで完備されているんだぞ?」
大満足の個室を貶められたので贅沢な幼女を諌めておく。
もちろんこの言葉は純粋な本音だ。
俺が広い部屋だと落ち着かない事を見抜いているかのように、有能な雨音によってベストサイズの部屋が用意されていたのだ。文句どころか感謝しかない。
しかも部屋のテレビでは映画配信サービスによって好きな映画を観ることが可能となっており、更に棚を開ければ俺が愛飲する安酒が鎮座しているという有様だ。
俺の個人情報が筒抜けである事が察せられたので引いてしまったほどである。
「ふ〜ん…………そ、それで映画観るのよね?」
物珍しそうに部屋を見ていたカリンだったが、不意に顔を赤らめて聞いてきた。
おそらく『旅行の夜』という非日常的な時間にわくわくしてきたのだろう。
「ああ、そうだ。ちなみにカリンには映画の選択権はないからな」
「なんでよっ! こういう時はレディに選ばせるものでしょ!」
密かに観たい映画でもあったのか、カリンが憤慨の声を上げた。都合の良い時だけ女の権利を主張するのは如何なものかと思うが、しかし俺は揺るがない。
どんな罵声を浴びせられようとも断固として我が道を行くのみだ。
「せめて俺の観たい映画を聞いてから文句を言え。もしかするとカリンの観たい映画と合致するかも知れないだろう?」
とりあえず根本的な事を指摘しておく。
条件反射的に反発しているカリンだが、俺のチョイスに『これよ、これが観たかったのよ!』と大喜びする可能性もゼロではないのだ。
「カリンも知っての通り、俺は名探偵。そんな俺が観る作品は決まっている――そう、『名探偵ポロリの事件簿』だ!」
「なによそれ、全然聞いた事ないんだけど」
カリンの反応は芳しくなかった。
俺はタイトルの『名探偵』に惹かれて一本釣りされてしまったのだが、残念ながらカリンの琴線には触れなかったようだ。
しかし俺は逆風に負けない。
カリンに拒否されても強行するのみである。
「俺も全く聞いた事がない作品だが、そもそも映画自体をあまり観ないからな。そして、それはカリンも同じだろう?」
「うっっ……それは、そうだけど……」
知らない映画だと批判的に物申していたが、予想通りカリンには日常的に映画を観るという習慣がなかった。これでよく無名映画だと言えたものである。
カリンは往生際悪く「もっとロマンチックな映画の方が……」などとモゴモゴ言っているが、当然のように俺は聞く耳を持たない。
そもそも『名探偵ポロリの事件簿』がロマンチックな内容という可能性だってあるのだ。映画を観る前から批判するとは言語道断の蛮行である。
「……ほんとビャクって自分勝手よね」
カリンは自分を棚に上げて人の批判をしつつ、畳にちょこんと座り込んだ。
不本意を表明しながらも嬉しそうに感じられるのは、なんだかんだでカリンも映画を楽しみにしているからなのだろう。
かく言う俺も似たようなものだ。
映画を観るのも楽しみだが、久々に酒が飲めるという事も大きい。
俺の愛飲している清酒が部屋に用意されていたのはプライバシー的な不安を感じるが、飲みなれた安酒の存在に心が落ち着いてしまうのは事実なのだ。
「それにしても、ビャクがお酒飲んでるとこって初めて見るわね」
酒とつまみを持って上機嫌で座ると、カリンが不思議そうな目を向けてきた。
事務所に居着いているラスはともかく、カリンの前で酒を飲むのは初めてなので意外なのかも知れない。そもそもカリンとは昼間にしか会わないのだ。
そういえば、ラスから飲酒について何か指摘を受けていた気もするが……よく思い出せないので大した事ではないのだろう。
明日も夜に投稿予定。
次回、五十話〔二人きりの映画鑑賞会〕




