三六話 シュレディンガーの猫
俺はカリンを背負ったまま部屋を後にした。
結果として殺人を犯してしまった形ではあるが、しかし大きな問題は無い。
周囲には広大な森が広がっているという好立地。このロケーションを利用すれば一人や二人の死体を処分するくらいは容易な事だろう。
ふと気が付けば、正義の名探偵が犯人側の立ち位置に立っているような気がしないでもないが……まぁ、必要な事だったのでやむを得まい。
「――えっ、ラスもここに来てるの?」
「ああ、施設の偵察で活躍してもらった。流れ弾にでも当たったらまずいから森で待機している。後で礼を言ってやるといい」
「うん……」
いつになく素直な態度のカリン。
立て続けに色々とあったので心が弱っているのかも知れない。
なにやら調子が狂う面はあるが、普段なら『背中から下ろしなさいよ!』と騒ぎそうなカリンが大人しいのは好都合だ。
なにしろここは敵地。
銃を持った敵がうろついているような場所なのだから、俺の背中という安全地帯で大人しくしてくれるのは悪くない。
ちなみに……俺が再会早々にカリンをおんぶした最大の理由は、カリンに『ジャンプ』が仕込まれている可能性を懸念したからだ。
もしもカリンが標的にされていても、俺が背負っていれば大事には至らない。誘拐した相手を殺害する可能性は低かったが、念を入れるに越した事はないのだ。
無事に取り戻したカリンの体温を背中に感じつつ、とりとめのない雑談をしながら歩いていると、不意にカリンが声を上げた。
「あっ、あそこに階段があるわ。とりあえず一階に下りてみなさいよ」
「そうだな。ルカの居場所はよく分からんが、適当に歩いてみるとするか」
カリンに操縦されるように行き先を決めた。
千道ロボに乗っている内に少しずつ落ち着いてきたのか、カリンはいつもの調子を取り戻してきたような雰囲気だ。
実際のところ、既に山場は越えているので警戒する必要性も薄い。
残っている仕事は教祖への尋問だけだが、それはルカによってお膳立てが整えられている――そう、既に教祖の捕縛に成功しているらしいのだ。
驚くべきはルカの仕事の早さ。
電話越しに教団員の悲鳴が聞こえていたのは把握していたが、ルカと合流しようと思った時には全てが終わっていたという訳だ。
「うっ……」
一階に下りた直後、背中のカリンが喉の奥から声を漏らした。
背中越しに感じるカリンの心臓の鼓動が速い。どうやら眼前の光景に心が乱れているようだが、その気持ちは俺にも理解出来るところだった。
「な、なるほどな……。これならルカの居場所はすぐに分かりそうだ」
ルカは電話で『でっかい部屋に居るぞ!』と大雑把過ぎる情報を伝えてきたが、一階にはルカの進んだ軌跡がしっかりと残されていた。
少なくともルカの居場所が分からなくて困るという心配はない。
床に飛び散っている窓ガラス、巨大なハンマーで殴りつけたような壁。凶暴な獣が暴れ回ったかのような痕跡なので、この先に暴獣のルカが居るのは明白だろう。
しかし、この現場には問題が多い。
そもそも建物の破壊跡だけならカリンがこれほど動揺するはずもないのだ。
この現場の大きな問題であり、カリンが緊張している最大の原因は――破壊の跡地に『死体』が散乱しているからだ。
「これは、かなりの数だな……」
二階ではそれほど教団員と遭遇する事はなかったが、ルカの担当していた一階の方は違ったようだ。見える範囲だけでも、死体の数は二桁に達している。電話越しに悲鳴が聞こえていたので気になってはいたが、これは想像以上に凄惨な光景だ。
おそらくは、教団員が武装していたのがアダになったのだろうと思う。
ルカには『殺意の無い相手は殺すな』と伝えてあったが、逆に言えば殺意を向けてくる相手には命の保証ができなくなる。
倒れている者は誰もが銃を手にしているので、施設への侵入者を殺害しようとして返り討ちに遭ったという流れなのだろう。
しかし……これはまずい。
俺も一人殺ってしまっているが、ルカのこれは文字通りケタが違う。
これほどの規模となると隠蔽工作も難しいので、このままではルカが『稀代の大量殺人鬼』として捕まってしまう可能性がある。
俺にも責任の一端がある以上、この場を丸く収める解決策を考えねばならない。
俺は脳をフル回転させて思考する。
どうやったらこの惨状を上手く誤魔化せるのか。普通に考えれば無理難題だが、しかし俺は名探偵。この程度の苦境に弱音を吐くわけにはいかない。
よし、こんな時にはあれでいこう。
探偵秘技が一つ――シュレディンガーの死体!
元ネタはシュレディンガーの猫。箱の中の猫は生きているのか死んでいるのか、観測者が観測するまでどちらの可能性も存在するという思考実験の一種だ。
一見すると死体が散乱しているようだが、それはシュレディンガー的に間違いだった。そう、俺が死亡確認をするまでは生きているという可能性が存在する……!
「いやはや、これは一見すると死体の山のようだな。この男の首なんかは真後ろを向いているぞ。まるで死んでいるみたいじゃないか、はははっ……」
「ビ、ビャク、あんた頭がおかしく……?」
失礼な幼女がキチガイ扱いしてくるが、俺はいつだって正常だ。
フクロウの首はぐるりと二百七十度も回転すると言われている。人間でも訓練次第で二百度は回転させられると聞いた事があるので、このアメージングな男が生きているという可能性は否定できないのだ。
そして生きているのはフクロウ男だけではない。どうだろう……ポジティブな思考で見渡してみれば、廊下中に生命の息吹が感じられるではないか。
あの男などは胸部に大きな空洞があるが、もちろん彼も生きている。
その理由は他でもない、臓器を失っていても死亡したとは限らないからだ。
腎臓のように一つ失っても命に支障がない臓器は存在するのだ。……よく見ると大事な臓器を失っているようにも見えるのであまり見ないようにしよう。
そう、大事なのは事実を確定させない事……!
「落ち着けカリン。一分間で百二十二回――安静時にしては心拍数が高過ぎる。そんな時には大きく深呼吸をしてみるといい」
「なっっ!?」
凄絶な光景で軽いパニック状態になっているのか、背中越しに感じるカリンの鼓動は心配になるほど速い。俺がカリンの健康を心配するのも当然だった。
「な、なんで私の心拍数を数えてるのよッ! セクハラ、セクハラよッ!!」
しかしカリンから返ってきたのは罵倒だった。
心臓の鼓動は命の声。心臓の音を聞いただけでセクハラとは、生きているだけでセクハラと言われたようなものだろう。
巷で流行っている環境型セクハラならぬ生存型セクハラとは恐ろしい。
「私を下ろしなさいっ!」
カリンは背中でばたばた暴れながら叫ぶ。
絵面的には俺が幼女を誘拐しているかのような有様だが、まだ残敵が存在するかも知れないのでカリンを下ろすのは時期尚早だ。
ここは名探偵らしく理詰めで説得しておこう。
「おっと、こんな場所で下ろしてもいいのかな? 廊下の血溜まりの中を歩いていく事になるんだぞ? それが嫌なら大人しくしている事だな、フハハハハハ!」
「くっっ……!」
背中から聞こえる悔しげな声。
なにやらますます誘拐らしくなってしまった気もするが、敵の存在を匂わせてカリンを不安にさせるわけにはいかないのだ。うむ、仕方ない仕方ない。
明日の夜の投稿で第一部は終了となります。
次回、三七話〔褒めるべき戦果〕




