百六一話 君臨する覇王
道案内を受けながら深部を疾走すること数十分。蒸し暑くなってきたからなのか神王樹が近付いたからなのか、俺たちは未知の生物と遭遇するようになっていた。
「……やれやれ。大蛇ならともかく、大型犬となると逃げ切るのは難しいな」
俺は大型犬の死骸を前にして息を吐いた。
三つ首の犬。神話に出てくる怪物に酷似しているが、その威容に相応しい手強い相手だった。雨音から貰った装備が無ければ決定打に欠けていたはずだろう。
「カァッ、その靴の素材は何で出来てんだ?」
「非金属製の高硬度の靴という事しか分からん。こんな事態になる事を想定していたわけではないだろうが、樹海向けの装備としては一級品だ」
過去の拉致作戦時に雨音から提供された俺専用の装備。政府関係者との会食という事で、念の為にフル装備で備えていたのは結果的に正解だった。
雨音としては『再緑化が起きた時にカリンの力になってほしい』という願いを込めて非金属製の装備を提供してくれたのだろうが、なんだかんだでカリンの役に立っているので雨音の先見の明に畏怖するばかりである。
「よし、そろそろ行くか」
ひとしきり息を整え、俺は改めて薄暗い道を走り出した。なるべく未知の生物との交戦は避けたいところだったが、今回はサイコパラドックスを使わずに済んだので悪くない結果だ。俺の最大火力は体力を消耗するので温存しておきたいのだ。
「……それにしても、三つ首の犬でこれほど手間取るとは想定外だった」
「あのワン公は中程度の脅威って話だったな」
ルカの父親から出没する生物の脅威度を聞いているが、三つ首の犬は平均クラスの脅威度に過ぎないとの事だった。
深部に存在する未知の生物。おそらく神王樹の能力によって生み出された生物なのだろうが、改めて神王樹は別次元の存在だと思い知らされてしまう。
しかも俺が倒すべき敵は未知の生物だけではない。子供たちを拉致した政府関係者の護衛は当然として、今回の拉致は計画的なものだった節があるので、この先には樹神教団や自衛軍の実力者が控えている可能性が高いのだ。
カリンにはルカが付いているし、時を置かずして龍の一族も駆けつけてくるはずだが、今回は軍務大臣まで使い捨てたくらいなので総力戦を覚悟すべきだろう。
――――。
俺とラスは順調に樹海迷宮を進む。
なるべく未知の生物との交戦を避けながらの疾走。途上の道では人の通った痕跡が残っていたので、そろそろ拉致犯に追いつくはずだと予期していた。
だが、俺の願いは叶わなかった。
駆け抜けた先に現れたのは広々とした空間。
神王樹までの中間地点と言える場所で、俺はその怪物と出会ってしまった。
俺の脳裏に警鐘が鳴り響く。広大な空間には巨大生物――ヤマタノオロチが存在しているが、俺の警戒対象は深部最大の脅威と聞いていた巨大生物ではない。
なにしろヤマタノオロチは既に息絶えている。俺が過去最大級の警戒を向けている対象は、ヤマタノオロチの上に片膝を立てて座っている『人間』だ。
中性的な整った顔立ち。十代の少女にも二十代の男にも見える不思議な相貌だが、何よりも特徴的なのはアルビノと思しき白髪と赤眼だ。
先天的な遺伝子疾患であるアルビノは病弱な印象があったが……しかし、俺はかつてないほど身の危険を感じていた。
視界に入れるだけで背筋が総毛立つ。
状況的に見てもそうだが、ヤマタノオロチを単身で仕留められるほどの実力者である事は間違いない。そんな怪物が白い和服を、樹神教団の人間である証を身に纏っている。これは絶望的な展開だと言わざるを得なかった。
「俺はこの先に行く。死にたくなければ消えろ」
だが俺に引くという選択肢はない。カリンとルカを取り返す為なら、怪物が相手であっても道を切り開くまでだ。俺の言葉を聞き、白い怪物は口元を吊り上げた。
「――我の前に立つか、小僧」
その静かな声で大気が震えた。
それは俺の錯覚に過ぎないが、そう感じさせるほどの圧倒的な戦意だった。
白い怪物はヤマタノオロチから飛び下りる。重力を感じさせない無音の着地。その身のこなしを目の当たりにして、俺は自分の直感が的中していた事を悟った。
こうして向き合うと嫌でも察せられる――この怪物は桁外れの実力者だ、と。
普通に戦っても強敵である事は明らかだが、最も警戒すべきは『超能力』だ。
樹神教団の実力者が超能力を保有していないはずがない。子供たちの事を考えれば時間は惜しいが、まずは相手の手の内を探っておくべきだろう。
「あくまでも俺と戦うつもりのようだな。それほど自分の超能力に自信があるのか? どんな能力なんだ? 自己干渉型、他者っく……!?」
相手の能力に探りを入れている最中、俺は異常を察して後方に飛び退った。傍目には怪物が一歩足を進めただけだ。だが、俺の眼には異常な光景が映っていた。
それはまるで結界。白い怪物の周囲を囲むように、全方位に向けられた害意が球体を形成していた。……こんな害意は今まで見たことがない。
「ほう、随分と勘が良いな。――小僧、その昏い眼に何を映している?」
見透かしたような事を告げる怪物。
愉快そうな笑みを浮かべているのは、俺が警戒して飛び退いたから――俺が手練である事が分かったからだろう。この怪物は戦闘狂の気配がするので間違いない。
「お前の能力は結界の類か? 不用意に近付くと大怪我をする事になるのか?」
俺は一方的に問い掛けつつ、足元の砂利を散弾のように蹴り飛ばした。
可能であれば会話で能力を掴みたいところだったが、この怪物は今にも飛び掛かってきそうな戦意を発しているので猶予は無い。ここは遠距離攻撃で様子見だ。
「――ハッ」
怪物は横に跳んで散弾を躱す――が、その動きは想定内だ。俺は石の散弾を蹴り出した直後、怪物の跳んだ先にカードを投げ放っていた。
風を切る探偵事務所の名刺。怪物の回避動作の終点を狙った躱せない投擲だ。
「ック、ハハハ、いいぞ小僧!」
しかし、白い怪物には通じなかった。
喉元を狙った致死性の投擲。その投擲を、怪物はあっさりと手で掴んでいた。
何が起きたのかと混乱させられるが、俺は内心の動揺を抑え込んで思考する。
この怪物が小石の散弾を躱すことは読んでいた。その事は汚れのない白い着物を見れば予想がつく。巨大生物と交戦した形跡があるのに汚れがないのは不自然だが、自らに『枷』を課していたと考えれば納得がいくのだ。
この怪物は戦闘狂の節があるが、それと同時に突き抜けた実力者でもある。
だからこそ争闘に値するような好敵手が見つからず、『白い着物を汚さないように闘う』というハンデを自分に課していたと読んだのだ。
だが、その慢心を狙った攻撃は不発に終わった。速攻で仕留めるはずの攻撃が、確実に躱せなかったはずの攻撃が、あまりにもあっさりと防がれてしまった形だ。……それでも、俺の攻撃は無意味ではなかった。
球体を形成していた害意、気が付けば掴まれていた名刺。これだけヒントがあれば敵の能力を絞り込むのも難しくないはずだ。
「高速、幻、時間――――っ、時間か。お前は時間を止められるのか」
「ほう、それに気付くか。よいぞよいぞ、やはり貴様は見込みがあるな」
くそっ、これは最悪だ……。高速移動や幻影使いなどの可能性も考えていたが、出来れば外れてほしかった最悪の予想が的中してしまった。
俺は動体視力には自信がある。それなのに怪物が名刺を掴んだ瞬間が見えなかったので、まさかとは思ったが……これほど桁外れな能力が存在していたとは。
おそらく一秒に満たない時間停止なのだろうが、ごくごく僅かな時間であっても戦闘においては絶対的だ。そして俺が対策を考える暇は無かった。
「――っく!?」
「フハハハ! よいぞ、千道ビャクッ!!」
それを躱せたのは半ば偶然だった。
害意は見えていなかったが、なんとなく嫌な予感がしたので身を引いた。その瞬間、至近距離に怪物が現れて拳を繰り出していた。
俺は必死に害意を読みながら追撃を捌き、怪物を引き剥がすように連撃を放ちつつ、貴重な名刺を再投擲して強引に距離を取った。
「……能力の再使用まで十五秒程度か」
突然に目の前に現れた怪物。時間停止で距離を詰められた事は明白だ。
強力無比な能力なので制限が大きいと見ていたが、再使用までのクールタイムも短いようだ。素で戦っても強敵なのに超能力も隔絶しているとは反則過ぎる。
こうなれば、やむを得ない。
先を考えれば余力を残したかったが、この怪物に出し惜しみをすれば命が保たない。ここは俺の全力で、壁を超えた二つの超能力を併用して打倒するしかない。
「いいだろう。そんなに死にたいなら、俺の全てをお前に見せてやろう」
「面白い。我を前にして大言を吐くか」
強烈な殺気を叩きつけているにも関わらず、怪物は嬉しそうに無邪気な笑みを浮かべた。子供のような邪念の無い笑み。その笑みに、なぜか既視感を覚えた。
そんなはずはないと冷静な心が否定するが……万が一を考えて疑念を口にした。
「海龍…………海龍コクロウ?」
「ほほう、我の名を知っていたか」
こ、これはどういう事だ……?
海龍コクロウ。海龍家の長男であり海龍家の当代当主でもある人物。
この怪物のように生粋の戦闘狂だと聞いていたし、無邪気な笑みがルカを彷彿とさせたので念の為に確認してみたが、本当に海龍コクロウだとは思わなかった。
なぜ海龍家の人間が樹神教団に与しているのか? 龍の一族の性質からすると不自然な気がしてならないが…………いや、待てよ。
「お前は樹神教団とは無関係なのか?」
「樹神教団とはなんだ?」
くっっ、やっぱりそうだった……!
樹神教団の幹部から実力者の情報を聞いていたが、これほど圧倒的な存在について一言も言及していなかった。冷静に考えてみれば不自然極まりない。非常に紛らわしい限りだが、コクロウは趣味で白い着物を纏っていただけなのだろう。
「まてまて、お前と戦う理由は無くなった。事情を説明するから矛を収めろ」
「なんだとッ!」
初めて怒りの感情を見せるコクロウ。
よほど俺との戦闘を楽しみにしていたのだろうが、生憎とバトルジャンキーと遊んでいる暇はない。子供たちが攫われているので一刻の猶予もならないのだ。
コクロウの家族が攫われているという事でもあるので、ここは手早く事情を説明して協力を願わせてもらうべきだろう。
明日の投稿(18時頃)で本作は完結となります。
次回、最終話〔泣き虫お嬢様と呪われた超越者〕




