百五六話 紫電のライゲン
「――海龍ライゲン、今日の議題は聞いているな? 言うまでもなく分かっているとは思うが、くれぐれも議場を荒らすような真似はするなよ」
神桜家本邸の食堂で朝食を摂っていると、一人の男が声を掛けてきた。
この男は鎧王家の人間。私やルカのように『個』に仕えている護衛ではなく、神桜家という『家』に仕えている護衛だ。
「お前の妹が付いている相手であっても異論は許されん。会議での決定は絶対だ」
私の沈黙を反発と受け取ったのか、男は念を押すように言い含めてきた。
今日の家族会議の議題は聞いている。あの純真な子供、神桜カリンの処遇について話し合う予定だと聞いている。ただ、それは『彼女』を含めた神桜家の幹部が決める事であって、元より私が口を挟む余地はなかった。
「――よせ、鎧王家の恥を晒すな。これでライゲンとて従者教育を受けた身、お前がわざわざ忠告せずとも重々承知の上だろう」
「兄者、しかしこの男は……」
食堂に男の親族が顔を見せた。
鎧王家は神桜家に代々仕える一族であり、神桜家の幹部に専属護衛として付く一族。今日の会議に鎧王家の一族が集まるのは必然と言えるだろう。
「…………」
鎧王家の兄弟が話を続ける中、私は食事を終えて席を立った。そろそろ彼女が起床する時間だ。それまでに部屋の前で待機しなくてはならない。
今日の会議に思うところはあるが、私は何も心配してはいない。私の知っている彼女は、決して間違った選択をしないからだ。
――――。
「ここは政府の要求を呑むべきだろう」
「発育不良の子供を一人渡すだけで政府に恩が売れる。検討の余地はあるまい」
「強大な能力者など神桜には必要ない。突出した存在は組織の害になるだけだ」
神桜家の家族会議。
神桜の姓を持つ人間は少なくないが、会議への参加資格を持つのは五人だけだ。そして神桜家の幹部による話し合いは、幼い子供を犠牲にする方向に傾いていた。
「ところで、ツバキの意見はどうだ。最近はカリンと親しいと聞いているが、よもや情に流されて判断を誤りはすまいな?」
神桜家当主からの問い掛け。
それは問い掛けでありながら、誰にも反論を許さない支配者の声だった。だが、もちろん彼女は揺るがない。揺るぐはずがなかった。
「――無様な。己の保身の為に家族を売り渡すとは恥を知りなさい」
「っ、誰に向かって口を聞いているッ!」
「そうだッ、無礼であるぞ!」
彼女の発言に方々から怒号が上がった。しかし彼女の心を貫くような眼差しに晒され、その威容に呑まれた参加者は口を閉ざしていく。圧倒的な存在の前では矮小な者は口を開けない。私には見慣れた光景だった。
「ほう、ならば他に代案があるのか? カリンを引き渡さねば大厄災の再来だ。それとも空柳家の報告を信じるつもりか?」
それでも神桜家当主だけは折れていない。彼女の父親だけあって不可視の圧力に動じることなく問いを返していた。
「そ、その通りだ。拷問で得た情報に信憑性はない。それに空柳家はカリンの後見を務めている家だ。都合の良い情報を捏造した可能性も捨て切れん」
家長の発言に同意の声が上がる。己の意見の正しさに自信を持ったのか、会議参加者は一丸となって彼女を責め立てていく。
それでも彼女は揺るぎなく、その透き通った流麗な声を響かせた。
「カリンを引き渡さなければ大厄災の再来? 子供を犠牲にしなければ成り立たない世界であれば――そんな世界は速やかに滅びるべきでしょう」
やはり彼女は美しい。
元より彼女は非の打ち所がない存在だが、その揺るぎない確固たる信念は際立って美しい。私は彼女の傍らに立っている事が誇らしかった。
「……下らん世迷い言を。際立った能力を持ちながら情に溺れて大局を見失うとは。やはり女は駄目だな、女帝と呼ばれた先代もそうだった」
「だからお祖母様を謀殺したのですか?」
彼女の言葉で動揺の波が広がった。
神桜家の先代当主、女帝。私の母が護衛職を辞した直後、大厄災で亡くなったと言われていた。だが、実際には違った。彼女の言葉は、彼らの欺瞞を暴いていた。
「どこで嗅ぎつけたのかは知らんが、あれは我々の総意だ。先代は莫大な額を難民支援に投じようとしていたからな。それこそ神桜家が傾きかねないほどの金額だ」
当代当主はあっさりと謀殺の事実を認めた。自分の母親を手に掛けたという醜悪な事実を、堂々と恥じる事もなく認めていた。
「現役の頃であればまだしも、先代は一線を退いたにも関わらず出過ぎた真似をした。隠居した老いぼれには退場を願ったまでだ」
おそらく気の短いルカなら既に殴っていた事だろう。正義を抱く友人なら皆殺しを決意していた事だろう。私の知人たちは醜悪な存在を決して許さない。
しかし私は心を動かさない。彼女の許しを得るまでは、心を保つと誓っている。
「話は終わりだ。カリンは教団に引き渡す。お前も異論は無いな、ツバキ?」
確認の体を取った高圧的な命令。
会議参加者の意思は同一である為、ここで抗っても会議の決定は覆らない。
だが、彼女は何者にも屈しない。
誰にも彼女の誇りを穢せない――――その為に、私はここに存在している。
「なっっ!?」
彼女が無言で取った行動に、周囲から驚きの声が上がった。それは異常な行動ではない。彼女はただ、傍らに立つ私の手に触れただけだ。……だが会議参加者は、その行動の意味を理解していた。
「……我々に造反するつもりか」
「まさか、正気かッ!?」
彼女は無駄な行動を一切取らない。そんな彼女が私の手に触れたのは、彼女の持っている能力――『増強』を私に行使する為だ。
それは触れた相手の身体能力を一時的に引き上げる能力。そして彼女の能力の事は、彼女が無駄な行動を取らない事は、神桜家の幹部なら誰もが知っていた。
会議参加者が信じ難い現実を疑っている中、彼女は決定的な言葉を発した。
「ライゲン、神桜の膿を一掃しなさい」
「……仰せのままに」
私の心は歓喜で満たされていた。彼女が私を頼りにしてくれている、彼女の熱量が身体に流れ込んでいる。これほど幸せな事があるはずもない。
排除すべき対象は、神桜家の幹部とそれらに付いている鎧王家の護衛。
鎧王家の人間は手強い。本来なら四人を相手取れば苦戦は免れないが――しかし、私は一人ではない。私は彼女と共に在る、誰であろうと敵ではない。
私が敵を見据えて一歩を踏み出すと、身体を駆け巡る戦意が抑え切れないかのように、私の身体からバチリと白い紫電が散った。
明日も夜に投稿予定。
次回、百五七話〔必要な会食〕




