百四九話 遥かなインペリアル
選ばれし人間だけが居住資格を持つ高級マンション、インペリアル。かつて雑居ビルの一階には風俗案内所が入っていたが、このマンションには風俗案内所どころかコンシェルジュが控えている。無人と有人の差どころではない圧倒的な差だ。
どんな仕事に就いていれば住めるのか? と疑問に思ってしまうところだが、ここには俺の親しい友人が、居住価値を理解することなく能天気に住んでいた。
「やあやあ、きみがビャク君だね。前々からお礼を言いたいと思っていたんだよ」
人畜無害そうな笑みを浮かべている優しげな男。カンジの父親と聞いていたので破天荒な大男を想像していたが、実際に会ってみれば線の細い学者然とした男だった。これで婿入りではなく純粋な龍の一族らしいので意外な感がある。
「なに、礼など要らん。俺としても友人が近くに住んでいるのは望ましいからな」
カンジを都会に連れてきたという事で、以前にもカンジの母親にお礼を言われていた。マンションに招かれて早々に父親からもお礼を言われてしまったが、俺の為にやった事なので感謝されても困るというものだ。
「本当は妻も会いたがっていたんだけどね、今は仕事で海外に出ているんだよ」
心から残念そうに嘆くカンジの父親。
ちなみにこの父親は現職大臣の護衛を務めているが、母親の方も大きな会社を経営している女社長との事らしい。これでカンジの家はエリート一家なのだ。
「へへっ、親父もお袋も忙しいからな。こないだの草野球も来たがってたんだぜ」
元エリートニートのカンジは上機嫌な様子だ。父親と友人を交えての会食という事でテンションが上がっているのかも知れない。
ちなみに両親が草野球観戦に来なかったのは結果的に正解だった。カンジは一打席目には初球デッドボール、二打席目には初球ホームランで退場処分だ。全て初球で決まっているので観戦に訪れても見応えがなかった事だろう。
「カンジ君のチームが優勝したと聞いているよ。ぼくも見たかったなあ……あっ、そうだ。もし良かったら、次の試合では撮影をお願いしても構わないかな?」
雨音のような事を言い出すカンジの父親。
あの草野球大会を記録媒体に残すことには抵抗感を覚えるが、しかし息子の活躍を見たいという気持ちは分からなくもない。
実際のところ、出番は少なくともカンジが活躍した事は間違いない。試合開始から一球でチャイクル団の主力メンバーを退場させるという大金星だ。現場で観戦するには物足りないだろうが、編集映像で観る分には楽しめるかも知れない。
「撮影を任されよう。大会参加者の肖像権に配慮して編集したものになるがな」
「おおっ、ありがとうビャク君!」
カンジの父親は俺の手を両手でガッシリ掴む。自分の感情にストレートなところは龍の一族らしいと言えるだろうか。そしてニコニコしながら本格的な撮影機材を部屋から持ってくるが、そこまで面倒な仕事を受ける気はないので容赦なく断っておく。三脚付きのカメラは持ち運びだけでも大変なのだ。
「――そいや。会った事ねぇけど、ビャクの親父ってどんなヤツなんだ?」
俺をプロのカメラマンにしようとしていた父親に苦言を呈していると、カンジが無邪気な声で聞いてきた。おそらくは自分の家族と一緒に居るので俺の家族の事も気になったのだろう。しかし、俺がその質問に答える直前――「カンジ君ッッ!」とカンジの父親が息子を殴りつけた!!
「ぶぼおっ!?」
突然の鉄拳に殴り飛ばされるカンジ。和やかな空気だったので油断していたのだろう、為す術もなくドンッと壁に叩きつけられている。突然の家庭内暴力に俺が戸惑っていると、カンジの父親は穏やかな顔で口を開いた。
「ビャク君は生後間もなく孤児院の前に捨てられていたんだよ? 移民か出稼ぎなのかは分からないけど、無計画に子供を作って捨てるような親の事を話題に出してはいけないよ。ビャク君の心を傷付けてしまう事になるからね」
「そ、そうだったのか……。悪かったなビャク」
「なに、気にするな。むしろカンジの父親の発言の方が傷付いたくらいだ」
俺は両親の顔は知らないが、別に捨てられた事を恨んではいない。なにしろ俺が産まれたのは二十年前、世界的な大厄災があった年だ。
この無礼千万な父親は無計画な子作りだと決めつけているが、当時の状況を考えれば経済的事情で手放さざるを得なかったという可能性はあるのだ。
「というか、やけに俺の事情に詳しいな……」
「カンジ君の友達の事だからね。微に入り細に入り調べておくのは当然だよ」
一般常識を語るように異常な発言をする父親。
なぜ息子の友達を徹底的に調べる必要性があるのか……。第一印象では普通の父親に見えたのだが、元暗殺者であるルカの父親の方がまともに見えてきた。少なくとも唐突に子供を殴り飛ばしたりはしないのだ。
「――ぼくの妻はね、政界に進出して村にリニアの駅を誘致するのが目標なんだ」
「な、なるほど……。完全な私欲で国家事業を為そうとは大したものだな」
カンジが鉄拳制裁を喰らってからは和やかな会食となっていた。理不尽な暴力を受けながらもカンジは上機嫌なので、この山龍家では日常茶飯事の出来事なのだろうと察せられる。歪んだ家庭環境がカンジの性癖を形成した事は明白だった。
まぁしかし、これでも事前に想定していたよりは知性的な父親だ。
龍の一族という事で戦闘になる展開も想定していたが、この様子なら次回はラスを連れてきても問題無いはずだろう。
「そういえば……俺に話があると聞いたんだが」
一通り食事を終えたところで思い出した。家族が大好きな父親による家族話ばかりだったが、事前にカンジから『親父が直接伝えたい事があるらしいぜ』と聞いていたのだ。俺の言葉を聞き、カンジの父親はにこやかな顔のまま大きく頷く。
「そうだったそうだった。ビャク君はぼくの仕事を知っているよね? 仕事の関係でちょっと気になる事を聞いたんだよ」
なにやら引っ掛かる前置きだ。
カンジの父親の仕事は要人警護。しかも護衛対象は先の総選挙で圧勝した樹民党の幹部であり、現行政府の大臣を務めているほどの大物だ。
仕事絡みの情報となると国家運営に関わる話になりかねないが、この父親はコンプライアンス精神が低そうなので不安が募ってしまう。守秘義務が生じる話は聞きたくないのだ。……しかし、その口から出てきたのは予想外の単語だった。
「それは他でもない、神桜家のカリンちゃんに関する事なんだ。カンジ君の友達という事もあるけど、先代も目を掛けているらしいから放って置けなくてね」
なぜかここでカリンの名前が出てきた。
ちなみに龍の一族が『先代』と呼んでいる対象は一人、海龍家の先代当主――ルカの母親の事だ。確かにカリンを可愛がっていた記憶がある。
「カリンの事で何かあるのか? 口ぶりからすると面白い内容ではないようだが」
「そうだね、あまり面白い話じゃない。……なんでも、樹神教団がカリンちゃんの身柄を求めているらしいんだよ。それも政府を介して秘密裏にね」
「……どういう事だ?」
俺の声は自然と冷たくなっていた。カンジの父親に非がない事は分かっているが、秘密裡にカリンを求めているという情報に不快感を抑え切れなかったのだ。そして、その話の続きは予想外の方向に転がっていった。
「ビャク君も再緑化の話は知っているよね? 樹神教団は『再緑化を防ぐ為には神桜カリンが必要だ』と主張しているみたいなんだよ」
それはあまりにも理解不能な主張だった。再緑化そのものが判然としない話なのに、それを防ぐ為にカリンが必要とは全く意味が分からない。
そもそも樹神教団は『樹海を放置していれば再緑化は起こらない』というスタンスだったはずだ。俺が眉を顰めていると、カンジの父親は真剣な顔で先を続ける。
「ぼくも詳細は把握していないけど……彼らは何らかの根拠を持っていて、その主張を信じている人間は政府関係者にも多いらしいんだ」
「その荒唐無稽な話を信じさせるだけの根拠がある、という事か」
「うん、そう考えるべきだろうね」
これは実に厄介な話だ……。現行政府の後ろ盾である樹神教団。その教団がカリンの身柄を求めているとなれば只事では済まない。
カリンの何を求めているのかは不明だが、単純に頭脳を求めているというわけではないはずだ。それなら政府経由で手を回す必要性はない。
そうなると考えられるのは、カリンに秘められた超能力。おそらく樹神教団は『強大な能力者』を目当てに動いているものと思われる。肝心の目的は分からないが、秘密裡に身柄を求めているとなれば他の理由は考えにくい。
「……貴重な情報に感謝する。とりあえずカリンの後見人に相談しておこう」
相手の目的は読めなくとも、水面下の不穏な動きが知れただけでも大きい。
この情報を雨音に伝えれば、まず間違いなく話の詳細を調べてくれるはずだ。ノーマークだった政府筋の情報を得られたのは僥倖と言えるだろう。
「ふふ、情報のお礼なんて要らないよ。これは身内の問題でもあるし……この件については、ぼくの雇い主も思うところがあるみたいだったからね」
なるほど、そういう事か……。政府関係の情報を漏らしても良いのか? と内心で思っていたが、これは雇い主の意向でもあったのだ。
政府を介して少女の身柄を求める宗教団体。明らかに不審な気配が漂っているので、良識的な人間には看過できない事だったという訳だ。
樹神教団が敵に回ると『国』が敵になりかねないと危惧していたが、どうやら現行政府の中にも道理をわきまえた者が存在していたようだ。
政治家はサイコパスばかりだと思い込んでいた事を恥じるばかりである。
明日も夜に投稿予定。
次回、百五十話〔天下無法の空柳〕




