百四二話 新しい村人
「久し振りだな、仁寛」
「千道殿……その節は世話になり申した」
龍の里に到着後、俺たちは真っ先に仁寛の家を訪れていた。本来なら村の主である海龍家への挨拶を優先すべきなのかも知れないが、この村にマナー的な慣習は存在していないので問題は無い。ルカの母親が村長を務めている時点でお察しだ。
「そうだ、仁寛に結婚祝いを持ってきたんだ。ほら、紅白まんじゅうだぞ」
「それって結婚する側が渡すやつでしょ」
初対面の仁寛に警戒していてもカリンのクレーマー精神に陰りはない。仁寛に直接話し掛けるのは躊躇している様子だが、俺に対しては隙あらば文句を付けてしまうのだ。屈託のない笑顔でまんじゅうをもぐもぐしているルカを見習ってほしい。
「――カァッ!? こいつは衛星通信対応の無線LANルーターじゃねえか!」
そしてラスは仁寛の家に存在する機器に驚愕していた。衛星通信対応の無線LANルーター。仁寛とは電話でやり取りしているので衛星電話持ちである事は把握していたが、どうやら無線LANルーターまで所持していたようだ。
「こらこら、落ち着くんだラス。――仁寛、衛星通信を使わせてもらっても構わないだろうか? このカラスは少々ネット中毒なところがあってな」
「あ、ああ。無論構わぬ」
なにやら戸惑いが見える仁寛。
どうしたのだろうか? と一瞬だけ考えたが、そういえば前回のラスは仁寛を警戒してカァカァ鳴いているだけだったと思い出した。
そんなカラスが当然のようにペラペラ喋っていれば驚くのも当然だ。……ラスとしては仁寛が龍の一族に仲間入りしたので警戒心が消えたのだろう。
スマホを操作するカラスを興味深そうに観察していた仁寛だったが、同じくスマホを弄り始めたカリンに気付き、小さな幼女に気遣わしげな視線を向ける。
「しかし本当に拙僧の臭いは平気なのであろうか? 耐え難いようであれ……」
「ふん、私を誰だと思ってるのよ。あんたが言うほど大した匂いでもないわ」
仁寛が体調を心配していると、カリンが皆まで言わせずとばかりに断ち切った。
相変わらず初対面の人間には高慢な態度を取ってしまうカリンだが、それでもその言葉に優しさが滲んでいるのは分かる。
「心配するな仁寛。その気持ちは分かるが、これでカリンの言葉に嘘はない」
仁寛の匂いは人によっては意識を喪失するものらしいので、見るからに抵抗力が低そうな幼女の身を案じてしまう気持ちは理解出来る。
しかし、俺は無策でカリンを同伴したわけではない。もしもカリンが体調を崩したら仁寛が傷付くことになるので、仁寛の家の近くで匂いに抵抗がない事を確認しているし……そもそも、仁寛の体臭には理由があった事が判明しているのだ。
「俺と同じくカリンも超能力者だと言ったはずだ。この村の住人もそうだが、おそらく同じ超能力者には仁寛の能力である『匂い』が効かないのだろう」
そう、仁寛の匂いは超能力の類だと判明したのだ。その事が分かったのは、龍の里に存在している『超能力者を見分ける能力者』のおかげだ。
確かに最初からおかしいとは思っていた。
大の大人が意識を失うと言われている体臭、その匂いが全く気にならない俺やカンジ。日頃から身体を鍛えているおかげだろうか? と考えていたが、仁寛の匂いが超能力だと分かれば不可解な点に説明がつくのだ。
「拙僧の臭いが超能力である故に超能力者には効かぬ、か。……決して疑っているわけではないのだが、どうにも実感が湧かぬことであるな」
仁寛は戸惑っているが、自分の体臭が超能力だと実感できないのは当然だ。超能力者を見分ける存在が居なければ誰も気付かなかったはずだろう。
「それで、やはり能力のオンオフは難しいか?」
「……然り。どうすれば良いのか見当もつかぬ」
予想通りと言うべきか、仁寛の能力は自分でも制御できない類のようだ。
つまり仁寛の能力は、俺と同じくパッシブな能力。俺も昔から何度も読心能力の制御を試しているが、パッシブな能力は止めたくても止められないものらしい。
「俺の能力を参考に言わせてもらえば、仁寛も訓練次第で多少は制御出来るようになると思うぞ。……まぁ、匂いを強くするといった方向性になりそうだが」
「それは勘弁願いたいものであるな……」
仁寛は困ったように苦笑しているが、能力の制御が難しいと自覚していても悲壮感は見えない。これはやはり龍の里に移住した事が大きいのだろう。
この村の住人は全員が超能力者というわけではないが、頑健な人間が揃っているおかげか仁寛の匂いが問題にならないのだ。
「そういえば奥さんはどこに行ってるんだ? 友人として挨拶したいのだが」
今更ながら、まだ奥方に挨拶をしていない事に気付いた。カンジの親戚であり姉のような人物だと聞いているが、仁寛の友人として一応は挨拶しておきたい。
俺の言葉を受け、仁寛は穏やかな笑みで返す。
「うむ、妻は森へ狩りに出ている。時間からするとそろそろ戻る頃合であろう」
ちょっとスーパーに買い物に出ている、くらいの感覚で言ってしまう仁寛。
龍の里の感覚では似たようなものなのかも知れないが、仁寛もすっかり村の感覚に染まってしまったようだ。友人が常識を失いつつあるのは複雑な心境だ。
「なるほどなるほど……森で狩りと言えば、最近は夫婦で樹海に入っているらしいな。やはり奥さんは頼りになるのか?」
仁寛は結婚した後も樹海調査員を続けていると聞いた。元より成果物は郵送していたらしいので利便性に変化は無いとの事だが、先日の電話で『妻が樹海についてきてしまうのだ』と愚痴風の惚気話を聞かされてしまったのだ。
「然り然り。最近では二人で出掛けるのが習慣になっているが、妻は拙僧よりよほど樹海調査に向いている。まったくもって拙僧には勿体無い女性であるよ」
自分を卑下しながらも満足そうな仁寛。
既婚者に結婚生活を尋ねるとネガティブな返答をされがちだが、仁寛は結婚したことを心から喜んでいるようだ。友人としても嬉しい限りである。
「この村の住人なら普通の森でも樹海でも変わらないのかも知れんな。なんにせよ、公私ともに支え合えるパートナーが出来たことは良かった」
仁寛の匂いは野生動物を近付けないが、前回のように人間の密採者に襲われるという可能性はある。仁寛に樹海調査のパートナーが出来たとなれば安心だ。
「あれから体調を崩したりしていないか? 前回の例があるからな、樹海産の怪しげな物はあまり食べない方がいいぞ」
「う、うむ……うむ」
思い出すのは仁寛の真っ白な顔色。
おそらく遭難している時に怪しげな物を食べたのだろうが、仁寛を連れて村に到着した時には死にそうな顔になっていたのだ。
今となっては仁寛も既婚者。
もう自分だけの身体ではないので、尚更に体調管理には注意してほしいものだ。
明日も夜に投稿予定。
次回、百四三話〔危なかったネーミング〕




