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泣き虫お嬢様と呪われた超越者  作者: 覚山覚
第五部 飛翔するランバード

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百一九話 幼女の水泳訓練

 高級ホテルの室内プール。

 そこは選ばれし富裕層が利用するラグジュアリー空間であり、芋を洗うような市民プールが主戦場である俺とは無縁の場所だ。しかし、今日ばかりは事情が違う。


 友人の資本的暴力によって高級ホテルは屈服し、そのコネの力によって庶民である俺もラグジュアリー空間へと足を踏み入れていた。


「カリンの為にプールを貸し切りとは相変わらずだな……。まぁしかし、スキー場の貸し切りに比べれば常識的な範囲と言えるだろうか」

「カァッ」


 プールサイドに立つのは俺とラス。

 普段は立ち入れない場所に来ているからか、ラスの鳴き声は上機嫌に弾んでいる。これも貸し切りという力技のおかげだろう。

 雨音の過保護精神に呆れつつも感謝していると、本日の主役が姿を見せた。


「……ま、待たせたわね」


 日輪のように燦然(さんぜん)と輝く金色の髪。プールの水よりも透き通った碧眼の瞳。

 高級ホテルの室内プールという非日常的な場所も相まって、カリンを見ていると異国に居るかのような錯覚を覚えるものがあった。


「な、なにイヤらしい目で見てんのよ」

「――ハッ」


 自意識過剰なカリンを窘めるべく鼻で笑ってやると、幼女はムカーッとなって俺の足をげしげし蹴ってきた。なんとなく小動物にじゃれつかれているような感覚だ。とりあえず、荒ぶるカリンに善意で忠告しておく。


「よせよせ、俺の足を蹴るとカリンの足を痛めるぞ。鍛え方が違うからな」

「くっ、あんたの足はどうなってんのよ!」


 名探偵の鍛え上げられた足に生半可な攻撃が通じるはずもなく、カリンは理不尽に苛立ちを募らせていた。攻撃した側が文句を言うとは理不尽極まりない。


 それでも可哀想になったので頭を撫でて機嫌を取るが、今日に限っては「やめなさいっ!」と手で払われた。やはり飴で口を塞がなければ素直になれないらしい。


「ビャク、早く泳ごうぜ!」


 そしてルカは相変わらずのマイペースだった。

 ぷりぷり怒っている護衛対象を気にすることなく、健康的なビキニ姿で今にも飛び込みそうな勢いだ。例によって護衛の職務を忘却しているらしい。


「そう(はや)るなルカ。泳ぐ前に、まずは柔軟だ。万が一という事もあるからな」

「分かったっ!」


 カリンと違ってルカは素直だ。

 ルカに問題があるとすれば、威勢よく返事をした直後に「柔軟って何だよ!」と怒鳴ってくる事くらいだろう。少なくとも会話の流れは柔軟である。


「……それにしても、ルカは水着を着ていても全く違和感が無いな。普段から水着みたいな恰好だからだろうか」

「み、水着みたいな恰好なんかしてないぞっ!」


 おっと、なぜかルカの恥ずかしスイッチを押してしまったらしい。

 どこでルカが羞恥心を感じているのか未だに分からないが、不思議にも恥ずかしそうに頬を赤らめているのだ。だが、ルカが否定しようとも真実は曲げられない。


「タンクトップにホットパンツという恰好は水着と露出がほとんど変わらな……」

「――ルカを辱めるのは止めなさいっ!」


 普段の恰好とビキニ姿の類似性を語っていると、理不尽なカリンに噛みつかれてしまった。ルカを守るように眼前に立つカリン。ふと思い返してみれば、カリンがルカを守っているケースの方が多い気がしないでもなかった。


「それはさておき。柔軟を終えたら早速練習だ」


 今日の目的は、カリンの泳ぎの練習だ。

 もう間もなく長期休暇に入るカリンやユキ。今年は連休中に海水浴に行こうと画策しているので、それまでにカナヅチを克服しておこうという話になったのだ。


「ん? 練習ってなんだ?」


 もちろんルカは目的を忘れていた。その時の感情を優先するエモーショナルな生き方をしているので無理もない。職場の上司にあたる雨音の苦労が偲ばれるが、俺は慣れっこなので「カリンの泳ぎの練習だ」と優しく教えてやる。


「よしっ、だったらアタシが教えてやるよ!」

「何言ってんのよ! この前もそんな事言って滝壺に突き落としたじゃないの!」


 ルカがやる気を見せた途端、カリンが怒りの声を上げた。さっきまではルカを守る立ち位置に居たはずだが、眠っていたトラウマを刺激されたのか手のひらを返すように糾弾している。……というか、過去の蛮行は泳ぎを教える為だったらしい。


「今回は俺が教える約束をしているからルカの助けは要らないぞ。ルカはラスから平泳ぎでも教えてもらうといい」


 ルカは絶望的に教師に向いてないので遠ざけておく。感覚で理解する天才型は教師に向いていないと聞くが、ルカの場合はそれ以前の問題だ。

 我が子を千尋の谷に落とすライオンのような教育方針を認められるはずがない。


「ラス、平泳ぎだっ!」


 とにかく泳ぎたいルカはあっさり乗っかった。

 新泳法の体得を口実にして遠ざけるという巧妙な策略。ルカは自己流で泳いでいるようなので興味を持つと考えていたが、俺の予想通りに意欲的だった。


 ルカに物を教えるのは至難の業でも、ラスなら申し分ない。人間のように泳げなくとも動画で研究しているし、頭が回るだけあって噛み砕いた説明が上手いのだ。


 なんだかんだで仲の良いルカたちは騒ぎながら大人用プールに向かい、俺とカリンは水深の浅い子供用プールに移動する。

 最大の障害は排除したという事で、あとは気楽に泳ぎの練習をするのみだ。


「…………なるほど。スキーの時にも思ったが、カリンは身体の動かし方を覚えるのが早いな。この調子ならすぐに人並み以上に泳げるようになるはずだ」


 そして俺はカリンの意外な上達ぶりに感心していた。出会った頃の印象では運動神経が鈍いイメージがあったが、実際に教えてみるとカリンの飲み込みは中々に早い。おそらくは体力不足で練習ができていなかっただけなのだろう。


「ふ、ふん……そんなの当たり前でしょ。私は神桜家の人間なんだから」


 例によって悪態を吐きながらもニッコニコのカリン。褒められたのが嬉しいのか思い通りに泳げるのが嬉しいのか、もう見るからに上機嫌な様子だ。


「よしよし、これで海に行った時に『泳ぐのが遅いわよ!』とユキを煽れるぞ」

「私がそんな事言うわけないでしょ!」


 なにはともあれ、今回の特訓でカリンが泳げるようになった事は喜ばしい。

 やはりカリンに体力がついてきた事が大きかった。カリンは身体の動かし方に慣れていなかっただけで、最低限の体力さえあれば必要な修練が積めるのである。


 おそらく小さな身体が劣等感となって人前での運動を避けていたのだろうが、俺やルカが付いている限りは運動不足になどさせはしないのだ。


明日も夜に投稿予定。

次回、百二十話〔冴え渡る知略〕

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