百一六話 見逃さない不審者
どの季節が好きかと聞かれれば人によって答えは異なるだろうが、一般的には過ごしやすい春や秋を好む傾向がある。かく言う俺も、昔は中間期を好んでいた。
だがしかし、学生時代に新聞配達を始めてからは意識が変わった。
夜中に活動する人間からすれば、冬の寒さは厳しく夏の涼しさは心地良い。俺が夏の訪れを好ましく思うようになったのは自然な流れだった。そんな気候的事情もあって、夏を迎えた新聞販売店では殊更に明るい声が響いていた。
「――ワンチャンあるよ!」
「こらこら、母娘で散歩中に母親が犬を見つけたような言い方は止めるんだ」
「それは『ワンちゃんいるよ』だね!」
覚えたての言葉を使いたがるロマルドに正しい言語教育を施すと、笑顔のロマルドから無駄に的確なツッコミが返ってきた。
反教育的な態度はともかく、この対応力の高さは認めざるを得ないだろう。
個人的には若者的な言葉の乱れが気になってしまうのだが、これだけ流暢に言葉を操っているとなれば贅沢な願いなのかも知れない。
「オヤハヨ、ビャク!」
「おはようございますチャイクルさん!」
もちろん彼には言語など些細な問題だ。
神の声が聞き取れなくとも悲観する者は居ない。むしろ神の声が聞こえると公言していたら周囲から心配されてしまうのだ。
ちなみに言えば、最近は挨拶が『ダヨウハ』から『オヤハヨ』に戻っているので言語面でも隙がない。これには戦犯となっていたロマルドもニッコリだ。
いつも通りの平和な新聞販売店。
チャイクルさんも合流したという事で、販売店に新聞が配送されるまで歓談の時間となるはずだった――が、そこで俺は違和感を嗅ぎ取った。
賑やかな仲間たちから距離を取り、おもむろに販売店の外へ出る。傍目には表のバイクを見に行くような格好だが、しかし俺は別の目的を持っていた。
販売店前の道路を横切り、何気ない足取りで『そこ』へ近付いていく。
「――あの場所に何か用か?」
そこには東南アジア風の女性が居た。
電柱の陰に身を潜め、こっそりと販売店を見張っていた不審人物。その怪しい女性は、俺に見咎められながらも動じることなく視線を返した。
「貴様は何者だ」
こちらを斬りつけるような鋭い声。
不審者に不審者扱いされるのは心外だが、これでこの女は気配の殺し方や立ち姿が洗練されている。思うところはあっても油断は禁物だ。
「俺は見ての通り一介の新聞配達員だ。それよりあんたの方こそ何者だ? 何の為に新聞販売店を監視していた?」
この不審な女には謎が多い。
夜中に新聞販売店を監視する相手という事で、当初は『俺の客』なのかと考えていた。これまでに多数の犯罪組織を壊滅させているので狙われる心当たりはある。
基本的には後腐れの無いように処理しているので報復の可能性は低いが、それでも絶対に無いとは言い切れないのだ。
しかし、この女からは敵愾心が見えない。
雰囲気からするとルカの父親のような――暗殺者のような感覚があるが、この女性には悪意や敵意と言った負の感情が見えていない。
明らかに只者ではない不審人物。
なぜこのような人間が新聞販売店を見張っていたのか不思議でならなかった。
「一介の新聞配達員? この国に来てから貴様のような奴は見たことがない。そんな怪しい人間が、偶然にあの場所に居ただと? 見え透いた虚言を抜かすな!」
くっっ、ボロクソに言われてしまった……!
確かに客観的に見れば、俺の存在が怪しく見えるのは認めざるを得ない。
この国では珍しい中東系の風貌もそうだが、見る者が見れば一定水準以上の武術を修めている事も分かるはずなのだ。
しかし、それでも深夜に気配を殺して隠れていた相手に言われる筋合いはない。怪しさレベルで言えば女の方が数段は上だ。
「そんなに疑うなら販売店の人間に聞いてみるといい。俺は五年も前から勤めているベテラン…………ん、場所? あの場所に何かあるのか?」
無礼女を言い負かそうと口を回している最中、ふと不自然な点に気付いた。
この女は『偶然にあの場所に居ただと?』と口にした。しかもその言葉と同時に、警戒や不安といった感情を発していた。……これは、もしかすると。
「もしかして、あそこに知り合いが居るのか?」
「っ……」
怪しい女が初めて動揺を見せた。
最初に声を掛けた時には眉一つ動かしていなかったが、俺から『知り合い』の単語を聞いた途端に顔を強張らせている。この反応からすると間違いない。
知人の職場の近くに潜んでいたという事は……興味本位で知人が働く姿を見にきたのか、もしくはストーカーの類なのか。
「どうやら図星のようだな。であれば、俺たちが争う理由はあるまい。そちらに疚しい事情が無いなら販売店まで案内するぞ?」
俺は警戒レベルを一段下げ、相手の反応を探るべくエサを投げかけた。
家族や友人が様子を見にきただけならともかく、この女がストーカーなら後ろ暗い感情を見せるという寸法だ。果たして、女は予想以上の反応を見せた。
「ッ、疚しい事情など無いッ! 私は殿下のご様子伺いに参じたまでだ! それを貴様が余計な真似を……!」
目を血走らせて激昂する女。
ストーキング現場を発見されて逆ギレしているように見えなくもないが、それよりも『殿下』という耳馴染みのない単語が気になった。殿下とは王族への敬称のはずだが、なぜこの場所でそんな単語が出てくるのか。
「何を言っているのか分からんが、俺のせいにするのは止めてくれ。――そもそもあんたは何者だ? この状況で清廉潔白を主張するのは無理があるぞ」
ストーカー疑惑が拭えない女に正論をぶつける。色々と気になる事はあるが、素性の分からない人間が『疚しい事情など無い』と主張したところで説得力に欠けるというものだ。それを女も察したのか、苛立たしげな口調で素性を明らかにする。
「私はサティーラ。亡国ブルネイアの王家、ランバード家に忠誠を捧げている者だ。貴様のような怪しい男に偉そうな口を叩かれる謂れはない」
亡国ブルネイア。
生憎と聞き覚えのない国名だが、二十年前の『緑化』の影響で数多くの国が消滅しているので、おそらくはその中の一国なのだろう。
しかし、それよりもだ。
このサティーラは亡国の王家に仕えているという話であり、ここに現れた理由は『殿下のご様子伺いに参じた』との事だった。
そして王家の名がランバード――――その家名には、聞き覚えがあった。
「チャイクル=ランバード…………あのチャイクルさんが、元王族?」
明日も夜に投稿予定。
次回、百一七話〔憧れとの再会〕




