第八十話「いい奥さんね」
エメンタールはテーブルに座り、向かい合ったコンテの様子を上目遣いで伺う。
彼女はそんな夫の様子に不信感を覚えながらも、ひとまずは再会を喜ぶ言葉を投げかけた。
「三年ぶりですね、あなた」
「あ、ああ。そう、だね」
エメンタールの広い額から、滝のように汗が噴き出す。
首に掛けていた手ぬぐいで拭いつつ、彼はむずむずとナマズのような髭を震わせる。
極度の緊張状態に陥っている彼を見て、コンテはふっと表情を緩ませる。
とにもかくにも彼を落ち着かせねばならないと考えたのか、彼女はまず本題ではなく素朴な疑問を彼に尋ねる。
「ねえ、あなた」
「な、なんだい?」
「あの子はこの牧場の従業員かしら?」
「メュ?!」
軽い気持ちで投げられた疑問は、エメンタールの急所に鋭く突き刺さる。
妙な声を上げて飛び上がる旦那にコンテは思わず目を見開いて驚いた。
彼女の後ろでは、付き添ってきたララ達が苦い顔で額に手を当て、テトルが不思議そうに首をかしげている。
「私、なにか変なこと言ったかしら?」
「い、いや、別にそんなことはないよ。ただ、ちょっと……、そうちょっとだけ驚いて――」
情けない笑みを浮かべてエメンタールが取り繕う。
そのとき、部屋の奥のドアが開いてメリィが顔を出す。
「お父さーん、お茶持ってきたよー」
「メメメ!?」
「お、お父さ!?」
「……あっちゃー」
絶妙と言うべきか、最も効果的なタイミングで最大の爆弾を投下したメリィに、その場にいた皆は三者三様の反応を見せる。
エメンタールは今度こそ椅子から浮き上がり、コンテは口を手で覆い、後ろの三人は顔を背ける。
唯一テトルだけが、未だに状況を掴めていない。
異様な雰囲気の部屋へやってきたメリィは、お盆を抱えており、その上には湯気の立つカップが並んでいる。
彼女はエメンタールとテトルの前にそれを置き、更にお茶菓子として干しブドウの小さなパンケーキを添える。
「ララおねーちゃんたちの分もあるよー」
「あ、ありがとう。このパンケーキとってもおいしそうね」
「でしょ! これ、私が昨日作ったんだよー」
ララが一口サイズのかわいらしいそれを見て笑顔を浮かべると、メリィもまたにへらと表情を崩す。
そんな彼女に案内されて、四人は別のテーブルに移動する。
「それじゃあ、私は牧場の方に行ってるね」
そう言ってメリィは手を振り部屋を出る。
残されたのは、悲壮な表情のエメンタールと目を伏せたコンテ。
ぎこちない笑みを浮かべる三人と疑問符の群れを従えるテトルの六人である。
「……あなた」
「はひっ」
しんと研ぎ澄まされた刃のような声が響く。
ララは部屋の温度が瞬時にマイナスまで下がったような錯覚を覚えた。
「可愛らしい娘さんね。あんな子がいるなんて、初めて知ったわ」
初めて、の部分を強調させるコンテに、エメンタールはびくりと肩を震わせる。
しきりに目を泳がせていた彼だったが、ふと何かを思い出したようだった。
懐をまさぐり、彼は一つの封筒を取り出す。
「こ、コンテ。その、最初は遠話だと聞いていたし、その僕は口下手だから、上手く話せないと思って……。そ! それで、手紙を……用意してたんだ……」
コンテのカップを傾ける手が止まる。
彼女は興味深そうに、その封筒を見つめた。
「それは、私が読んでも?」
「ああ、もちろん」
小刻みに震える手で握った封筒をエメンタールはコンテに渡す。
それを両手で受け取った彼女は、丁寧な所作でそれを開いた。
中から現れたのは、何度も書き直された横棒の目立つ数枚の便箋だった。
コンテがそれを黙読する間、しばしの静寂が訪れる。
エメンタールは落ち着きをなくし、既にカップは空になった。
「ねえ、このパンケーキすごくおいしいわ」
「ほんとですね。バターが違うんでしょうか」
「もしかしたらヒージャのバターかもしれないな」
「……お姉さまたちはなぜそんなに」
「テトルも食べたら? おいしいわよ?」
「……おいしいですね」
不干渉を貫く方針を定めた隣のテーブルの一段は、メリィ謹製のパンケーキに舌鼓を打つ。
この状況で味を楽しめる三人に驚いていたテトルも、一口食べると眉を開く。
しっとりとした舌触りの優しい生地は香りも良く、一般的な牛の乳から作られるバターとは風味が違う。
「メリィちゃん、気も利くし料理も上手いし働き者だし、凄く良い子よね」
「そうだな」
ララの言葉に、三人は素直に頷く。
今日初めて彼女を見るテトルでさえ、それは強く確信していた。
「……そうですか」
紙の擦れる音と共に、コンテが小さく呟いた。
四人が視線を向けると、彼女が手紙を読み終えたようだった。
「そ、そこに書いてあることが……その……」
もじもじとテーブルの下で指を組み、エメンタールがしどろもどろに言う。
「ふふっ……。分かりましたよ」
そんな彼を見て、コンテはふっと表情を柔和ないつもの笑みに変える。
雰囲気の戻った妻の様子に、エメンタールもぱっと表情を明るくする。
「随分と、苦労なされたみたいですね」
手紙を送る余裕すらないほど、忙しい日々。
何の前触れもなく突然押しつけられた幼い子供を、彼は男手一つで育ててきたのだ。
彼がどんなに苦労したのかは、想像に難くない。
小さな少女というだけでもそれは大変だというのに、種族すら違うのだ。
だがメリィの純真さは、彼の愛情を映す何よりも澄んだ鏡となる。
コンテはエメンタールの顔を見て、一度頷いた。
何かが切れたように、エメンタールの黒く光る瞳から涙がにじみ出る。
「あらあら、そう泣かないでくださいな」
コンテは困ったような笑みを浮かべて、立ち上がる。
彼女はエメンタールの隣に歩み寄ると、そっとその肩をさすった。
「いい奥さんね」
「いい旦那にいい妻、悪い娘が育つ道理もないな」
「親というのは、良いものですね」
二人をそっと盗み見ながら、三人はしみじみと言葉を漏らす。
そんな中、テトルだけは遠くをぼんやりと見つめ、何かを考えていた。
時折小さく呟く彼女を、ララは怪訝な顔で見る。
「テトル? どうかしたの?」
「えっと、今のままだと結局エメンタールさんとコンテさんは離ればなれになってしまうと思いまして」
「ああ、そういえばそうね……」
現状、エメンタールはハギルで、コンテは村の宿で暮らさざるを得ない。
二人の間の情報の溝が埋められたとは言っても、状況は何も変わらない。
「そこで、少し提案なのですが」
テトルは控えめに声を抑えて、三人の顔を見渡す。
「ヤルダとハギルを、魔導自動車を使って結ぶ交通網の試験区間としたいのですわ」
「交通網の試験区画?」
テトルの口から飛び出た言葉に、三人はそろって首をかしげる。
仲の良い彼女たちに苦笑しつつ、テトルは詳しい説明をする。
「私たち『壁の中の花園』は、魔導自動車の実用化を目指していますの。その理想型は、この辺境に存在する都市間を結ぶ高速交通網ですわ」
「なるほど。それができれば情報も物資も効率的に輸送できるな」
イールの言葉に、彼女は頷く。
「ですが、正直に言いまして今の魔導自動車はポンコツですわ。耐久性も魔力効率も、理想値にはほど遠いのです」
「そのための試験区間というわけですね」
「そういうことですわ。まずは先駆けとしてハギルとヤルダの間を定期運行させます。『壁の中の花園』の全面的な支援体勢を敷き、不慮の故障にも対応させます。資金面は、レイラ様を通じて教会から支援を頂く予定ですわ」
「なんだかもう随分話は固まってるのね」
驚くララに、テトルは可憐な笑みを返した。
「実は、もう殆どこの計画は決定していました。あとは定める試験区間の場所だけだったのですが、そのときに丁度お姉さま方からお話を頂きまして」
「まあ、ヤルダからここまでだと道も平坦でほぼ一直線だ。試験にはもってこいだな」
そういうことですわ、とテトルは満足げに頷いた。
ララたちの与り知らぬ所で、彼女たちもまた色々の自分の仕事を遂行していたのだ。
「当面は試験運用なので、一部の関係者のみの利用となります。定期的に運行する予定ですので、コンテさんもこれを使えば気軽に一日でハギルに行けますわ」
「と、いうことみたいなんだけど。どうかしら?」
ララが言葉を付け足しながら隣のテーブルを見る。
テトルがそちらに視線を移せば、興味津々といった様子のコンテとエメンタールが身を乗り出していた。
「あなた……」
「ああ。これならいつでも会える。宿屋は中々空かないだろうけど、その時は僕が行くよ。あ、でも牧場は……」
「お父さん、その時は私がヒージャのお世話するよ!」
眉を顰めるエメンタールに、明るい声が掛かる。
部屋の皆の視線が一斉に向いた先には、ちろりと舌を出すメリィがいた。
どうやら、ドアの向こう側で聞いていたようだった。
「メリィ……。いいのかい?」
「私だって、お父さんに沢山教えて貰った一人前の牧人だもん。一日だって一週間だって、一年だって任せて!」
とんと胸を叩き頼もしい言葉を立てる娘に、エメンタールはまた涙ぐむ。
そんな夫を、コンテは優しい微笑みで見ていた。




