第四十四話「ドワーフって随分と童顔なのね」
『翡翠屋』は、ハギルの山の裾野に建つ小さな宿屋だった。
白い目地と灰黒色の石材の壁に、堅木の柱と梁が組まれ、全体的に強固な印象を持つ。
建物の大きさを鑑みても少し小さな扉は、イールほどの長身であれば少し屈まなければ縁に額を打ち付けてしまうだろう。
「なんだか、全体的に一回り小さい気がするわね」
翡翠屋を前にして、ララが率直な感想を述べる。
その忌憚の無い批評に他の二人も同意する。
「とりあえず、入ろうか」
イールが一歩先を歩き出す。
二人もそれに続き、小さな扉をくぐった。
宿の外装から予想していたとおり、内装もまた彼女たちの基準から比べると一回り小さかった。
椅子やテーブル、窓の高さ、カウンター、何から何まで、まるで子供のために作られているような不思議な宿である。
「あら、いらっしゃい! ようこそ翡翠屋へ!」
カウンターの暗がりから、可愛らしい少女の声が響く。
三人が視線を向けると、宿の名前と同じ翡翠色のくりりとした瞳がぶつかった。
「泊まりかしら? それとも温泉?」
少女はカウンターから顔を出し、矢継ぎ早に言う。
赤いエプロンを身につけ、亜麻色の髪を若草色のバンダナで纏めていた。
幼い顔立ちで、実際に背丈も小さく子供のようである。
「ああ、とりあえず宿泊で部屋を借りたい。あー、まだ具体的な日にちが決まってないが……」
視線を合わせるため膝を少し折り曲げて、イールが用件を伝える。
しかし彼女は困ったように眉を顰めて、口をもごもごと動かした。
そうして、彼女はぱっと立ち上がると、ロミを見た。
「なぁ、あたしは子供と話すのが少し苦手なんだ。ちょっと代わってくれないか」
ロミの側により、彼女は小さな声でささやく。
ロミは少し驚いたようだったが、すぐにきゅっと口を結んで頷いた。
「任せて下さい! 孤児院では小さい子の面倒を見ていて慣れていますから」
ぐっと拳を握り親指を立てて、ロミが言う。
イールはそれは頼もしいと彼女の肩をぽんと叩いた。
「……こほん」
一つ咳払いをして、ロミはさっと身をかがめる。
顔に優しい笑みを浮かべて、彼女は口を開いた。
「えーっと、お姉ちゃんたちお部屋を借りようと思ってるの。お母さんかお父さんはいないかな?」
「……」
シン、と冷たい空気が場を支配する。
いつもの数倍甘さを増したロミの声に、ララとイールは驚きで口をあんぐりと開けていた。
平時の丁寧な口調の彼女からは想像もできない、母性を含んだ声である。
「……あの、えーと」
ぽーっとロミを見たまま硬直する少女に、彼女は困ったように目を細める。
少女は何か不思議な物を見るような目で、ロミを見ていた。
そうして、少女はおもむろに口を開く。
「――私がこの宿の主人よ」
「へ?」
ロミが気の抜けた声を漏らす。
後ろに控えていたララたちも目を見開いている。
少女は呆れたように、肩をすくめた。
「まず、私は多分貴女たちより年上よ。あんまり人間の年齢は分からないけどね」
「ああっ! も、もしかして、ドワーフの方ですか?」
素っ頓狂な声を上げ、ロミが尋ねる。
小さな宿屋の小さな主人は、その質問に頷くことで肯定した。
「あー、ドワーフ族だったのか。……考えてみれば、ドワーフ族向きの宿屋だな」
二人のやりとりを見て、イールはようやく得心がいった様子だった。
周囲を見渡しながら、彼女は半笑いで言う。
「ねえ、つまりどういうことなの?」
唯一事態が飲み込めないララが、イールの袖を引っ張って首をかしげる。
「ゴンド爺は覚えてるだろ?」
「ええ。あの工房のドワーフのお爺さんよね」
「ゴンド爺は随分と小柄だったろ? ドワーフ族っていうのは、みんなあれくらい小さいのさ」
イールの説明に、ララもようやく理解できたらしい。
つまるところこの翡翠屋はドワーフ基準で建てられたドワーフの営む宿なのだ。
「けれど、ドワーフって随分と童顔なのね」
ドワーフの女将の幼い顔立ちを見ながら、ララが言う。
言われた女将は白い歯を見せて笑った。
「私からすれば、人間がとっても老けてるように見えるのよ。それに随分と大柄だし」
「あー、それもそうね。ちょっと失礼だったかしら」
「別に大丈夫よ。私たちだって重々承知してるし。私はリルっていうの。よろしくね」
リルは腰に手を当てて言う。
あまり気分を害していないような彼女の様子に、三人はほっと緊張を解いた。
「私はララ。こっちはイールで、この子はロミ。三人で旅してるんだけど、温泉があるって町の自警団の人から聞いてやってきたのよ」
「そういうことだったの。部屋の家具は少し貴女たちには小さいかもしれないけど、それでも良ければ大歓迎よ」
三人は軽く身の上を説明し、宿の帳簿に名前を連ねる。
リルは彼女たちを歓迎し、にこやかに手を広げた。
「とりあえず、馬を休ませたいんだが」
「それなら宿の裏に厩舎があるわ」
その言葉を受けて、イールはロッドを休ませるために宿屋の外へ出る。
残されてララとロミは、リルの案内を受けて部屋まで移動することになった。
「この宿、随分と頑丈に作られてるのね」
部屋までの道すがら、頑強な石造りの天井や壁を眺めて何気なくララが言う。
「この辺は落石が多いから、柔な作りじゃ一月も持たないのよ。それに、ドワーフが得意なのは木造じゃ無くて石造建築だからね」
「へぇ、そういうことだったのね」
リルの説明に、彼女は興味深く頷く。
古くから高山に住むドワーフ族だからこその文化、生活様式なのだろう。
文化が異なれば建物の姿も変わる。
「そういえば、この宿はリルさんが一人で切り盛りされているんですか?」
ララの隣を歩いていたロミの問いに、リルは微かに笑みを浮かべながら首を振る。
「まさか。旦那と息子の家族三人でやってるのよ」
「そうでしたか。一族経営なんですね」
ロミは少し驚いたように言う。
彼女たちの基準で言えば、まだまだ幼い少女のように見える彼女が結婚していて、更には子供さえいることが、未だに少し違和感を覚えるようだった。
「接客は大体私が受け持ってて、旦那は厨房、その他雑用を息子がやってくれてるわ」
「ず、随分と息子さんの業務範囲が大雑把なような……」
「あっはっは!」
ロミの突っ込みをリルは軽く笑い飛ばし、一枚のドアの前で立ち止まる。
「さ、ここが貴女たちの部屋よ」
そう言って、彼女がドアを開く。
ララとロミがのぞき込めば、予想に違わず全体的に一回り小さな可愛らしい部屋があった。
「ベッドが少し小さいけど、それでも私なら普通に寝られそうね」
「わたしもギリギリ、といったところでしょうか。イールさんが少し厳しそうですが……」
「ごめんね。これでも私たちからすれば随分大きめな方なんだけど」
申し訳なさそうに肩を落とすリルに、二人は気にしないでと声を掛ける。
もともと、彼女たちが押しかけた側なのである。
感謝こそすれ、非難するような理由は一切なかった。
「それじゃあ、これがこの部屋の鍵ね。えっと、注意事項だけど――」
金色の小さな鍵をララに渡し、リルが利用にあたっての注意事項を述べようとしたとき。
「かーちゃーーーん!!!」
宿屋の表の方から、そんな威勢の良い声が響いた。




