☆☆16
「おばあさん、どこか痛みますか?」
僕が訊ねると、おばあさんはうなずいた。脚は挟まなかったけど、転んだ拍子に痛めたのかもしれない。
「持病のリュウマチが」
そっちかぁ。
杖突いてるし、最初から脚が悪かったみたい。
「では、私に負ぶさってください」
ヘルトさんがそう言ってしゃがんだ。でも、おばあさんは遠慮したんだ。
「それじゃあ、何かあった時にあなたまで逃げ遅れてしまうわ。お若い人を巻き添えにはできませんもの」
「私はこれでも騎士団に所属する騎士です。ご心配なさらず、さあ」
いかにもお淑やかなお嬢様風の美人がそんなことを言うから、おばあさんはちょっと疑って見えたけど。残念ながらこのおばあさんと僕、身長一緒ぐらい。……ううん、認めるよ。僕の方が低いって。僕が背負ったら足、引きずるかも――。
「大丈夫ですよ、今にこの虫も退治されますから。でも、立ち止まってると危ないから避難だけはしないと」
師匠がなんとかしてくれる。それは間違いないから、今は逃げることだけを考えないと。
おばあさんは遠慮がちにヘルトさんの背中に体を預けた。僕はおばあさんの杖を持つ。
ヘルトさんも早くは走れないから、僕はせめて前方に危険がないかを確認する。でも、道では老若男女問わず逃げ惑っていて、僕はその人たちに向かって叫んだ。
「落ち着いてください! 落ち着いて避難を!」
誰も聞いてない!
上を見上げると、まだまだクラ―ケルが飛んでいる。師匠、地道に倒して回ってるのかなぁ。これは時間かかりそう。
この時、上を見上げていて注意力散漫だった僕は見ず知らずの人に突き飛ばされて転んだ。逃げるのに邪魔だったと。それにしてもひどい。
「い、いてて……」
慌てて起きる。
「レフィくん、大丈夫?」
ヘルトさんとおばあさんが心配そうに僕を見た。
「全然平気ですよ。ほら、あっちに自警団の人たちが見えます。あそこまで行けば少しは安心かも」
「ええ、そうね」
ヘルトさん、ずり落ちそうになるおばあさんを担ぎ直して急いだ。ちょっと息が上がってる。
ほんと、とんだ休暇になっちゃったね。
これというのも、クラ―ケル――いや、ルーベンス団長の、さらに言うとライニールさんのせいってことにしておこう。決してヘルトさんを旅行に誘った僕や師匠のせいではないと言いたい。
僕たちはやっとのことで出会った自警団のお兄さんにおばあさんを託した。
「こちらのご婦人をお願いします。あと、剣がありましたらお借りできますか?」
ヘルトさんは自警団のお兄さんにそんなことを言う。
自警団って、結局のところは素人の集団だ。お兄さんの装備だって防具は何もない、ただ棒を持っているだけ。ごく普通の、中肉中背のお兄さんだ。騎士のライニールさんみたいに体鍛えてないよ。
「剣って、あなたが使うんですか?」
お兄さんもびっくり。でも、使うんだよ。
ヘルトさんは力強くうなずいた。
「私は騎士団第六部隊副隊長ヘルトルーデ・ヒディングです。休暇で偶然こちらの方に居合わせたので、武具の類は所持しておりませんが」
「き、騎士様ですか? わかりました!」
青年は仲間に言って剣を借りてくれたけど、全然手入れもされていない古びた剣だった。ああ、必要とされなかったのは平和の証だけど、準備は怠らないでよ。
それでもヘルトさんは文句を言わなかった。古びた剣を受け取る。
「ありがとうございます。今、仲間が戦っていますので、じきに落ち着くはずです。もうしばらく耐えてください」
走り出そうとするヘルトさんの横に僕もついた。でも、ヘルトさんは困った目をした。
「レフィくんは残っていて?」
「そういうわけには行きません。僕、師匠の弟子なんで」
ここでヘルトさんから目を放したら、師匠にあとで何を言われるかわかったもんじゃない。
「私たちの役目は、あくまで住人を避難させること。一応剣を借りてきたけれど、これだけで太刀打ちできると思っていないわ」
そうだろうな。接近戦なんて脳みそ吸われちゃうし、ヤだ。
ゾゾッ、と体を震わせながら僕も走った。
段々、人が少なくなってきた。皆、上手く逃げて隠れたのかな。
表には出ないで家屋の中に閉じ籠っている方がいいのかもしれない。できれば聖堂とか丈夫な建物の中に。
「逃げ遅れている方はいませんかっ!」
ヘルトさんが声をかけて回った。これといって返事はない。遠くで悲鳴と虫の羽音がするだけだ。
通りはガランとして、それでもクラ―ケルが壊したらしい家の残骸が散乱している。僕はそれにつまずかないようにしながらヘルトさんの後ろにくっついていく。
この辺りは皆、上手く非難できたのかな?
「ヘルトさん、こっちは誰もいないみたいです」
「そうね。もう少しだけ見てまわ――」
そこでヘルトさんが言葉を切った。僕が空を見上げた時に見えたのは、虫の腹だった。




