☆☆13
ヘルトさんは師匠がいなくなって気が抜けたのか、ほぅっとひとつため息をついた。
「あちこち行って疲れました?」
僕が気を遣って話しかけると、ヘルトさんは苦笑した。
「少しだけ」
そう言うけど、本当は落ち着いたらライニールさんのことを考えてしまっただけかもしれない。
ヘルトさんがそんなふうに四六時中考えているほど、ライニールさんはヘルトさんのことを考えたりしてないんじゃないのかな。
なんてことを言ったら傷つくから言わないけどさ。
「うちの師匠、ぶっきらぼうですけど、あれでヘルトさんのこと心配してますよ」
にこりともしないし、慰めるようなことも言わないけど、気にはしてる。だから僕はフォローするようにそれを言ったんだ。
そうしたら、ヘルトさんは軽くうなずいた。
「ええ、心配をかけて申し訳ないと思っているわ。わたし、もっとしっかりしないとね」
うーん、そういうことを言いたいんじゃないんだ。
ライニールさんにこだわらなくったってさ、師匠でよくない?
師匠がいない今ならちょっと踏み込んでみてもいいかな。
「ヘルトさんから見て、うちの師匠ってどうですか?」
「え?」
「顔はいいでしょ? あと、あんまり使わないのでお金も持ってます。魔術に関しては天才です。ちょーっとだらしなかったり、朝起きられなかったり、口が悪かったりはしますけど、まあソコソコの物件じゃないですかね?」
僕が正直に言うと、ヘルトさんは冗談だと思ったのかクスクスと笑った。
「リュークさんはその短所を打ち消すくらいの長所があるから大丈夫よ」
「じゃあ、ヘルトさんいかがですか?」
この時、ヘルトさんは僕が言いたいことをすぐに呑み込めなかったらしい。きょとんとされてしまった。
「大事にしてくれますよ。あれでも実は優しいですからね」
意地悪なんだけど、優しい。そうなんだ。最終的には優しいんだよ。
でも、ヘルトさんは顔を曇らせてしまった。
「リュークさんが優しいのは知っているわ。メイツ隊長はリュークさんの話ばかりしたもの。仲がよくて羨ましいって、ずっと思っていたわ」
それは、師匠がどうのっていうより、やっぱり他の人は考えられないってヤツなのかな。でももし、お見合いが成立してライニールさんが結婚ってなったらどうするんだろ?
完全に失恋するまで次には目を向けられないのかな。
「師匠、どうでしょう?」
もう一回押してみた。
僕は気の利く弟子だから。
――だけど、ヘルトさんは困った顔をした。
「リュークさんは救国の賢者で、なんの取り柄もないわたしではとても釣り合わないわ」
「そうでしょうか? ヘルトさんみたいな人ならお似合いですけどね。大体、ヘルトさんで釣り合わないなんて、じゃあどんな人なら師匠と釣り合うんでしょう?」
師匠の肩書は重たい。
普通の女の人じゃ尻込みするくらいには重たいんだ。
でも、悪いことをしたわけじゃない。偉業が輝かしすぎる、それが足枷になるなんて悲しい。
そんなこと言ってたら誰も来ない。師匠が可哀想だ。
ヘルトさんが返す言葉に困っていた。
仕方がないから、僕はヘルトさんに違う話題を振ってあげた。
「ヘルトさんって、お嬢様なのに騎士になりたかったんですね。どうしてですか?」
その話題もまた、ヘルトさんには答えにくかったのかもしれない。それでも、ポツポツと話し始めた。
「自分にできることがあんまりにも少ないから、自分のことが好きになれるようになりたかったの」
美人に生まれついたのに、ヘルトさんって控えめ。僕だったらヘルトさんみたいな顔に生まれついたら、毎日鏡を見てため息をついて幸せに暮らすけどね?
でも、とヘルトさんは苦々しく言った。
「全然上手くいかなくて。若い女なんて一人前として見てくれなかったわ。からかったり、馬鹿にしたり、嫌な目つきで見たり……。でも、メイツ隊長だけは違って、私を他の隊員と分け隔てなく接してくれたの。それで、この人の下で働きたいって思えたから、わたしは努力できたのね」
誠実な人だから、女だって理由で馬鹿にしたりはしないんだ。そんな中にいたら、ライニールさんはさぞ輝いて見えただろうね。まあ、好きになるのも無理はないか。
その時、師匠が帰ってきた。
僕が師匠をプッシュしたのは内緒。
僕たちは疚しいような気分で顔を見合わせ、笑ってごまかした。
☆ ★ ☆
翌朝。
「師匠、そろそろ起きてくださいよ」
「…………」
「ほら、チェックアウトしないと」
「…………」
「ししょー」
「…………」
ほんと、寝起きが悪い。朝が弱い。
昨日は早く寝たはずなのになぁ。
僕は宿のベッドで眠る師匠の上に膝を沈めた。下からぐぅ、と呻き声がする。
「起・き・て・ください」
毎日これだから僕も段々容赦なくなってきたけど、一応この人は偉い人。僕が敬うべき師匠。
わかっちゃいるけど、優しくしてたら起きないんだ。
そんなことをしていたら、苦しくなった師匠がガバッと起き上がったから、僕はベッドから転がり落ちた。
「踏むな」
鬼のような形相で言われた。
はいはい。
「さ、着替えてください。朝食を食べたら出ましょう」
僕は何事もなかったかのように立ち上がって言った。師匠はブツクサ言いながらも着替える。
師匠の支度が終わってから、僕は隣のヘルトさんの部屋をノックした。
「おはようございます、もう出られますか?」
「おはよう、レフィくん。ええ、大丈夫」
扉を開けてくれたヘルトさん。今日の服装は、白いフリルシャツとレモンイエローの段になったスカート。うん、何着ても似合う。
「今日のお洋服もとってもお似合いです!」
正直に言うと、ヘルトさんは麗しく微笑んだ。
「ありがとう」
えへへ。師匠やライニールさんが不甲斐ないから僕が言ってあげないとね。
僕が振り返ると、師匠は朝日の差す窓辺に肘を突き、アンニュイな表情を浮かべている。長い髪が光に透けて見えて、イイ男っていうよりまあ、美人だよ。だらしないけど。
大体あの表情だって物思いにふけってるとかじゃなくて、単に眠たいんだ。
――美人二人に囲まれている凡庸な僕。多分、傍目には従者程度の認識しかされないヤツだ。
いいけどね。気にしたって仕方ないから。
「今日はどこへ行きましょうか?」
僕がそう訊ねると、師匠は少し考えた。
「この辺りだと、ファネンデルトとか?」
「ああ、いいですね」
ファネンデルトは結構歴史のある町だ。大昔、なんらかの奇跡がその地で起こって、人々が集まって町になったとかなんとか。細かいことは忘れたけど、ステンドグラスの見事な大きめの礼拝堂があったはず。
ヘルトさんも賛同してくれたので、とりあえず僕たちはファネンデルトへ行くことになったのだった。




