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ヘルトさんが帰り道、ライニールさんの隣で涙を隠し通せないのがわかったから、師匠は残れなんて言ったんだ。
師匠の方がよっぽど女心がわかってる。ヘルトさん、ライニールさんはやめて師匠にしておけばいいのに。
美形だし、天才だし、ズボラだし、意地悪だし――。
えっと、うーん、それでも師匠の方がいいような気がするんだけどなぁ。
ヘルトさんは泣きたくなんてないんだろう。なんとかして涙を止めようとしているみたいだけど、一度泣き出すと涙はなかなか止まらない。僕だってそれをよく知ってる。
「ヘルトさん、落ち着いて。大丈夫ですよ。あったかいお茶、淹れ直しますね!」
僕は努めて明るく言った。
ヘルトさんがそんな僕に赤い目を向ける。美人の泣き顔って初めて見たかもしれない。これはこれで魅力的なんだけどさ、泣いている理由がフクザツ。
「ありがとう、レフィくん」
ヒク、としゃくり上げながら言った。
「いーえ」
僕はにっこり笑った。
師匠はと言うと、ため息ばっかりだ。
「ライが鈍いのは嫌ってほどわかってて、それでも動かないお前も悪い」
泣き顔の乙女に手厳しいことを言うな。
師匠は他の女の人には親切なのに、ヘルトさんには厳しい。表向きは。
でも、ほんとはそれが特別ってことなんだと思う。友情だかわかんないけど、他の人とは少し違う。
ヘルトさんは目を擦り、それからつぶやいた。
「わかってます。でも、隊長にまったくそんな気がないのがわかっていて言えるほど、私は強くないんです」
「告白されてから意識するかもしれないだろ」
師匠って、二人のことを応援する気があるのかな?
それとも、ヘルトさんが綺麗さっぱり玉砕したら、それこそ心置きなく口説けると思ってる?
そういえば、ライニールさんってヘルトさんが好きなのは師匠だと思ってるんだった。
ややこしいんだよ、この三人。
僕は新しいお茶を淹れながら考えた。ヘルトさんには笑っていてほしいなぁって。
「……隊長のお見合いの相手ってどんな方でしょうね。きっと、とても綺麗で気立てのいいご令嬢で、ひと目で隊長が気に入ってしまわれるなんてことも――」
ちょっ――自分で言いながら泣いてるし。
師匠もため息ばっかりついてないでなんとかしてほしい。
僕は湯気が立ち上るお茶をヘルトさんの前に置いた。
「ライニールさんなら、誰がお見合い相手でも同じですよ。全然記憶にも留めてくれないですって」
「……それじゃあ失礼極まりない男だろうが。ライは顔くらい覚える。ただ、近所の婆さんにするのと同じくらいの扱いしかしないだけだ」
それはフォローなんですか、師匠?
師匠はまたため息をついて、それからヘルトさんに目を向けた。
「それで、お前は休暇中、そうやってずっとライの見合い状況を気にしながら部屋に閉じ籠って泣いているつもりか?」
ヘルトさんは、うっ、と小さく呻いた。
想像するだけで悲惨な休日だ。絶対体に悪いよ。
「駄目ですよ、ヘルトさん。なるべくそこは考えないようにしないと」
「で、でも、一人でいたら絶対に考えてしまうもの」
まあそうなんだけど。ヘルトさんもどこかに出かけたらいいのに。
「出かける予定は入れないんですか?」
「そんな気分になれないわ」
あっ、沈んだ。
困ったな、どうしよう。
僕は師匠を見遣ったけど、師匠は無言でヘルトさんに目を向けていた。少なくとも、どうでもいいって顔じゃない。心配はしてる。
――ああ、そうか。
僕はポン、と手を打った。
「ヘルトさん、それなら休暇中はここにいたらいいんじゃないですか?」
「え?」
「は?」
ヘルトさんも師匠も呆然としたけど、僕は妙案だと思う。
「不安な時、一人でいるとよくないですよ。大丈夫、師匠だけだと大問題ですけど、僕もいますから、安心して来てください」
この時、師匠が猫の子をつまむようにして僕の首根っこをつかんだ。
「大問題な。お前は師匠をなんだと思ってる?」
「師匠の料理がマズイから大問題であって、襲うって意味じゃな――」
僕の首に師匠の腕が巻きついたかと思うと、ギュッと締まった。魔術師に腕力って必要ないのに、思ったより強かった。僕がキュゥゥゥ、と憐れな声を発していると、なんでだかここでヘルトさんがクスリと笑った。いや、本気で意識が飛びそうなんですけど。
「ありがとう、レフィくん。じゃあ、お邪魔してもいいかしら?」
ヘルトさんがそう答えたことが師匠にはとても意外だったのかもしれない。目を瞬かせている。
手で頬の火照りを冷ますみたいに包み込みながら、ヘルトさんはポツリと零す。
「明日はまだ働かなくちゃいけないし、気持ちを強く持たないと……」
この時、師匠は急にヘルトさんの額に触れ、呪文を唱えた。
「குணமாகும்」
あたたかな青白い光がヘルトさんの顔にかかる。
――泣いていた跡が消えた。
「今だってまだ仕事中だろ。いつまでも休んでられないんじゃないのか?」
にこりともしないで言うけど、師匠だってヘルトさんのことは心配している。こうやって魔術を使ったって心まで癒すわけじゃないし。
「ええ。ありがとうございます、リュークさん」
仕事と聞いて、ヘルトさんはかえって落ち着いた。苦しくても職務を投げ出しちゃいけないって思うのかもしれない。大人はそういう責任がつきまとうから大変だなぁ。
「じゃあ、明後日、ご馳走作って待ってますから!」
せめてヘルトさんの慰めになるように楽しい休暇にしてあげたい。そんな僕の思いをヘルトさんは汲み取ってくれたんだろうか。そっと笑った。
「ありがとう。楽しみにしてるわ」
そこで師匠は僕に向けて言った。
「ヘルトのことを送ってくる。お前は家で待ってろ」
「えー! 留守番ですか?」
「お前がついてくる必要はまったくない。運ぶ手間がかかるだけだ」
師匠が魔術で連れていくんだから、それを言われると僕は何も言えない。文句があるなら自力でついてこいとか言うんだ、きっと。
王都行きたかったなぁ。
まあ、仕方ない。そのうち次の機会もあるだろうし。
「わかりましたよ。食事の支度して待ってます」
ちょっとだけ、師匠とヘルトさんを二人きりにしてみたいような気もしたんだ。だから気を利かせてあげた。僕ってオトナだから。
師匠、傷心のヘルトさんに何か気の利いたことが言えるかな?




