RANK-31 『伝わる想い』
「あいたたた、はぁ……、ドジっちゃった」
見上げれば、視界にあるのは断崖と青空、谷底には小さな川があるけど、マナミが落ちたのは岸辺の石の上。
咄嗟に風魔法で落下を回避し、背中からゆっくりと大きく平らな岩の上に下りた。
「あっ、誰か降りてくる。ケイちゃん……じゃあないよね。てことはレジ君か」
岩壁を跳ねるようにゆっくり降りてくる人影。
その動きには覚えがある。
リンカが初めて同じような動きを見せた時は、二人して間抜けな顔をして眺めていた事を思い出す。
「ケイちゃん、真似しようとして木から落っこちた事あったよね」
死の危険も顧みず、即座に降りてきてくれたレジデンスの顔を見て判った事がある。
「大丈夫ですかマナミ?」
「見えなかったの? 魔法使ったの」
体を起こして立ち上がると、服に付いた土埃を払いのける。
寝ころんでいた岩の上に立っているマナミは、頭の位置がレジデンスと同じくらいにある。
「平気そうですね」
どこか作り物のような、いつもの優しげな笑顔を前に、マナミはそっと両手を彼の首に回してしがみついた。
「どうしました? やっぱり怪我をしたんですか?」
「大丈夫だって、別に痛いとかそう言うんじゃあないから、しばらく、ほんのちょっとだけこのままでいさせて」
首に腕を回したまま、少しだけ体を離すと彼の顔が目前にくる。
「なんだかドキドキしますね」
「私は別にそうでもないかな」
クスクスと笑いながら、マナミはレジデンスの唇を奪った。
「マナミ?」
ほんの一瞬、軽くタッチする程度の口吻をして2、3歩後ろに下がる少女は舌を覗かせた。
「答え、見つかっちゃったみたい」
昨日ベールの元を訪れて、いけない事と思いながらも、レジデンスの事を聞く為に、まだ定かではない自分の想いを、固めたフリをして色々聞いてしまった。
「ベール様は全部教えてくれました。貴女の表情から、貴女の覚悟は本物だと感じたのだそうです」
リンカに同じ質問をした時のマナミなら、ベールは答えてくれなかっただろう。
「それで貴方の答えは?」
その問いに、昨夜からずっとマナミの事ばかりを考えていた男は、迷うことなく熱い接吻を交わす事で態度に示し、「ワタシも貴女しかないと感じています」と言葉にした。
レジデンスこと、ジェラーム=オクシロムはエステロイカ王国の第一王子、ゴーヴァント=エステロイカの母親違いの兄弟であり、どちらかと言えば第一王子よりも生まれは早い。
正室の子であるゴーヴァント、対してジェラームは平民の妾から生まれた子。
そんな話は珍しい事ではないのだが、ならなぜレジデンスは他の弟妹達のように認知されていないのか?
ゴウの父である現国王は若かりし頃、周囲を困らせるくらいよく遊びまわっており、王子と王女の三分の二はレジデンスと同じ庶子を引き取った子供達。
そんな妾の子供達にもちゃんと継承権を与える王だったが、レジデンスにしてやれたのは、ゴウの側近に付ける事くらいだった。
「嫡男より早く生まれたから?」
「いいえ、そんな単純な話ではありませんよ」
あの後直ぐにマナミを横抱きに抱えて崖を登り、小屋までやって来るとそこにはお湯を沸かすケイトの姿があり、そのお湯で汚れた体を拭いたマナミは別の服に着替えた。
こちらも着替えを終え、お茶を煎れてくれたレジデンスを正面に、三人はテーブルに着いて、問題を整理する話し合いを始めた。
「私も聞いちゃってていいの?」
「うん、いいんだよね?」
「はい、どのみちケイトにはゴウが話してしまうでしょうから」
性格を熟知しているからこそ、隠し事に意味はないことも解っている。
レジデンスの母方は数代前にこことは別の大陸から移住してきており、本家筋はまだその地で名だたる地位の貴族をしており、国王が見初めるに値する御令嬢であった。
「私も最初はゴウの弟妹達同様に継承権を与えられるはずでした」
ところが生まれたばかりのジェラームに、宮廷魔道士が異端児の烙印を押した事で、悪い流れが発生した。
赤子の身であまりにも魔力が高すぎたのだ。
物心付かない子供が異常な魔力を持つと、必ず幼少の内に死んでしまう。
魔道具や儀式を使って、体が成長するまで魔力を押さえ込む必要があるのだが、ジェラームは何も手を加えられることなく、それでも体を害することなく、驚くほどの速度で心身共に成長した。
「隔世遺伝?」
王宮は独自の調査で、彼の先祖に魔族がいたことを探り当てた。
「魔人ではなく、魔族そのものだって言うの?」
マナミも何人かの魔人には会った事がある。
人間に対して魔人はその数倍の寿命と、高い魔力を有している。
生息域が違うのであまり交わることはないが、時に人間の世界に馴染む魔人も珍しいものではなく、稀にだが遭遇する事もある。
「もう数百年前に一族の女性がまぐあい子が生まれ、その子孫がワタシなのです。そしてその魔族の男は今もなお、生き続けているという話です」
魔人との混血児であっても、王位に着けるべきではないと、ましてや魔族の血族となれば尚のこと。
それでもレジデンスは。
「父王は尽力をくださり、王宮に住まう事ができ感謝しています」
確かにこれはただの知り合いが、興味本位で聞いていい話ではない。
「ベールはマナミなら全部丸飲みにできると思ったんだね」
「リンちゃんが話すのを渋ったのも肯けるんだよね」
現にマナミはこの話を聞いても、レジデンスに対する感情を変える事はない。
「それにしても二人は、いつの間にそんな仲になったの?」
「さっきだよ」
「さっき?」
ケイトは自分の事もあって、恋心という物をほんの少しは理解できるようになった。
そうなると今までにはなかった興味が、沸々と沸いてくるのだ。
「もしかして谷底で何かあったの?」
二人とも平気な顔で戻ってきたが、ほんの短時間だったけど、その間に何か人には言えないような秘め事があったのかもと、女の勘を働かせたのだが。
「何もないよ。私から軽くキスして、彼がそれに応えてくれただけ」
決定的な何かがあったとすれば、ドジをした自分を追って、命がけで追ってきてくれた事に胸が高鳴ったことくらい。
「えっと、それじゃあ何が切っ掛けでこうなったの?」
「ぐいぐいくるなぁ。そうだな、私はレジ君と一緒になれば、ケイちゃんから離れなくていいかなって思って」
「えっ?」
「えっ?」
マナミの返事に驚きのケイトと、困惑のレジデンス。
「もちろん相手が貴方じゃあなかったらこんなこと、考えもしなかっただろうけど」
イタズラっぽく微笑を浮かべるマナミに、レジデンスは苦笑を返す。
「おお、いいね、いいね」
二人の目配せに心ときめかせるケイトが興奮する。
「とは言え問題は山積みですね。やはりワタシの正体は我々の結婚の足枷になるでしょう」
「なんで?」
「だって、マナミは王女様ではありませんか。国政に関わることはなくとも、王家に名を連ねる者に魔族がいるだなんて」
「問題ないんじゃない?」
いともあっさりと答えを返されて、レジデンスは珍しく狼狽えた表情を浮かべている。
「だって私の国も、元を辿れば似たような歴史があるのだもの」
かの国では種族を問わず共存協栄を果たす、人種の坩堝と化している。
「それでも私は王族だもんね。レジ君の有効性を示さないと、またお父様が難癖付けてきそう」
そんなこんなは後で考えるとして、先ずはこの渓谷での試練をクリアすることが優先される。
一晩ゆっくりと体を休め、回復した三人は目的の祠まで後二日の予定だったのを一日でクリアし、そこにあった転移門で王都に引き返すところを、残りの一日を徒歩で折り返して見せて、実力の程はしっかりと示す事ができた。
帰って直ぐにゴウとベールに相談した。
流石に二人は驚きと困惑の表情を浮かべたが、直ぐに祝いの言葉をくれて、知恵を貸してくれた。
エステロイカ国王にもお目通りを許され、父王も巻き込み、一大イベントにさらなるテイストが追加された。




