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アレンの救済。
それに飲まれ、魔眼はそのカタチを失っていく。
だが、魔眼はアレンに語りかけ続けた。
声というカタチ。それをとることなく。アレンの脳内。そこに、染み渡るようにして。
「オマエはナニモノだ」
それにアレンは応えた。
小さく。まるで、自身の内に呟くように。
「俺は俺だ」
呼応し、闇はアレンに纏わり付く。
アレンの身。それを、抱擁するかの如く。
魔眼は更に、アレンへ問いかける。
どこか儚げで。どこか、消え入りそうな意思をもって。
「救済」
「ソレをもってナニを為す?」
「なにをーー救う?」
アレンは答えない。だがその瞳には宿っていた。
揺らぐことのない救済の意思。そして、世界を救済に包むという消えることのない灯火。それが鮮明に。
【救済】
【死をミる魔眼。それが存在するということから】
闇は深淵を増す。
倣い、海に飲み込まれる枯葉のように、魔眼は闇に包まれその存在そのものが消失していく。
間際、アレンは知る。
【救済】
【魔眼が生まれた理由。それを知らぬことから】
※※※
その眼は、もともと「生きる者の終焉を映すため」に生まれたものではなかった。遥か昔、人々が「死」を恐れ、避けるあまり、世界の均衡が崩れた時代。
ある王国に、一人の錬金術師がいた。
彼は死者の魂を救おうと試み、命を延ばす方法を探していた。だが、人間の力では限界があった。
死を押し留めるたびに、魂は歪み、世界は混沌に飲み込まれた。
錬金術師は絶望した。
「死を忌避する者たちのために、死そのものを可視化しなければ」
彼の理は純粋だった。
人々が死を理解すれば、恐怖は和らぎ、命の価値を知るだろう。
そうして創られたのが、魔眼である。
神々の視線。そう錬金術師は呟いた。
だが、運命は残酷だった。
魔眼は生まれた瞬間から、宿主に呪いをもたらした。
「死の瞬間を見る力」は、救済ではなく重荷となった。宿主は他者の死を避けることも、変えることもできず、ただ見続けるだけ。魂を抱えきれず、やがて狂う者も少なくなかった。
魔眼は畏れられた。
そして、錬金術師の命と共に禁忌として封印された。
死を映すために生まれたのに、誰も喜ばせることはできない。見る者を絶望に誘い、嘲笑され、恐れられ――その宿命は、生まれた瞬間から重すぎる十字架だった。
それでも、魔眼は世界に存在した。死の真実を伝えるために。だがその瞳に映るのは、常に孤独と哀しみ。
生まれた理由は善意であったのに、与えられたのは苦痛だけ。誰も救えない、見つめる者をも呪う、悲しい宿命の眼。
"「神々の視線」"
"「利用できる禁忌があれば、利用するべきだ」"
"「いつか訪れる終末の闇。それに対するモノとして」"
"「勇者のみでは……心許ないであろう」"
※※※
魔眼が消失し、闇がアレンに収束する。
そして、残るは静謐な月夜の湖畔。
その中でアレンは一人、空を見上げた。
月は白くアレンを照らす。
冷たい風。
それがアレンの髪を撫でる。
アレンはしかし、ゆっくりとその視線を湖へと向けた。まるで、そこになにかが居ることを知っているかのように。
湖面に揺らぐ月光。それが水面に銀の糸を描き出す。
合わせ。その水面に、ゆらり。と異様な波紋が広がった。
「魔眼と闇。面白いモノを見せてもらったわ」
低く、嘲るような声。
そして、アレンの視線の先。
そこで水の塊が泡立ち、渦を巻き、やがて一人の女が形を取った。
蒼のローブに、透き通った白の肌。
青い髪が湖水のように光り、肌は月明かりに透けるような白。その瞳は冷たく、しかしどこか遊ぶような輝きを帯びている。肩から背にかけて滴る水が、彼女の存在を不思議な妖艶さで縁取った。
「うーん。今まで見た闇とはちょっと違うみたい」
水面が盛り上がり、手のひらから細い水流が無数に飛び出す。それらはまるで生き物のように跳ね、アレンを取り囲む。
水の囁き。
それが、アレンの耳元で響く――まるで嘲笑を混ぜた旋律のように。
アレンは静かに立ち尽くす。
だが、漆黒のマントの裾が揺れるたび、闇が小さく蠢き、挑発を拒絶するように反応した。
「ゼレグの始末。それが勇者の目的だったけど」
女は首を傾げ、薄く笑った。
「ふふ。でも、貴方も闇でしょ? なら……目的は変わらないわね」
その言葉と共に、水の槍が宙に立ち上がる。
湖面から生まれた刃は、光を反射し、月光の下で鋭利に光った。まるでアレンの闇を切り裂くかの如き意思をもって。
そして、彼女の嘲笑は波紋となり、湖から夜風に乗って広がっていく。
【救済】
【水から】
アレンの纏う闇。
それが再びその深淵を増す。
対峙する蒼と闇。
そして、二人はぶつかり合う。
合図もなくーーただその蒼と漆黒に混じり気のない敵意を込めて。




