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やがて二人は街の中心に辿り着く。そこには、崩れかけた鐘楼が聳えていた。石の壁には無数の亀裂が走り、ところどころ黒い染みが浮かんでいる。血にも似た、煤にも似た、不気味な模様。
鐘楼の前には、漆黒の外套をまとった男が佇んでいた。その手には、血の滴る黒の剣。そしてその眼光に宿るは、混じり気のない殺気。
足を止め、アレンは男を見る。
その身から闇を滲ませ、ただ静かに男を見据えた。
呼応し、男は口を開く。
「おまえも、闇に侵されている」
剣を構え、その刃先をアレンへ向ける男。
「なれば、殺さなければなるまい。闇はこれ全て、生きる価値のないモノなのだから」
一歩。男は前に踏み出す。
しかしその身はどこか、震えていた。
「勇者」
ダリオンはもまた声を響かせる。
そして、己もまたその手に剣を握り、一歩前へ踏み出す。砂利を強く踏みしめ、悔しさを滲ませながら。
視線を交わす、二人。
光を無くした闇の瞳。
琥珀色の光の灯った瞳。
二つの眼差しがぶつかり、そして、声が響く。
「なぜ。人を斬った」
「俺の知るアシェンは」
「やめろ、ヤメろ。またその問答を繰り返すつもりか」
片手で頭を抑え、呼吸を荒くするアシェン。
「ダリオン。また、俺の足元につくばりたいのか? また、俺の剣を」
「なら、何故。俺を殺さなかった」
染み渡る、ダリオンの哀しげな声。
「あの時、俺を踏みつけたとき。なぜ、おまえはその剣で俺の身を貫くことをしなかった。なぜ……俺を見逃した」
「黙れ」
「アシェン!!」
「黙れと言っている!!」
つんざくダリオンの声。
それに叫び、アシェンはダリオンへと剣の刃先を向ける。
「勇者の分際で闇と共に立つキサマの言葉。それはもはや、聞くに値せぬ戯言にすぎぬ。囚われなかった貴様に……そして、オレにはできぬ。もはや、おまえが【本物】だと見抜くことも」
しかし、ダリオンはなおも声を響かせようとした。
だが、それをアレンの身が遮る。
ダリオンの視線の前。
そこに身を置き、アレンはアシェンへと歩みを進めていく。
そのアレンの姿。
微塵もこちらを恐れずに、闇を引き連れ、淡々と歩み続けるその姿。
それを、アシェンは畏れる。
「ヤミ。闇。やみ」
「俺に。オレに。近づくな」
「覚えていない。もう、何度。繰り返し、救って。あの少女も救って。すくって。たす、けて」
「ころ、して。オレは、少女を」
そのうわ言のようなアシェンの言葉。
それに、アレンは力を行使した。
【救済】
【アシェンの記憶を知らぬことから】
〜〜〜
また、燃えていた。
赤黒い炎が夜空を裂き、街は地獄の坩堝と化していた。瓦礫に押し潰された人々の呻き、焼け爛れた空気、泣き叫ぶ子供。
アシェンは血に濡れた剣を握りしめ、膝をつく。
己の力では救えない。
結末は必ず「街の滅亡」へと帰結する。
鐘の音。それが響くたびに。
全てが元に戻る。
黒い裂け目が足元に走った。
それは影であり、深淵であり、世界の理そのものを侵す亀裂。
闇は嗤う。
血潮は消え、崩れ落ちた瓦礫は積み直され、死者の呻きは生者の声へと変わる。
アシェンは、再び「街が滅ぶ前」に立っていた。
何十、何百回。
アシェンは、鐘の音に宿る闇にーー。
〜〜〜
【救済】
【アシェンが鐘の音を聞くことから】
呼応し、アシェンの意識が途切れ、その場に崩れ落ちる。
その瞬間―
鐘楼が低く鳴った。
自ら打たれたわけでもないのに、鐘が呻くように震える。同時に、地を這うような呻き声が街全体に広がった。
ダリオンは周囲を見渡す。
倣い、鐘影の中から、無数の影がじわじわと溢れ出した。
それは人の形をしていた。
しかし眼窩は空洞で、口からは黒い煙が漏れている。
生者でも亡者でもない、影に喰われた者たち。
鐘の音に宿る闇。
それに囚われ、終わることのない滅亡に囚われ続けるかつてこの街を救おうとしたモノたち。
アレンは周囲を見渡し、呟いた。
「忌々しいヤミ」
そう、己の胸中で。
「ありがとな」
「救ってくれて」
囁かれる、ダリオンの言葉。
アレンの力。
それをもってなにが起こったのか、ダリオンは知らない。しかし、ダリオンは感じていた。
アレンの周囲に広がる闇。そこに宿る、意思。
それは明らかに違っていた。この場に充満しつつある闇の意思。それとは、明らかに。
次の瞬間、ダリオンの剣が唸りを上げ、最初の影を断ち割った。
影は黒い霧と化し、鐘楼の方へ吸い込まれていく。
だがその数は減らない。むしろ鐘の音とともに、さらに数を増していく。
息を切らす、ダリオン。
刹那。
【救済】
【鐘の音が届く全てを】
アレンは、闇を広げ、鐘の音が届く全てを己の救済で包み込んだのであった。




