28
救済され、元のカタチに戻った村。
しかし、村人たちの亡骸はソコに転がったままだった。
アレンの足元。そこに、収束していく闇。
その闇に視線を落とし、アレンはちいさく息をつく。
風が吹く。
倣い、アレンの髪が揺れる。
呼応し、アレンは気配を感じた。
ゆっくりと、気配の方向を仰ぎ見るアレン。
アレンの視線の先。そこに広がるのは、草むら。
そしてその隙間から垣間見えるのは、二人の人影。
眼差しを受けーー
一人は草むらから姿を現す。
小刻みにその身を震わせながら。
琥珀色の髪。琥珀色の瞳。軽鎧姿。
腰には一本の剣が鞘に収まり、その身からはどこか獣の気配を纏わせていた。
闇。それが、僅かに震える。
しかし、アレンの瞳に敵意はない。
静かに身を翻し、アレンはゆっくりとその男の元に歩み寄る。自然と。男の足が後ろに下がる。
男の身に滲む、汗。震える己の身。
それは、まるで天敵に見据えられたモノのよう。
だが、アレンは男に興味を抱くことはない。
ただ闇と共にその側を通り過ぎようとした。
刹那。
闇がアレンに伝える。
"「渓谷の街」"
"「ど、どうしてこんな」"
"「おまえは本当に……俺と同じ勇者。なのか?」"
流れ込む男の心の内。
それにアレンは足を止め、男を見据える。
そして、呟いた。
「勇者」
そのアレンの言葉。
それに男は小さく頷き、アレンを覚悟を決めた表情で見つめ返したのであった。
※※※
深い断崖の影に沈むその街は、朝日さえ届くのをためらうようだった。
切り立った岩壁のあいだに押し込められるように築かれた石造りの家々は、常に薄闇に包まれ、昼と夜の境目が曖昧なまま息づいている。
谷を渡る風は冷たく、湿った苔と血の匂いを運ぶ。かつてこの地で幾度も流された血が、岩肌に染み込み、未だに抜けきらぬのだと人々は囁く。
街を貫く一本の黒い川は、渓谷の底を這うように流れている。水面は濁り、時折、誰とも知れぬ呻き声が混じると噂された。子どもたちはその声を「亡者の囁き」と呼び、大人は決して川に近づかせなかった。
街の中心には、崩れかけた鐘楼がある。
鐘はとうの昔に鳴らなくなったが、夜更けにひとりでに低い音を響かせることがあるという。その音を聞いた者は翌朝、姿を消す。谷の闇に喰われたのか、それとも――。
それでも人々はこの街を離れなかった。
谷壁に穿たれた坑道が、鉱石とともに古き魔の力を掘り起こすからだ。黒鉄と呼ばれるその鉱石は、武器にも呪具にもなる。渓谷の街はそれを売り、辛うじて生を繋いでいるのだ。
しかし街を訪れる旅人は少なく、夜には灯る篝火さえ谷底の闇に呑み込まれる。
ここは、生き残った者が影の中で生き延びる街。
渓谷の街《ヴァル=グラース》。地図の上にありながら、世界から忘れられた街。
〜〜〜
渓谷を覆う霧は、昼なお月夜のような白さで、男の視界を奪っていた。
岩壁に穿たれた細道を進む男は、慎重に足を運んでいた。背には黒ずんだ剣を背負い、外套の裾には泥と血が乾いてこびりついている。
「ここが《ヴァル=グラース》か」
霧の切れ間から、谷底に張り付くように広がる街が見えた。石造りの家々は苔むし、崩れかけた屋根からは黒い鳥が飛び立つ。
遠く、川の流れに混じって、何かが呻くような声が響いた。
男の名は――アシェン。
王国が認知しない、さすらいの勇者。
彼は死人を葬ることを生業としていた。死霊や屍兵に溢れる戦場を渡り歩き、その腕で糧を得てきた。
だが今、彼が呼ばれたことの理由。
それは、別にあった。
街の鐘楼に巣食う「影の主」が、人々を喰らい始めたという噂。
夜ごと鐘が鳴り、翌朝にはひとり、またひとりと姿を消す。そして、その名もなき影は黒鉄の鉱石をも腐らせ始めた。
谷底の入り口で、アシェンを出迎えたのは痩せこけた少女だった。
煤で黒ずんだ布をまとい、瞳だけが異様に冴えた光を放っている。
「来たのね。さすらいの勇者さま」
「お前が依頼主か?」
「いいえ。私はただの案内役。貴方に言伝をしたのは街の『鐘守』よ」
鐘守。
崩れた鐘楼を代々守り続ける一族の末裔。
だが今は鐘が鳴るたび、人が喰われる。守るはずのものが呪いに変わった。
少女は怯えたように川の方へ視線を落とし、囁いた。
「気をつけて。この街の闇は、生きてるの」
「だから。さすらいの勇者さま」
アシェンは黙して答えず、腰の剣に手を添えた。
そして、吐き捨てた。
「なら。おまえら全てを根絶やしにすればいいだけのこと」
驚いたように少女はアシェンを仰ぎ見ようとした。
だが、次の瞬間。
少女は斬られ、自らの鮮血を散らされながら、谷底へと蹴落とされる。
べきっ
という鈍い音と共に。
少女は見た。
こちらを見つめ、嘲笑するアシェンの姿を。
そして少女は瞳から光を無くし、谷底の闇へと消えていったのであった。
〜〜〜




