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灰色の空間に、静寂が訪れた。
飛び散った血肉はゆっくりと地面に落ち着く。エマは膝をついたまま、小さく荒い呼吸を繰り返していた。嗤いも声も、戦闘中の鋭さは失われている。
アレンは拳を引き、影のように静かに立つ。
掌にはまだ闇の余韻が残っている。
しかし、もはやその拳を振り下ろす必要はない。
エマはわずかに顔を上げる。
灰色の瞳の中に、わずかに光が宿る。
嗜虐ではなく、どこか悲しげな灯火。どこか儚い灯火。
その血だらけの顔に、アレンは声を落とす。
「オレは」
「オマエには止められない」
ぽたぽたと滴る、灰色の血の雫。
瞳には、闇。エマに向ける光は一切無い。
そんなアレンを見つめ、エマは声を紡ぐ。
「あぁ……なんて、すてきな、闇。なのかしら」
その声に宿るのは、淡い羨望。
〜〜〜
"「エマ。今日の夜はエマの大好きな」"
"「ふふふ。エマは本当に絵本が好きなのね」"
霞みゆく、意識。
そこに滲む、情景。
暖炉の火に包まれた温かなベッドの中。
父と母に寄り添われ、絵本を読んで。
〜〜〜
「あなたみたいな、闇が。素敵な闇が。きてくれたなら、よかった、のに。な」
アレンに手を伸ばし、エマは求めるようにその手に触れようとする。
理性なき闇。
家に現れたその闇は、幼きエマを嘲笑うかのように、人を喰らった。
ぐちゃぐちゃと音を立て、泣き叫ぶエマを嘲りの横目で見つめながら。
膝を抱え、エマは父と母の喰われる様を見つめ続けた。ぽたぽたと壊れたように涙を流し続けながら。
そして、闇がエマに矛先を向けようとした時。
エマの心は赤に染まった。
エマは、【勇者】に選ばれた。
エマは視線を落とす。
嗤いは消え、短く息をついた後、力なく声を響かせる。
「やみだけは……ゆるせない。ど、どんなささいな芽でも摘まないといけない。けれど」
「ふふ……あなたみたいな、救済が咲いてくれるのなら……わたし、は」
灰色の空間。
そこで、二人だけが沈黙の中に存在する。
色を失った世界は、もはや戦闘の舞台ではない。
立つのは、闇と、かつて勇者だった一人の人間のみ。
アレンはゆっくりと手を伸ばし、エマの手に触れる。
そして、呟いた。
「オレは」
「この世界を闇で包む」
「ただそれだけだ」
エマは再び、顔を僅かにあげる。
そして、小さく微笑み、縋るように声を響かせる。
「あり、がとう」
「救済の」
「ゆうしゃ、さま」
"「エマ。今日は救済の勇者様のお話をしてあげるわね」"
"「わーい!」"
消失される意識の中。
エマは優しく笑う父と母の笑顔を思い出す。
「まま。ぱぱ」
流したことのない涙。
それを一筋、エマは頬に伝わせる。
そして、アレンの手からエマの手のひらが擦り落ちる。
ふっと。まるで糸が切れた人形のように。
灰色の世界。微かな静寂が流れる。
二人の争いは終わった。
勇者の死をその結末として。
【救済】
【この空間を赤無き世界から】
アレンは、空間を元に戻す。
灰色が消え、世界は少しずつ赤を取り戻す。
エマの真紅に抱擁された亡骸。
それを見下ろし、しかしアレンの表情に曇りは無かった。
そして――赤が戻り、再び、赤に包まれたエマから意識を逸らし、アレンはその身を翻す。
闇に抱かれながら、その瞳に一切の揺らめきも起こすことなく。
その足を踏み出したのであった。




