⑬
屋敷の影が徐々に遠ざかる。
アレンの足音。それだけが夜の静寂に吸い込まれていく。
冷たい風が吹き抜け、樹々の葉はざわめく。
その葉が揺れる様。それはまるで、アレンの纏う闇を畏れ深緑の身を揺らす小さき者のよう。
「ーー」
耳の奥に響く主なき声。
その声は、アレンにのみ聞こえる声。
救済の勇者。
その存在に救いを求める姿無きモノたち声の反響。
「たす、けて」
呼応し、アレン胸の奥で胎動する闇。
響く声。
それは、ただの声ではない。
見捨てられた者たちの叫び。踏みにじられた者たちの声。そして救われることを望み、それを叶えられなかった魂すべてが形となったモノ。
街灯のひとつもない小道を歩くたび、闇はアレンの肩に寄り添い、時に指先にまとわりつく。
まるで自らたちも、アレンに救済を求めるように。
月が雲に隠れる。
呼応し、風が消える。
声も、消える。
しかし、アレンの双眸に蠢く闇は、光を取り戻すことはない。
家々の明かりがぽつりぽつりとアレンの視界を照らす。
だがその光は、アレンの目には蝋燭の灯火にしか見えない。そう、ただの蝋燭の灯火にしか。
どれほど、歩みを進めただろう。
アレンは静寂の街並みを抜け、波のうちつける波止場に佇んでいた。
黒々と広がる夜の海。
風に撫でられ、うねるその黒々とした海面。
それはなにか巨大な漆黒の獣のようで、言いようもない恐れを心に植え付ける。
月は三度、その顔を雲の隙から覗かせた。
そして海に浮かぶ一条の光。
アレンはそれを見つめ、【声】に意識を向ける。
闇がアレンを包み、アレンに声を聞かせた。
深く息を吸う、アレン。
声は応えた。
「救済」
「"我"を」
響く声に力はない。
しかしその声に込められた混じり気のない意思。
それは、人ならざるモノの意思そのもの。
だが、アレンは畏れない。
手のひらをかざしーー
瞬間。
アレンの纏う闇。
それが、異様な広がりを見せる。
だがそれはすぐに収まり、アレンはかざした手のひらを握りしめた。無機質に。まるで、遥か高みから見下ろす存在のように。
救済の勇者。
彼のその闇は蝕んでいく。
じわりじわりと。世界を、その揺らぎない救済の意思によってーー。
〜〜〜
同時刻。
「知らない。わ、わたしはなにも知りません。た、ただ。あの日の夜に彼と一夜を共にしただけではありませんか。それは……こ、この村の風習です」
「あ、アレンは確かに俺の子だ。だ、だが。アレンが今、どこで何をしているか? なんてこと。わ、わからねぇに決まっている」
ゼラスの屋敷。
その応接室にアレンの幼馴染とアレンの父は、連れ出されていた。
騎士たちの手によって。
半ば強引に。
二人はその場になぜか正座させられている。
硬い床の上。そこに、まるで罪人のように。
そして、その二人の眼前にはゼラスと従者の姿が佇んでいた。
二人の表情は対照的で、ゼラスは血の気が失せ、従者は怒りを押し殺しているかのよう。
口火を切ったのは、従者だった。
「貴様ら二人を城に連行する。そして、この村の処遇。それは王と聖女様に委ねることとする」
「いく数人の村人共も連行していけ」
目を見開く、二人。
しかし従者は反論を許さない。
「反論があるなら、王の眼前で聞こう」
「連れていけ」
吐き捨てる、従者。
それに応え、騎士たちは喚く二人の身を拘束し、屋敷の外へと立ち去っていく。
それを確認し、従者はゼラスの耳元で囁く。
「覚悟はしておくことだ。もし勇者殿が、この件をもって闇に心を堕とすようなことがあればーー子々孫々。罪は消えることはないぞ」
そう冷酷に告げたのであった。
〜〜〜




