12 面差し
「おい、ディラン!」
病院から大通りへ戻ると、赤みがかった茶髪の青年がディランのもとに走ってきた。同僚のロバート・ホプキンズだ。
彼もまた同じ警備隊の一員であり、ディランの友人のひとりだ。トラブルを起こしやすい人物だが、こうして勤務中にディランが手こずりそうな事案が発生すると援護に駆けつけてくれる。
見た目の軽さに反して義理堅い。
「ロイか。もう問題は解決したぞ。カベンディッシュなんとかってヤツが子供の世話まで見てくれることになった」
「カベンディッシュ……って、あのカベンディッシュか?」
通称ロイはディランのあげた名前に大きな反応を見せた。
「カベンディッシュて名前はそんなに有名なのか?」
大袈裟に驚く友人にディランはつまらない茶々を入れる。
よほど有名な人物だったのかと尋ねれば、ロイは興奮気味に友人に答えた。
「おまえ、ギルバート・カベンディッシュを知らないのか? 現役のカベンディッシュ侯爵だぞ!」
「へぇ……そうなのか」
どうりで品がいいはずだとディランは納得する。
「いまや社交界の花形って言われるほどの色男って噂されてるんだぞ。下町界隈じゃ俺も負けてないけどな」
ディランは、ロイの言葉を半ば無視してカベンディッシュ侯爵の姿を思い浮かべた。
――色男……まぁ、あれなら女にモテるだろうな。
彼ならば女性のほうから寄っていくにちがいない。容姿にも恵まれ、正義感あふれる行いに人望も集まることだろう。
実際ディランも彼に対する印象は好ましいものだった。
貴族のわりにはいいヤツに見えた。ディランにはそれで充分だ。
「おまえ、ずいぶん詳しいな」
上流階級の情報にまで精通している友人に感心した。
「おまえが物事に無関心すぎるんだよ! 酒も女も興味がないなんて逆に人間としての欲求が欠落してるんじゃないか?」
呆れる友人の反論にディランは苦笑する。
女性関係が派手なロイから見ると、ディランは人生の楽しみがなさすぎると言うのだ。…本人は今の生活に不満などないのだが。
同僚と警備隊の本部へ戻るため時間を確認しようと思ったときだ。後方から自分たちを追い越す一台の馬車にディランは釘づけになった。
馬車の窓から乗客の横顔が一瞬見えたのだ。
「アラン!」
車内に見えたのは星屑の森で長い時間を共有した幼い友人の姿だったのである。
慌てて馬車を追いかける。
「おい、ディラン! どうしたんだ?」
突然走り出した友人に面食らったロイが声をかけたが、ディランは構わず馬車を追う。
しかし、二頭立ての馬車を相手にしては体力に自信がある警備隊の剣士も敵わなかった。力尽きたディランは、夕闇のなかに消えていく馬車を見送るしかできなかった。
「あの馬車がどうしたんだ?」
「知り合いが乗っていたような気がしたんだ……カタルの村の友人が」
息を整えながらディランは友人の問いに答える。
「カタルの村って、あの魔女さんの村だろ? 見まちがいじゃないのか……王都に簡単には来られないだろう」
ロイの言う「魔女さん」とは、恩人である魔法使いポーシャ・ウォレンのことだ。粗暴な魔法使いにアヒルの姿に変えられたディランをもとの姿に戻してくれた。
辺境の森の一軒屋に住みついて人間と精霊の交渉役に立っている、妙な女魔法使いだ。
腕利きの魔法使いなのに目立つことは好まないし、必要に迫られなければ魔法も使いたがらない。
ディランは王都メルフォルトに戻ってからも、謎めいた彼女のことがずっと気になっている。
時間が経つにつれて人の印象は薄れていくものだが、彼女に関しては真逆だった。ことあるごとに彼女と過ごした日々を思い出してしまう。
先程だって、カベンディッシュ氏の瞳の色が彼女とよく似ているなと考えていたのだ。
そのポーシャと懇意にしているアランを見まちがえるとは思えない。ディラン自身、少年とは年齢を越えた友情を育んできたのだ。
「妙だな……」
ディランは自分のなかの矛盾に頭をもたげる。
考えてみれば、アランが王都にいるほうが不自然だ。先日彼をメルフォルトへ招待すべく手紙を送ったばかりである。
カベンディッシュ侯爵と同様に上流階級専用の馬車に、田舎の農民の子が乗っているはずがない。カタルの村から王都まで馬車を乗りついてでも二日はかかる。
ほんの一瞬、車窓から見えた子供の顔が知り合いに似ていただけで走行中の馬車を止めることはできない相談だろう。
しかし、職業柄人の顔を覚えるのは得意だし、人混みのなかで知り合いを判別するのもお手のものだ。
――他人の空似か……にしては似すぎている。
窓から見えたのは、自分の知る少年の横顔そのものだったのだが。
どうも釈然としない。
「おい、ディラン。本部へ戻ろう。どこで油を売ってるんだって班長に叱られるぞ!」
ロイの言わんとしていることはよくわかっていた。アヒルから人間に戻るため星屑の森ひと月以上逗留したため、復職したディランは仕事を選んでいる暇もない。
あまりに忙しくて、アヒルの身で散歩していた長閑な時間が恋しくなるほどだった。
止むを得ず剣士は本来の目的地へ向かって歩き出す。
冬の空には、一番星が輝きはじめていた。




