10 守護者(2)
火狼ルーは、本気で星屑の森に留まることにしたらしい。
これから狼が自分の生活に干渉してくるのだろうか。
厄介なことにならなければいいが……そう危惧しつつも、魔法使いは冗談のつもりでルーに手を差し伸べた。するとルーのほうも条件反射なのか、ポーシャの手に前足をポンと乗せたのだ。
傍目から見れば狼が「お手」をする光景である。
込み上げてきた笑いを噛み殺し、ポーシャは別の話題で相手の関心を逸らした。
「それで、他に話しておきたいことはある?」
「参考までにふたつばかり話しておきたい。まずは、面倒ごとを避けたいのであればアフレムに足を踏み入れるな」
アフレムは、メルフォルト王国よりも北東に位置する国だ。
「理由を説明してくれる?」
「アフレムでは、稀人は招かれざる存在だ。島から渡ってきた一部の稀人が私利私欲の限りを尽くした歴史がある」
混乱を恐れた先代のアフレム国王は、稀人とおぼしき者を制圧、追放することにしたらしい。今でも稀人はアフレムの国では禁忌の存在だというのだ。
「魔法を受け入れても、アフレムは稀人を拒む」
「わかった。気をつけるわ」
自分が稀人である自覚はないものの、危険地帯に足を踏み入れるほど無謀な真似はしないでおこうとポーシャは何度か頷いた。
「もう一点は?」
「こないだアヒルと一緒だった子供のことだ」
「アランのこと? 彼がどうかした?」
ルーがアランについて言及するとは思わなかった。両者が対面したのはわずかな間だったからだ。
「やはり気づいてなかったか。あの子はおまえと同じティアレスの力を受け継いでいる」
「えっ?」
まったく予期せぬ話題に、ポーシャは声をあげてしまった。
たしかにアランは森の精霊が見えるし、彼らと交流もできるが、子供のころには珍しくないことだ。成長に伴い「見る」力は失われていくのがほとんどである。
「ティアレスの末裔ってことは、アランも稀人なの?」
「それはちがう。魔法を使えるかもしれないが、おまえのように先祖返りはしていない。髪の色もちがうだろう?」
ルーはブルッと首を振りながら魔法使いからの質問に答えた。
「一世代先に大陸へ渡っただけでも血の力は著しく失われていく。どの国の民と交わるかでも潜在的な魔力が薄まる度合いがちがうようだ」
「でも、同じ力を受け継いでいるって……」
「まったくの勘だが、そうでなければあのとき、おまえとあのコの波動を取りちがえたりはしなかった」
あのとき、とはルーがディランとアランに遭遇したときのことだろう。
アランがいたから、最初彼らに接触したというのだ。それがまちがいだと気づいたのは視界にポーシャの姿を捉えた瞬間だったという。
本来接触するべきだったのが、彼女であったと。
「波動のちがい?」
「これは人間にはわからないらしいな。力の強弱だけではないのだ。人にはそれぞれ独自の色や模様のようなものがある。同じ血を継いでいればそれに近しい特徴を見せるものなのだ」
勘と言っておきながら、結局まちがいないと火狼は断言した。
周辺の国々に散らばったティアレスの民は、移住した地で魔法の伝道者になったのかもしれない。
「わかりやすく言えば、おまえとあのコは遠い親戚のようなものだ。納得できないのであれば、あのコの髪の毛を譲ってもらうといい」
「いいえ、やめておくわ」
アランの父親との約束がある。無理に出生の謎を掘り起こすのは気が引けた。
「あのコに直接確認すればいい」
「私の記憶を読み取ったのならばアランの出生について誰も知らないこと、わかってるでしょう?」
養子であるアランの出生については、養父母さえも知らない。それを確かめる必要があるのかはアランが成長してから本人に決めさせるべきだとポーシャは箴言したのだ。
「全部読み取ったわけじゃない。最低限の礼儀は心得ているからな。私が見せてもらったのはエイダと関わりがありそうな部分だけだ」
ポーシャの記憶を覗いたことは否定しないらしい。
「お気遣いありがとう」
魔法使いは肩を落としてルーの配慮に礼を言った――もちろん皮肉である。
「さて、要件は済んだ」
火狼がすっくと立ち上がる。
「え? どうするの?」
「森のねぐらに帰るのだよ。私が屋敷に居座れば、おまえの気が滅入るだろうからな」
そう言うと火狼は意味ありげに魔法使いを見上げた。
「そんなことはないわ。ちょっと仕事がやりにくいと思っただけで……」
思わず本音が出てしまい、ポーシャは慌てて言葉のつづきを飲み込んだ。
火狼も多少の礼儀はわきまえているらしい。それに三百年間、大陸を放浪してきたのだから知恵者であることはまちがいない。
「どうせ外は雪よ。慌てなくても出て行ってほしいときはこちらから頼むわ。そのまえに、あなたの知っているティアレスや稀人の知識をもう少し教えてもらえないかしら?」
「いったいどういう風の吹きまわしだ?」
「知っておくことに越したことはないと思って。私のご先祖さまかもしれない人たちの話でしょう?」
そう思ったのは、母が自分たちの出身地はおろか、父親が誰かも明かさなかったからだ。
いつかは打ち明けてくれると思っていた。
しかし、その「いつかは」もう永遠にこない。
知るべきことは、知っておきたいと願うのも権利のうちだろう。
「狼の昔話につきあうのか?」
「森のなかの一軒屋よ。話し相手は精霊か常連の子供だもの。今さら狼が加わっても大きなちがいはないでしょう?」
ポーシャは微笑み、次いで窓の外の雪へと視線を移した。
どうやら雪が止む気配はないようだ。
相手には時間がたっぷりある。ついでに歴史の勉強につきあってもらうのもいいだろう。
ポーシャは冬の長い時間を共に過ごせる話し相手を得たのだった。
火狼ルーから授けられた知識は、星屑の森の魔法使いの今後の人生で遺憾なく発揮されることになる。
しかし、それはまた別の話だ。




