09 守護者(1)
ポーシャと火狼のあいだに再び沈黙が降りた。
「私は、呪いや害を及ぼす魔法を解くこと、解毒を専門とする魔法使いになったの」
薬草学は解毒手段のひとつとして学んだ。子供のころから母の薬草の調合を手伝ってきたので知識はいくらでも吸収できた。
実際、そのおかげでカタルの村で流行る風邪を治すことができたのだ。
魔法使い長老バールが、時折難解な魔法の治療をポーシャに依頼してくるのは、彼女が専門家であると同時に若い魔法使いに経験を積ませてやろうとする想いからだろう。
ポーシャの過去を承知したうえでの采配である。
「だが、このままでは母親の二の舞になるのではないか?」
火狼はふるふると尻尾を振りながら鼻先をポーシャに向ける。挑発するような物言いが癪に障った。
「そのために経験も積んできたわ」
「だが、備えが足りない。私と対峙したときだって隙が多かった。多すぎだ! 髪を切り取られたときのことを忘れたのか?」
魔法使いは言葉に詰まった。
「あれは……っ」
狼を納得させる答えなどなかった。あのときは、結界で相手の干渉を防ぐのが正解だ。
魔法使いとして修業を積んできたものの、いざ第三者から辛口の評価を受けると悔しいものだ。勉強してきた時間を否定されてしまうような気がして、ポーシャはきゅっと唇を噛んだ。
「呪いや性質の悪い魔法を扱う輩は、非情な人間がほとんどだ。そんな奴らに性善説など通用しない」
言い訳は許さないとばかりに狼は訴える。
――どうして私が狼に叱られているの?
養成学校時代の教授から説教されたことを思い出す。話が本題から逸れているではないかと慌てて反論した。
「待って! あなたはエイダって稀人の子孫を見つけ出すのが目的だったのよね? 私が子孫だとして目的は果たされたんでしょう?」
「いや、目的はそれだけじゃない」
狼の発言にポーシャの眉間に深い皺が刻まれた。
なにか、嫌な予感がする。
「私の真の目的は、エイダの子孫が幸せであるかどうかを見届けることだ」
「は?」
ポーシャは耳を疑った。
――幸せかどうかってどういう意味よ?
そんなことは人に(この場合は狼だが)判断されるべきことじゃない。自分の心が満たされているかどうかの問題だ。
「だが、やっと見つけたエイダの子孫はいつ命を落とすかわからない稼業。手放しで喜べるはずがないだろう」
ポーシャは開いた口が塞がらない。
「少なくても自分の身を守れる魔法の使い方を身に着けなければならない。とくに接近戦はまったくの素人だ。すべてを習得できてこそはじめて一人前の魔法使いというものだ」
「……っ」
腹が立つ一方で、先程から狼が言っていることは的外れでもないのでポーシャは反論できない。
火狼の指摘はほぼ図星なのだ。薬草学や解呪の魔法については人一倍、二倍三倍と研究してきたが、魔法を扱う戦闘は苦手意識がある。
魔術師養成学校では、主席で卒業したものの実戦は他の生徒よりも不向きと評価されていた。
当時は、そう評されても不満はなかったが、今回狼と遭遇で浮き彫りになった自分の欠点を痛感している。
「あなたは……結局なにが言いたいの?」
「私が、知恵を貸す」
即答されたはずなのに、意味がわからなかった。
「え? 知恵って……?」
「私がおまえのそばで状況に合った魔法の使い方を教えるという意味だ」
ポーシャは軽い眩暈を覚える。
――この土地に居座るつもりなのね……
最初からそのつもりだったのでは、と魔法使いは火狼を睨んだが、視線はあっさりかわされてしまった。
「森の精霊たちには話を通しておいた。気のいい精霊たちで助かったぞ」
「なっ……」
それは快諾というより止むを得ず承諾したということではないか。以前狼と遭遇した際は、狼の強い波動に精霊たちが息を潜めて隠れていたほどだ。
ポーシャはあとで真偽を確かめなければと思い、無意識に溜息が零れた。
しばらくは火狼がつきまとってくるらしい。頭のなかまで覗かせてポーシャを騙す必要はないだろう。狼にはなんの得もないのだから。
むしろ短期間でよくも話をまとめたものだと怒りを通り越して呆れてしまった。
「嫌といっても無駄みたいね」
「物わかりのいい生徒で助かる」
すっかり先生気どりの火狼だ。釈然としないが、様子を見てみるのも悪くないと魔法使いは判断した。
「それじゃ、私もあなたの名前を呼ばせてもらうけどいいかしら?」
「異論はない。おまえはなんと呼ばれたい? ポーシャか? ウォレンか?」
どちらもポーシャの名前にはちがいない。しかし、大体の場所で通用する呼び方が一番いい。
母がつけてくれた名前だ。
「ポーシャと呼んで。今のところウォレンと呼ぶ人はお役所や仕事のお客くらいだから」
ふむ、と火狼は喉の奥で返事をする。
――アヒルの次に狼とはねぇ。
もちろん、ディランはもとが人間なわけだから同類と扱うのは気の毒かもしれない。本人が知ったらさぞ不満を漏らしたことだろう。
「よろしくね、ルー」
ポーシャにとってはなんでもない挨拶だったが、火狼は耳をピンと立てて反応した。
生気に溢れた目で魔法使いに応える。
「うむ。よろしく頼む」
火狼ルーの反応に、ポーシャは推測ではあるが、確信をもった。
――もしかして、喜んでる?
なぜか、教師気どりの火狼ルーを憎めない。
妙なものだとポーシャは肩を竦めた。




