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星屑の森の魔法使い  作者: 灯野あかり
第3章 星屑の森の魔法使いと紅蓮の狼
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06 滅びの島の記憶※挿絵あり

 火狼がその地に辿り着いたのは、大陸で生まれてから百余年あとのことだった。精霊と同様に自然世界に生まれ落ちた霊狼の類は移動も自由自在だ。


 終わりの見えない寿命を楽しむために敢えて不便な道を選ぶことを覚えはじめた。

 海を渡り行きついた島は、霧の結界で守られて大陸からの干渉を受けることなく独自の進化を遂げていた。

 島の人間の特徴は、生活の至るところで魔法を使っていたことだ。火を起こすことも簡単にやってのける。特に、白金色の髪の人間は生まれつき強い魔力を備えているようだった。


 力に見合った知恵を備え、人々は平和な生活を望んでいたように見えた。

狼は、他の種族に干渉する気はなく、人の目が届かぬように自分のねぐらを確保して日々を楽しんでいただけだ。


 開けた草原は、島民の集落から相当離れたところに位置しており、火狼のお気に入りの場所でもあった。

 風に運ばれてくる潮の香り。力強い地の感触。

 生気に満ちた大地にいることで、火狼も活力を取り戻せる。

 ところが、その平穏な生活がひとりの少女の出現によって壊された。


「あら……あなた、精霊さん?」


 人目に触れることなく優雅に、自由を謳歌する生活を送っていた狼は、このときはじめて島の人間に見つかってしまったのだ。

 人との接し方を知らない狼は動揺した。


「ちがう。狼だ……見ればわかるだろう」

「すごいわ、あなた喋れるのね!」


 このとき、狼は墓穴を掘ったことに気づいた。不審に思われても、ただの狼のふりをしておけばよかったのだ。しかし、すでに手遅れである。


 他の民と同じ白金色の長い髪は、ふわり波打ち白い肌と相まって色素の薄い娘だと思った。むしろ彼女のほうが精霊に近い存在だと感じた。


挿絵(By みてみん)


「ねぇ、私エイダっていうの。エイダ・ウォレンよ。あなたのお名前は?」


 十五、六の少女は好奇心に満ちた目で狼に近づいてくる。


「私は人の目にふれることのない命だ。名前など必要ない」

「でも、これからは私があなたを呼ぶときに必要になるわ」


 少女は思案して名無しの狼をルーと名づけてしまった。

 草原にやってきたのは、ただの思いつきだと言っていたが、彼女はルーを含めこの場所が気に入ったと笑顔で言った。


 物怖じしないエイダは、頻繁に火狼ルーのところへ通うようになったのだ。

 エイダは魔法を使えるようだったが、狼のまえで力を使おうとする素振りは見せなかった。


「魔法は使えるけど、むやみに使うものじゃないってお父さんに言われているの」


 力を使わない理由をエイダはそう話していた。

 ただ、歌は別だ。

 彼女の歌声には他の者にはない癒しの力があった。


「この島の人しか知らない歌よ、聞かせてあげる」


 唇から紡がれる旋律に、火狼は時折うたた寝するまでに心を癒された。

 最初は鬱陶しく感じていたルーも、しだいに彼女の熱心さに絆され、話し相手になってやる寛容さを見せた。

 交流は三年あまり続いた。

 そのころには少女は嫁ぎ先が決まったことをルーに報告し、狼は少女を祝福するような間柄になっていた。

 ところが、結婚が決まって充実しているはずのエイダの表情が日に日に曇っていったのである。


「ルー……村で大人たちがケンカすることが増えたの。誰の意見を優先するかで口論が絶えないわ。すごく……すごく嫌な感じがする」


 エイダが十八歳で輿こし入れする直前、ルーに自身の抱える不安を明かした。ティアレス島の住人は百人と満たない。そこで派閥はばつが生まれ、争いはじめているというのだ。


「お父さんと叔父さんが争いの中心になっているのよ。どうして魔法を使うために争わなければならないの?」

「おまえが気に病むことではないよ、エイダ。稀人は賢明な民だ。きっと正しい答えを見つけるだろう」


 結婚の準備に追われている彼女の気持ちが不安定になっているのだろうと考えていた。 

 しかし、すべては取り越し苦労だと信じていたルーの想像はあっけなく裏切られることになったのだ。


 + + + + + +


「ルー! ルー!」


 それは、エイダの婚礼の儀が執り行われる当日に起きてしまったのだ。

 ねぐらで休む狼を起こしたのは、エイダの切羽詰まった叫びだった。


「エイダ、どうし……」


 横穴から這い出してきたルーは目を疑った。

 前日まで念入りに手入れしていただろう花嫁衣裳が血しぶきで赤く染め上げられている。

 装飾品として作られたビーズの首飾りから血がわずかに滴っていた。


「助けて! お父さんが叔父さんに……ああ……っ!」


 すでに涙で汚れた顔を手で覆い、エイダは悲嘆に暮れた。


「なにが起きた? エイダ!」


 必死にルーのもとまで走ってきたのだろう。

 エイダは混乱と酸欠で脈絡のない説明を繰り返す。そこから拾い上げた情報でルーが理解できたのは、エイダの父親が叔父に殺められたという事実だった。


「叔父が民の先導者になるって……これまで父が邪魔してきたと言っていたの。でも魔法の力で人を従わせるなんてまちがったやり方だわ!」


 泣き濡れた頬を手の甲で拭いながらエイダは繰り返す。


「どうして……どうしてなの?」


 エイダはルーの身体にしがみついて号泣する。その声は、この世の終わりを告げるかのような悲しみに満ちていた。

 生命の賛歌を歌っていた彼女が、このときから絶望の嘆きを歌うことになってしまったのだ。


 そしてルーは見た。稀人たちの陰惨な歴史のはじまりを。

 魔法で人が人を殺める悲しい所業を。

 弱者を力でねじ伏せる強者の愚かな行いを。



 魔法と武力で争いをつづけた一部の稀人から逃れるべく、民の多くが自ら結界を破り外の世界を目指した。

 魔法文化が大陸に伝えられるようになった理由は、ティアレスの頽廃たいはいだった。

 それでも島に残り、覇権はけんを我がものとせんと戦った末裔たちは、ついに島そのものに見放されたのだ。

 エイダとルーの一件から二五〇年後、ティアレスの島に働く魔力によって稀人はその地で生きられなくなった。


 事実上、追放されたのである。


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