05 暖炉の火 ※挿絵あり
場所を変える。
移動先は、星屑の森のポーシャの家だった。
魔法使いは話し合いの場に自宅を選んだのだ。
キィと扉が開く。屋敷の主が接近すると勝手に開くように魔法がかけられていた。
開いた扉のまえで狼は立ち尽くした。ポーシャからも見ても、足を踏み入れるべきか迷っていることは明らかだった。
「さあ、どうぞ」
ポーシャのあっけらかんとした物言いに狼は困惑したようだ。
「気はたしかか? 結界まで張り巡らせた屋敷のなかに私を招き入れるというのか? 私が攻撃でも仕掛けたらどうする?」
狼が警戒するのも無理はない。危うく一戦交えるところだった相手から家に招待されたのだ。なにかの罠と疑っても当然だろう。だが、狼の言葉は人間を警戒するというより、ポーシャの無防備さを窘めているように聞こえる。
「あのまま雪が降る寒空の下で世間話をしていられないでしょう? ただでさえこっちの体は冷え切っているのよ。それとも、本当に攻撃してくるつもりなの?」
ポーシャが語気を強めると、狼は渋々家のなかに入り、先導されるまま居間へやってきた。
魔法使いが暖炉に薪をくべて火をつけようとしたが、火種を作るまえに突如薪が燃えだした。
「……これは得意分野だ」
狼は朝飯前だと言いたげだ。炎の属性である火狼は火を操ることに長けている。
「早く温まるといい。冷え切っているのだろう?」
ポーシャは薪に火がついたことよりも、火狼の言葉に驚いた。
狼に促されて、暖炉のまえに陣取った。薪が実際に燃えているので炎の熱に凍えた体の強張りが解けていく。それでも華奢な魔法使いがもとの体温を取り戻すには少しばかり時間がかかった。
火狼は、魔法使いの様子を窺いながら毛足の長い絨毯のうえに座る。
ポーシャは、暖炉から少し離れた長椅子に座り直して、今度は狼が話しはじめるのを待った。
相手が話しはじめるための間だ。
「……遠く離れたティアレスという島を知っているか?」
「地図は読めるわよ。ティアレスは魔法使いにとっては『魔法のはじまりの場所』と言われているところね」
ティアレスという島国は、魔法文明発祥の地として知られている。
近隣の国の魔法文化の礎となった魔法書が発見された場所だからだ。
その後、周辺国の取り決めで特別な理由がない限り、互いにその土地へ入ることは禁じられている。
五十年ほどまえに突如現れた島で、大陸の人間たちが上陸したときには住人はひとりもいなかったと書物に書き記されている。
代わりに膨大な魔法関連の文献が発掘された。それをもとに各国の魔法文明は独自の発展を遂げているのだ。メルフォルト王国も魔法に関してはティアレスの恩恵に与っていると言っていい。
上陸禁止の協定が結ばれる直前に、謎の遺跡も発見されてた。以来魔法使いのあいだでは魔法が生み出された聖地として崇められている。
「おまえの言うとおりだ。ティアレスはたしかに魔法が発達していた場所だった。だが、魔法は稀人が使ってきた術に過ぎない」
「稀人って?」
聞きなれない言葉に魔法使いがその意味を尋ねる。
「ティアレスの現地民のなかでも限られた人間のことだ。かつて神と精霊の中間にあった民。魔法を使うことに長けた種族……それが稀人なのだ。おまえのようにな」
「私が、稀人……ティアレスの?」
おとぎ話でも聞いているようだ。遺跡や書物が証明するように、魔法はティアレスからもたらされたと理解はできる。だが、島の住民についての記録は一切見つかっていない。
稀人という種族そのものがポーシャは初耳だ。魔法史の資料でさえ稀人という言葉を目にしたことはなかった。大陸の歴史のなかでも語り継がれることのなかった存在ということになる。
長命の火狼だからこそ知り得る事実であり、大陸全体の魔法史そのものを塗り替えることになるだろう。
ポーシャは母親からティアレスについて聞かされたことは一度もなかった。
「なぜ? 髪から血脈を辿ったとはいえ……稀人という根拠はどこにあるの?」
ポーシャは自分自身が魔法を使っておきながら、理屈で証明されないと事実を受け入れられない節がある。残りは魔法使い特有の勘だが、これは理屈ではなく全身が訴えるかけもので他人への説明は難しい。
「その髪だ。白金色の髪は稀人の特徴だ。先祖返りした者に表れやすい……今まで家族以外に同じ髪の者に会ったことがあるか?」
「……いいえ」
母・ミレッタ以外にそんな人間はいなかった。特異な色の髪は悪目立ちして嫌な思いをしたことがたくさんある。
髪の色と魔法を使えることを一括りにされ、不吉だの異教徒だの謂れのない迫害を受けたことも一度じゃない。
髪の色は、自分が周囲の誰ともちがうと知らしめるものでしかなかった。
――おまけに先祖返りですって?
母と自分にだけ、すでに存在さえしていない種族の特徴が顕著に表れたということだ。
「ただでさえ少なかったティアレスの民は、紛争で激減してしまったのだ……愚かしくも、かけがえのない命が――」
狼の言葉に悲しみとも侮蔑ともつかない感情に滲む。ポーシャは、その感情が偽りとは思えなかった。
「紛争なんて聞いたこともなかったわ。それに髪の色だけでは根拠が乏しいのでは――」
「なにを言う。歴史の生き証人である私が言っているんだぞ! それに、おまえの強大な魔力が何よりの証拠だ」
狼の言葉はこれまでにない強い語気を纏っていた。
「おまえの魔法の波動は、かつて私が感じとった稀人のそれとよく似ているのだ。完全に同じとは言えないが……本当に似ている。三百年あまりまえに出会ったひとりの娘と――」
床に伏せていた狼は慇懃に体を起こし、長椅子に座るポーシャのまえまでやってきた。
きちんと座り直し、顔を魔法使いに突き出す姿勢になる。間近に見る狼の体は思っていたよりも大きい。
「なに……?」
「私の額に触れてみるといい。すべてがわかるはずだ……私の言っていることが真実だと」
狼は身じろぎもせずに真正面から魔法使いを見据える。殺気や威嚇の気配はまったくない。
――どういうつもり?
いまだに狼の意図がわからない。
躊躇った末、ポーシャはゆっくり狼の額に触れた。
指が狼の放つ炎にふれても、やはり熱くはなかった。
手触りは、狼の毛皮の感触と同じだ。
しかし、狼の体毛の手触りよりも、ポーシャの意識はまったく別のところへと飲み込まれていった。




