04 狼との再会
ようやく村では風邪の流行が収束に向かいはじめたが、寒さは厳しくなる一方で連日の雪に人々は家に閉じ込められることが増えた。
そのあいだも魔法使いは完治していない患者の様子を窺いに星屑の森とカタルの村の往復を続けていたのである。
森の館から村へつづく一本道には、大雪に備えて一定以上の雪が積もらないように魔法をかけてあった。
その日は患者の家をまわり、村を出たころには再び小雪がちらつきはじめていた。
家路を急いでいるはずの魔法使いが、足を止める。
魔法が発動している小径を歩き、森に入ってすぐに気配の変化に気づいた。先程まで吹きつけていた向かい風がぴたりと止んでいる。
「……」
なにを意味するのか魔法使いはすぐにわかった。
――来た。
「いるんでしょう、狼さん?」
生命力にあふれた星屑の森の精霊たちは、その力にそぐわない引っ込み思案な性格をしている。当初森に人を寄せつけないように厄介ないたずらを仕掛ける者もいたが、ポーシャとの交渉の結果、膠着状態を維持している。
空気の揺らぎを生むような精霊の行動はなくなったのだ。
残る可能性はあの狼の存在だけだった。
ポーシャの呼びかけに応じて倒木の影から、狼はゆっくりと姿を現した。
炎を纏った狼だ。
「気配を読むのは得意らしいな」
狼の体全体を覆いつくす炎は、赤々と燃えている。恐ろしく、神秘的な炎の動きにポーシャは目を細めた。ある一文が頭を過る。
『その狼、獣と精霊のあいだに位置するもの。炎の属性にあり紅蓮の炎を身に纏う』
火狼について説明するものだ。
紅蓮、まさにその言葉がふさわしい。
いったい、いつから待ち構えていたのだろうか。普通の獣とは異なる火狼は外気温の影響を受けないのか。狼が現れてから、魔法使いの頭のなかは答えが見つからない謎だらけだった。
素朴な疑問はいくつも渦を巻いていたが、優先すべき質問はおそらくそんなことではないはずだ。
両者は道の真ん中で対峙する格好になった。
相手に攻撃の意志があれば、すぐに襲撃されていただろう。敏捷性では狼に敵うはずもないのだから。
やはり攻撃目的ではないし、人と争う意図はないように思える。
「……だいぶ時間の猶予があったみたいね」
「私が来るのを待っていたような口ぶりだな」
前回遭遇したときよりも狼の口調が穏やかだ。先日狼の気が昂っていたのは負傷していた影響かもしれない。もし、人間に攻撃されて負傷したのならば、その同族に対して警戒するのは当然のことだろう。森の動物だって同じだ。危害を加えられた外敵の種を記憶し、次に同じ被害を受けないよう自衛する。
「あなたが言ったでしょう? いずれまた会うだろうって」
両者のあいだに沈黙が流れた。それを破ったのは魔法使いのほうだ。
「足の具合は?」
「?」
ポーシャの問いに火狼はキョトンとした様子である。なにを聞かれたかもわからなかったらしい。
「こないだの、足のケガは?」
質問を言い替えた魔法使いは狼の足に視線を移した。以前出血していた足はすでにきれいな毛に覆われている。力に驕る者にやられたと言っていたが、星屑の森の近隣に技を使えるような魔法使いはいないはずだ。
一体どこで負傷したのだろう。
「あれはケガのうちに入らない。私の再生能力は人間の比ではないのだ」
その体に纏う炎は声と同様に穏やかだ。やはり炎も狼の心理状態が影響しているのだろうか。赤々と燃える炎だが、どういうわけか熱を感じさせない。
「それで?」
ポーシャはあえて先を促すような尋ね方をした。目的があって姿を現したのは相手のほうだ。魔法使いは狼の言葉を待つしかない。
逡巡した挙句、狼は直接本題に入った。
「話しておきたいことがある。おまえの親や家系に関わる話だ」
親という言葉に、魔法使いの瞳がわずかに揺れた。
ポーシャは困惑を隠せない。家系――それは自分自身が知らない未知の領域だからだ。
ポーシャの肉親は母ミレッタだけで、その母親もポーシャが十三歳のときにこの世を去っている。それ以来、天涯孤独の彼女には身内と呼べる存在はいないのだ。
祖父母や母の兄弟がいるのかどうか、一度も考えなかったわけじゃない。知りたくても、知る術がなかった。
魔法を使っても、遡ることができる範囲というものがある。自分の知り得る知識と魔法力では捜索を広げることはできなかった。すなわち、限界があった。
「なぜ、私の家系を――」
狼の目的はわからなかったが、家系と言われてポーシャには思い当たる節があった――わけではなく、方法について。
髪だ。
はじめて森で遭遇した際に、狼はポーシャの髪の一部を持ち去った。人間の髪に特定の呪文をかけることによって大まかな家系を遡ることができる魔法がある。
アランの血脈を探るときに使おうと考えた手段と同じだ。自分が同じ魔法を試されるとは思わなかった。
生き別れの親兄弟を探すには有効な魔法だ。
しかし、狼が言っているような先祖を遡るには無理がある。人間には使えない独自の魔法があるのかもしれないが……
「あのときの髪で私の血筋を確かめたのね」
呪いの類に使われなかったことは幸いだ。
「話が早いな。おまえが魔法使いで助かった……だが皮肉なものだ。その魔法が、遠い祖先を滅ぼしたというのに」
まるで魔法を使う人間を忌み嫌っているかのようだ。
「滅ぼした?」
狼の物言いにポーシャは眉を顰めた。
「穏やかじゃないわね。滅ぼしたと言ったのは、誰かの意図があったってこと?」
「力に溺れた者の行きつくところだ。おまえは自分自身が何者なのかもわかっていないようだな。だが無理もない……」
話しはじめた矢先、狼はぶるぶると首を振る。頭上から降る雪が鬱陶しいようだ。まさか雪に話の腰を折られるとは思わなかった。
ポーシャの吐く息も白くなっている。
この雪では、いつ天候が悪化してもおかしくない。どれだけ時間を要するかわからないが、屋外での話し合いは不毛だ。
人間のポーシャのほうが体力を奪われてしまう。
――魔法で体を保温しても、長時間は耐えられそうにないわ。
掌を擦り合わせながら小さく息を吐いて魔法使いは狼に切り出した。
「提案があるの。あなたの話……場所を変えてからにしましょう」
「場所を変える?」
狼は不可解そうに魔法使いを見上げる。
髭をピクピクさせながら首を傾げる狼の仕草が、ポーシャには可愛らしく見えた。




