02 風邪の流行(1)
ポーシャが星屑の森にやってきてはじめての冬。
森の精霊は自然界と同様に大人しく春を待つ者がほとんどなので、交渉役としての仕事は激減していた。
代わりに読み終わっていない魔法文献を読み、薬草の新しい配合を考えてみよう等と思い立つ。森のなかに建つ一軒屋で静かに過ごそうと計画していた魔法使いは、見事に期待を裏切られてしまった。
どういうわけかカタルの村では性質の悪い風邪が猛威を振るいはじめたのである。
患者の多くは子供や年寄りで、大都市に出稼ぎに行っている男たちの代わりに留守を預かる妻たちは頭を悩ませることになった。
村には医者がいないため、一番近くの町から往診を頼むことになっている。しかし、他の町でも同様に風邪が流行っており、辺境の村では週に一度訪問してもらえるのがやっとだ。
困り果てた女たちは藁にも縋る思いで近隣唯一の魔法使いに助けを求めたのである。
星屑の森の魔法使いポーシャに。
彼女自身、それが仕事に忙殺される日々のはじまりとは夢にも思っていなかった。
きっかけは、彼女の顔なじみのアラン・タッカー少年から、風邪で寝込んでいる兄弟の症状を見て欲しいと頼まれたことだ。
アランには血の繋がらない兄姉が四人いて、一緒に暮らしている兄ふたりが熱を出してベッドから動けないという話だった。
「下の子が……ボビーが学校で風邪を伝染されてきたんですよ。それからすぐにジョージが熱を出して……」
アランの家を訪ねると、途方に暮れた母親のケイトがこの日に至るまでの経緯を話してくれた。
通された奥の部屋は、子供の数だけベッドが並んでおり、風邪が伝染してもおかしくない環境だった。現在家にいる三兄弟のベッドのうちボビーとジョージが横になっていた。
子供らしからぬふたつの青白い顔に、ポーシャは事態の深刻さを察した。
アランに風邪が伝染っていないことが奇跡に思える。
――本当に大家族は大変ね……
兄弟が多い家は一苦労だ。ひとりが風邪をひけば他の兄弟に伝染るのは時間の問題である。タッカー家はまさにいい例だった。
そんなことに慣れっこであるはずの母親が取り乱したのは、アランのすぐ上の兄ボビーより体力があるはずの兄ジョージの症状が重かったことだ。
ただの風邪と甘く見たのがいけなかったのか、横になって休むだけでは症状はいっこうに回復しなかった。
駄目で元々、とポーシャに子供たちの様子を見て欲しいと頼んだのもそのためだった。
ポーシャは子供たちの症状を確かめ、薬を処方するまえに母親から子供たちの普段の生活を聞き取るところからはじめた。
起床、就寝の時間や食べ物の好き嫌い、学校で過ごす時間など。子供たち本人には学校での活動について尋ねた。
すべての質問を終えると、魔法使いはようやく薬を作りはじめた。鞄に詰まっていた複数の薬草、そしてタッカー家の台所にある調味料を拝借してものの数分で薬を完成させたのである。
いかにも苦そうな薬を兄弟に飲ませて、絶対安静としたうえで特別に配合した煎じ薬を毎日飲むよう魔法使いは指導した。
どうせ町からの医者が往診にくるまでには何日もかかるし、母親はポーシャの言葉に従うことにしたのだ。
母親は半信半疑だったが、三日ほど経つと子供たちは目覚ましい回復を見せた。
「だいぶよくなったみたいね」
「うん! もう喉も痛くないし、ご飯も食べられるようになったんだ!」
最初の訪問から五日後に魔法使いが様子を見に行くと、血色のいい子供たちの笑顔が出迎えてくれた。
「食欲も戻ってきて、昨夜の食事では兄弟でおかずの取り合いまでしたんですよ、このコたち!」
子供たちを怒っているような口ぶりだったが、その表情は喜びに満ちていた。子供を心配する母親の慈愛に満ちた顔だ。
親子の姿に、ポーシャのほうまで癒された気分になる。
「あの薬を飲むとお腹が痛くならないんだ! ご飯もちゃんと食べられるようになったし……もしかして高価な薬なの?」
タッカー家の次男ジョージは不安そうに魔法使いに尋ねた。自分のせいで家計に大きな負担をかけるのではと案じているようだ。
子供心を察して、ポーシャは笑みを浮かべながら頭を振る。
ジョージには消化や吸収の負担を軽減できる薬草を混ぜて彼専用の飲み薬を用意したが、その薬草も森で調達してきて自分で配合したから安価なものであることを説明すると、ジョージは心底安心していた。
「ジョージは薬の効きが遅い体質かもしれません。肉料理を食べてお腹をこわしやすいのも食べ物から吸収した栄養を体に取り込みにくいせいでしょう」
前回の聞き取りの結果。ジョージは決して神経質な子供ではないが、よく食あたりを起こすとということがわかった。薬草の効果は、服用する患者の体質によって効き目も異なってくる。
ポーシャが次の往診で医者によく診てもらうよう勧めると母親は素直に頷いた。
「本当にありがとうございました! このコが伝染らずに済んだのがせめてもの救いでした」
喜んだ母親がアランの頭を撫でながら魔法使いに礼を言う。
「だって僕、ポーシャのところに遊びに行ったときはあれと同じお茶飲んでるもん」
アランはこともなげに母親に説明した。
もとから風邪予防の煎じ薬として使われている茶葉を使い、魔法使いは毎日お茶を淹れて飲んでいるのだ。
アランは遊びに行くたびに魔法使いが淹れてくれるお茶を飲んでいた。結果として、お茶が免疫力を高め、風邪を寄せつけなかったのかもしれない……というのが子供なりの理屈だった。
「もともと体調を整えるために飲んでいるお茶だから、効き目は個人差があるかもしれませんが……」
アランの想像を裏づける魔法使いの言葉に、兄弟たちの母親は、一日に一回自分も同じお茶を飲むようになったという。
急激に生徒の欠席が増えた学校は臨時休校になってしまった。そんななか、タッカー家の子供たちは村のなかで最初に回復したのである。
この噂は、小さな村で瞬く間に広がり、魔法使いはカタルの村で引っ張りだこになった。ポーシャは一週間も経たないうちに子供がいる家をまわり、村の子供たちの名前をほとんど覚えるほどになっていた。
魔法使いは、久々に「目が回るような忙しさ」という状況を実体験することになったのである。




