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星屑の森の魔法使い  作者: 灯野あかり
第3章 星屑の森の魔法使いと紅蓮の狼
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01 戻らない幸福 ※挿絵あり

 初夏の陽射しが容赦なく照りつける。

 太陽の位置から、正午になったころだと少女は考えた。


 母が買ってくれた帽子は強い陽射しを避けるのにちょうどよかった。帽子のなかからのぞく少女の白金色の髪は、汗ばむ首筋に張りついてしまう。

 しかし、汗の不快感も忘れるほど女のコは目のまえに広がる世界に夢中だった。


 少女は植え込みのなかに一匹のカエルを見つけていた。青々と茂る葉に紛れてかくれんぼでもしているように見える。

 キョロキョロした目の動きに思わず見とれていると時間まで忘れそうだ。

 もうじき六歳になる少女には、小動物の動向さえも新鮮な光景だった。

 象牙色のチュニックの裾がそよ風に揺れた。

 通行人のなかには、少女を妖精とまちがえる者もいたかもしれない。


「お母さん、遅いなぁ……」


 朝早く家を出たのでお腹が減ってきた。顧客の家の近くで待っているように言われてから一時間は経っている。

 母の商売柄、客の家を訪問すること自体は珍しくない。大半は頼まれた薬を届けたり、客の目のまえで調合作業を行っても、さほど時間がかかることはない。


「ミレッタさん、母はあなたの薬がないと不安になるようで……届けてくれて本当に助かりましたよ」


 ハッとわれに返って少女は母が入っていった民家のまえに視線を走らせる。母親が姿を現したので、駆け寄ろうとしたが我慢して様子をみることにした。彼女の母親はひとりではなかったからだ。


「いいえ、お礼なんて仰らないでください。お役に立てただけで十分です」


 玄関扉から出てきたのは母と屋敷の主らしい男だった。少女の目には、男は母と同じくらいの年齢に見えたので言葉遣いが丁寧すぎるのは、かえっておかしかった。


 母は男性に頭を下げてから娘のもとに戻ってきた。

 こざっぱりした服装に、娘と同じ白金色の髪。客が家のなかに入ったのを確認してから帽子を被った。


「ポーシャ、待たせたわね」


 母親は娘の手をとりふたりは歩き出した。

娘は嬉しくて、小さな手で母親の手をきゅっと握り返す。


挿絵(By みてみん)


「お母さん、あっちの公園には木も草もたくさん生えてて素敵だったよ! 緑のにおいがするの!」


 この日、母娘が訪れた土地は中流階級の家が多い地区で、一定間隔で公園が設けられているのが特徴だった。

 薫風くんぷうつきの暑さに木々の緑は鮮やかで、少女は森にいるような気持ちになれた。


 もっとも、ポーシャは絵本にあるような大きな森には行ったことはない。母と一緒に薬草を摘みに出かける場所は、栽培園や町はずれの雑木林といった廃れたところが多かった。

 それゆえ人の手で整備された公園でも、少女にとっては広い森へと通じる入り口に見えるのだ。


「本に出てくる森はもっと広い場所?」

「そうねぇ、動物もたくさんいるし精霊にも会えるはずよ」

「精霊!」


 小さな魔法便利屋を営む母の店はコーダン国のはずれに位置していた。こうして街中にやってこられるのは仕事で客に会うときだけだ。


「さっき迷子になってる精霊がいたよ!」

「まぁ、こんなところにも精霊がいたの?」


 母の問いに小さな娘はこくりと頷く。


「どこへ行っていいかわからないのかな?」


 少女は物心がつくまえから精霊の姿を見ることができた。意識しなくても視界のなかに入ってくるのだ。それを報告するたびに、母はそれらの精霊がどの属性であるかを教えてくれた。焚火の周囲に寄ってくるのは炎や風の精霊。雨に日に元気に飛びまわっているのは土や水の精霊、といった具合に。


「風、たぶん風の精霊だったと思う」

「そう、お話しはできた?」


 その問いに娘は首を横に振った。


「どうやって話しかけていいかわからなかったの。そのコ、とても急いでいたから……」


 母の不興を買わないように、娘は慌てて理由をつけ足した。

 だが、母親は滅多なことでは子供を叱るようなことはしなかった。自分の行動がまちがっていたのかも、という子供の不安がそうさせているのだろう。


「人間が相手のときと同じように声をかければいいのよ。こちらが見えていることがわかれば、人懐っこい精霊は近づいてきてくれるの」


 今度やってみる、と少女は嬉しそうに答えた。


「森へ行ったら薬草もたくさん採れるよね。あと、きのこも採りたいな」


 想像力の豊かな娘の言葉に、母親は優しく微笑みかける。

 少女は――ポーシャは、そんな母親の笑顔が大好きだった。


 + + + + + +


 ポーシャはふと目が覚めた。

 ベッドからのそりと起き上がると、室内の冷えきった空気に身震いする。同時にここがどこなのかを確認して溜息をついた。


 これが現実の世界だと。


 ベッドから床に下りると、足の裏から伝わるひやりとした冷たさに身を竦めた。手早く上着を羽織り居間へ移動すると、暖炉に炎を灯す。

 部屋のなかが暖かくなってきても、魔法使いは暖炉のまえで足を抱えて丸くなったままだ。

 夢の中とはいえ、母親に会えたことを喜ぶべきだと思う半面、異なる感情が渦巻いている。


「どうしてあんな、昔の夢を……っ」


 震える声が薪の燃える音にかき消される。

 懐かしい思い出に心が温まる一方、物悲しくなって胸が締めつけられる。


 母が亡くなったのも、こんな寒い日だった。


 幸せなひとときを思い出せば、同時に二度と戻らないものだと再確認させられる。

 だから魔法使いはなるべく思い出さないようにしてきた。


 子供のころに見た鮮やかな光景。

 手の届かないものを追いかけるほど、もう幼くはないと。


 暖炉の火を見つめながら、ポーシャはざわついた気持ちが落ち着くのをひたすら待った。



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