25 予兆(2)※挿絵あり
古めかしい本のページには、ディランの左肩にある痣と同じ図形が並んでいた。それに関する説明・注釈があったが、例の古代魔術文字で書かれているのでまったく読めなかった。
――痣に意味があるってことだな。
ポーシャが痣を見たときの反応から考えてもなにかしらの理由があるにちがいない。
「待つとするか……」
彼女はこうと決めればやり遂げる信念がある。時が来れば、きちんと説明してくれるはずだ。
「ポーシャのこと信じてあげて」
幼い友人に言われた言葉を思い出す。
だが、前回アランにそう言われたときよりも不安はなかった。
はっきりとした確証はないが、今はそれで充分だと思える。
結局ディランはポーシャを放っておけず、夜明けまで暖炉の番をすることになってしまった。
ディランが王都へ帰ったのは、それから三日後のことだった。
人間に戻り、体に変調をきたさないか様子を見る必要があるとポーシャに言われたからだ。
だが、早々と問題がないとわかり、早く帰るように勧めたポーシャの厚意をディランは素直に受け入れることができなかった。
例の狼が星屑の森を立ち去った証拠もない。狼は「また会う」と言い残しているのだから、彼女を放ってひとり王都へ戻るわけにはいかないと主張した。
「私は大丈夫よ。いざとなったら館のなかに逃げ込むから」
「でも、俺が壊せるくらいの魔法なら他のやつでも破れるんじゃないか?」
「防御結界を内側から壊す人なんて想定外だったの! どうにもならなくなったら転移の魔法で遠くへ逃げるから平気よ!」
ディランの反論に魔法使いは気を悪くしたのか、あっという間に帰り支度をさせられて王都へ送り出されたのだ。
+ + + + + + +
『ポーシャへ
今日やっと仕事に復帰できた。警備隊の仕事に支障はないし、同僚たちからアヒル剣士と揶揄われているが、それほど気にならない。
ロイが贔屓にしている例の酒場の女だが、じつは店主の女房だとわかった。姪で通したほうが看板娘として体裁がいいからだと。迷惑な年の差夫婦だ。ロイはかなり落ち込んでいる。
ところであの狼は姿を見せたか? 敵意を感じたらすぐに俺を呼べ。
家に帰って久しぶりにマリーの料理を食べた。やっぱりポーシャの味つけとよく似ている。自分の舌で確かめてもらうほうが早いから王都にくるときには一度うちに立ち寄ってくれ。
春にそっちに顔を出すから覚えておいてくれ。あんたは無理を重ねる人間のようだから、体に気をつけろよ。
ディラン』
居間で手紙を読んだポーシャは自然と笑みを浮かべた。まるでことづてのような、単純な文章がいかにも彼らしい。
ディランが王都に帰ってから一週間も経たないうちに、一通のフクロウが手紙を運んできた。
魔法使いはハトやフクロウで手紙のやりとりをすることが常だが、彼はどうやってこの方法を覚えたのだろう。
彼が会いにきたときに確認してみようとポーシャは思った。
――それまでには痣のことも話せるといいんだけど。
ディランの腕の痣を思い出し、テーブルのうえに広げた本に再び視線を戻した。
本の題名は『太古から伝わるまじないの刻印』
彼の左腕にあった痣。
あれは昔から使われている呪術の印だった。一般的に呪いに分類されるが、ディランに関しては魔力に反応しないように「封印」として使われたと考えられる。
彼が魔法不干渉体質とされたのはこのためだ。
書物を読むうちに、ポーシャはことの重大さに気づいた――自分が彼の「封印」を解いてしまったことに。
煎じ薬でひずみが出たディランの体に一時的に作用した魔力を取り除くため、ポーシャは鍵のかかっていた彼の器をこじ開けて、並々と魔力を注ぎ込んでいたのだ。
王都から送られてきた資料には彼の痣のことは一切ふれられていなかった。
――変身魔法を解くためには必要な手段だったけど……これでよかったのかどうか。
おそらく彼が養父の手に渡るまでに封印はなされていたのだろう。誰がなんのために封印の儀を行ったかがわからない以上、結果の良し悪しも判断できない。
「解呪した者として、確かめる責任が……」
暖炉の薪が崩れ、炎が揺れた。
魔法使いは、このときからまた新たな使命を背負い込んでいたのだ。




