22 解呪(3)※挿絵あり
魔法使いは、青年にその正体を再度確かめた。
「本当にディランなのね?」
「そうだって言ってるだろ!」
頭ではわかっているが、ポーシャのなかで青年とアヒルが一致するまでに少し時間を要した。
「とにかく、あの狼に攻撃を仕掛けるのはやめて。相手もおそらく望んでないことだわ」
「だがさっきは……」
ディランはなにか言いかけて慌てて口を噤む。ポーシャが険しい目で睨んだからだ。
「どちらにせよ剣で対抗するのは無理な話よ」
ディランを自分の背後へと移動させて、ポーシャが狼へと一歩踏み出した。
「私はこの森の精霊たちと人との交渉役を担う魔法使い。だからこの森を乱し、精霊たちを苦しめる者ならば放っておけない」
「私は邪魔者か?」
即座に狼が切り返してきた。
「私にはあなたが何者で、なぜこの森に留まっているのかが重要なの」
ポーシャの言葉に狼の尾が動く。狼の目が、わずかに細められた。
「その男……さっきのアヒルか?」
狼の視線はディランを捉えたらしい。
「そうよ。彼の本来の姿に戻るために魔力を込めていたの」
話題にされている当人は、ポーシャの不興を買わないように黙っている。
「魔法使いの娘、おまえの名前は?」
「……ポーシャ。ポーシャ・ウォレン」
魔法使いの答えに狼は無言だったが、尻尾だけは雄弁に跳ね上がった。狼が一歩進み出たが、それ以上近づいてはこない。
魔法使いと狼のあいだに重い沈黙が流れた。
「大丈夫なのか? アイツ、普通の狼じゃないんだろ?」
「いいから黙って――」
突如狼が宙に飛ぶ。
「!」
慌てて身構えたポーシャだったが、遅れをとった。
間近で空を切る音がはっきりと聞こえた。
――なに?
一瞬、なにが起きたのかわからなかった。
どう動いたのかディランがポーシャの盾となり剣を構えている。そして狼は着地した際、その口になにかを咥えていた。
「……?」
目を凝らせば、それがひと房と言うには足りない毛髪であることがわかった。
自分と同じ色の髪に、ポーシャは慌てて自分の髪を探る。背に垂れた髪の一部が一定の長さ切られており、狼が咥え損ねたものがさらさらと地面へ落ちた。
「剣士だったか……私の動きについてこられるとは――」
狼は振り向きざまにディランに声をかけた。意外なことだと言わんばかりだ。
「人間にしてはなかなかの速さだ」
「狼に褒められても嬉しくもないがな」
剣を構えたままのディランは、むしろ敵意のこもった目で睨み返した。
「ディラ……」
「あんたは黙ってろ! アイツが攻撃してきた以上、戦闘の専門家の意見を聞け!」
剣士の強い語気にめずらしくポーシャは気圧された。立場の逆転である。
「あれを攻撃と言うのか? 和平のため小さな犠牲と思えばいい。無益な衝突を避けるためのな」
狼は口にポーシャの髪を咥えながら器用に話す。口から言葉を発していないのだろうかと魔法使いは考えた。
「今回はここまでにしておこう。戦いよりも優先すべきことができた」
耳をぴんと立てた狼は、ケガを負っているとは思えない敏捷さで地面を蹴る。
「魔法使いの娘よ……いずれまた会うことになるだろう」
「待って、なぜ私の髪を……」
狼はポーシャの問いには答えず森の奥へと駆けだす。
木々の隙間を縫って疾走する狼はもはや人の足で追いつける速さではなかった。
追いかけようとしたものの、ディランに深追いするなと止められる。
躊躇っているうちに、狼の姿は肉眼で捉えることができなくなっていた。
「あの狼がまた会うだろうって言ってたじゃないか。見たところ、ヤツは森そのものには敵意もなさそうだ」
ディランの言うとおりだった。
森にはなんの被害も及ばなかった。実害があったのは、ポーシャがアランたちを避難させるときに足止めに使った魔法だけである。
狼は警戒すべきもの対して警告を発していただけかもしれない。
「俺は魔法のことはよくわからないが、あの狼、風を使ったと思うんだが……ちがうか?」
ディランの問いに魔法使いは答えられなかった。勿体ぶっているわけではない。
ポーシャ自身が見えなかったのだ。
「たしかに風を切る音がしたけど……私には見えなかった」
どんな呪文を使ったのか、そもそも魔法なのかも怪しい。
だが、火狼の力であることはたしかだ。
ポーシャは狼が走り去った方角をしばらく見つめるしかなかった。




