20 解呪(1)※挿絵あり
ディランは閉じた扉を眺めて呆然とする。
――これも魔法なのか?
すべてはポーシャが手配したことなのだろう。外敵からの襲撃に身を守るための安全装置。
「こうしちゃいられない……!」
「えっ、ディラン?」
アランは突然居間へ走り出したアヒル――ディランのあとを追いかける。ペタペタと廊下を駆けるアヒルは少年の制止を聞かなかった。
「ディラン、なにをするつもりなの?」
「決まってるだろ、ポーシャを助けに行く!」
居間には悪友ロバートが念のために置いていったディランの服・装備一式がある。
「自分だけ避難なんてできるか……っぁ?」
走るアヒルが突然バランスを失い転倒する。
惰性で廊下を滑りながらギャゥっとひと鳴きした。
急激な体温の上昇にディランは平衡感覚を失ったのだ。
「ディラン?」
痙攣するアヒルに少年が駆け寄った。
――い、息ができない……!
全身が燃えるように熱い。狼の炎に当てられた熱など比ではなかった。
ヒクっと喉が鳴っても空気が吸い込めない。
「熱い……本当に焼き鳥になるのか?」
本当に燃えるかもしれないと本気で思いはじめた。最悪、このまま死ぬのでは――と。
アランの呼びかけにも応えることができない。
ブチっ
太い綱でも切れたような音がした。それが体のどこから聞こえたのかはわからない。あまりの音にアランが反射的に後ずさったほどだ。
「うあぁぁぁぁぁ――っ!」
全身を襲う苦痛にディランは叫ぶ。
直後、アヒルの身体がまばゆい光に包まれた。
ふわりと宙に体が浮き上がる。
――このまま死ぬのか……昇天って、こういうことなのか。
朦朧としたせいか浮遊感覚までもが心地よく感じられる。
頭上に光の渦が見えた。そこへ吸い込まれて死ぬと思ったが、なぜか恐怖はなかった。
ディランのなかに残ったのは。
――ポーシャ……助けたかったのに。
あの狼と対峙した彼女は窮地を切りぬけられるだろうか。
死んでもいいと思っても、それだけが気がかりだった。
だが、ふっと浮遊感が途絶えた直後にディランは浮き上がったぶん落下することになった。
「がはっ」
ドタン、と派手な音を立ててディランは床に落ちた。背中から落下したせいで後頭部までぶつけてしまう。
「イッテ……くそ、なんなんだよ?」
体を起こして、床に打った後頭部を撫でながら毒づいた。
「こぶにはなってないな……アラン?」
びくっと少年の身体が揺れた。警戒しながらディランを観察している。
怯えをはらむ少年の視線に、ディランは困惑した。
「ディラン、なの……?」
不審者を見るような目で問いかけられた。
「当たり前だろ、見ればわか――」
ハッとディランは自分の手を見た。
――翼じゃない……
羽毛に覆われた翼の代わりに、まぎれもなく人間の手がある。
思わず手のひらと甲を交互に見てしまう。それから足も同様であることを確かめて、慌てて鏡を探した。
「鏡! 鏡は?」
ディランは確かめたかった。廊下にはもちろん鏡はない。ディランがこの館にきてからというもの家のなかで鏡を見たことがなかった。
「ディラン、鏡じゃないけど……あれじゃダメ?」
遠慮がちにアランが指さしたのは居間のフランス窓だった。
ディランは大股で近づき、フランス窓の硝子に映った自分の姿を見て息を飲んだ。
真っ黒な髪は、酒場で友人と酒を酌み交わしたときから少し伸びていたらしく、前髪が鬱陶しい。
日焼けした浅黒い肌はそのままだった。高めの鼻梁で精悍な顔つきの男がディランを睨んでいる。
先程まで自分を抱いて逃げてくれた少年がずいぶん小さく見えた。
――戻った……?
再び自分の手で顔に触れ、それが自分のものだと言い聞かせるように頬や顎の輪郭をなぞる。
「……ポーシャ……っ」
納得したとたん、ディランは部屋の隅に置いてあった自分の荷物に手を伸ばした。
ガシャリと音を立てて床に倒れたのは、鞘に納められた剣だ。
――よし、行ける。
もとの姿に戻り、剣を使えるのならばなにか手立てはあるだろう。
あの狼が普通の生き物でないならば剣が通用しないかもしれない。
だが危険が迫っているかもしれない人間を放っておける性分ではないのだ。
ディラン・ホワイトという男は。




