18 炎を纏う狼(2)
「アレ、狼……? 燃えてるよ!」
そう指摘したアランにディランは返す言葉がなかった。見た目はそう見える。だが、炎からは熱が伝わってこない。
あの炎が本物ならば自身の肉体も灰になっているはずだ。
――いや、死霊でもなさそうだ。
ディランがそう判断したのは、狼の前足に出血するほどの傷があったからだ。
まずいぞ、とディランは舌打ちした。人間にせよ、動物にせよ手負いの状態では気が荒くなっている。
正常な判断ができなくなって、自らを窮地に追いやることがほとんどだ。
「おまえたち……何者だ?」
低く聞き取りにくい声だが、たしかに地面を伝わりディランたちにはそれが「声」であると認識できた。
狼が喋っているのだと。
「狼が喋った! ディランも聞こえたよね?」
「ああ……」
アランに尋ねられてディランも思わず頷く。
「私の声がわかるとは……子供とアヒルか。いや、アヒル? おまえ、魔力を秘めてるな。アイツらの仲間か!」
「は? 魔力?」
狼の言葉にディランは目を丸くした。
――アイツらってだれのことだ? しかも俺に魔力だって?
魔法を受けつけない体質の自分に、魔力があるはずはない。ディランにとっては言いがかりに等しい。
「アイツらってだれのことだ? おまえに、そのケガを負わせたヤツか?」
狼がウォンと低く吠える。同時に風がうねり森の木々がざわめいた。まるで狼の叫びに呼応しているかのようだ。
「別の使い手……魔法使いではないのか!」
空気をビリビリと震わせる声に、アランが自分よりも小さいディランに身を寄せてきた。
子供が恐れるだけの気迫……殺気は十分だった。
「俺たちはなににも属していない! 魔力なんて知らないぞ!」
おまえこそ何者だと問い返せば、狼が一歩まえに進み出て、ディランたちとの距離を詰めていく。
逆にディランは一歩退き、アランもそれに従った。剣士としての、人間としてのカンが容易く受け入れてはならないと訴えてくるのだ。
「アラン……おまえ、ポーシャを呼んで来い」
声を潜めてディランは少年に告げる。どう考えても危うい状況だ。
「えっ、ディランは?」
「ここで食い止めておく。ふたりで逃げたらすぐに追いつかれちまうからな」
視界にポーシャの屋敷が捉えられる距離だ。子供の足でも走ればすぐだ。魔法使いを警戒している敵ならば、やはり抵抗できるのは彼女くらいだろう。
「む、無理だよ、だって……」
アランは狼への恐怖で足が竦んでしまっていた。怖気づく少年をアヒルが一喝した。
「怖いなんて言ってられるか。殺されるかもしれないんだぞ!」
ディランの声に反応したのか、狼が牙を剥き出しにした。
――やばいな……隙がないぞ。
野生の動物でも、人間の裏をかくほどの知恵者はそうはいない。だが、狼はディランたちの動きをわずかでも見逃す隙がないのだ。
「どうしよう……ディラン……!」
少年は、恐怖で体が強張っているらしい。
――人間でも万事休す、か……!
魔法を解くために命を落とすかもしれないという危険
が頭を過ったことがある。だが、森の外敵――狼の襲撃は考えていなかった。
「とにかく屋敷に向かって走れ! 行け!」
ようやくアランが走り出した。
狼が反射的にその後を追いかけようとする。慌ててディランは飛べない翼を広げて進路を塞いだ。
――少しでも遠くに……!
アヒルと狼が衝突寸前の距離に、真正面から肉食獣の口を捉える。
この間隔にあって、妙に危機感がないのが自分でも不思議だった。
狼が牙を剥き出した。噛みつかれると思った瞬間に閃光が迸る。
光が地面を走り、ディランも狼も同じように互いの距離を取り直した。光の出所は…
「ディラン!」
魔法使いが走ってくる姿が見えた。走って逃げるアランと合流したらしい。
アヒルは身を翻して魔法使いのもとへ急ぐ。なぜか狼はディランを捕らえなかった。
鳥に興味がないと思いきや、狼は彼女の姿に釘づけになっていた。
魔法使い・ポーシャに。
戻ってきたアランはあらためてディランを……アヒルを抱きかかえた。
「ポーシャが来てくれた! もう大丈夫だよ、きっと……!」
――そいつはどうかな。
目に涙をためたアランの言葉にディランは同意できなかった。戦闘の場数を踏んできた人間として、勝算を打ち出せないせいだ。
どちらも普通の力ではないのだから。
それだけ炎を纏う狼の力は言い知れぬ恐怖を感じさせるものだった。
対峙した狼と魔法使い。
新手に動揺したのか狼は身動ぎひとつしなかった。
「魔法使い……外の術を使う者か!」
低い声が漏れ聞こえ、獣の目がぎらりと光った。




