17 炎を纏う狼(1)※挿絵有り
ディランが星屑の森にやってきてひと月経ったころ、毎日飲んでいた薬が変わった。
「この薬、昨日まで飲んでいたものと味がちがうようだが……」
しかも、どろどろしていた液体が澄んで飲みやすくなっている。
「今までは体の浄化作用を主にしてきたけど、免疫を高める効能がある薬草を多めに混ぜてみたの。飲みにくい?」
いや、とディランはポーシャに手伝ってもらい煎じ薬をすべて飲み干した。
ごくりと飲みきったところで、なにかが頭に引っかかった。
――この薬、マリーが淹れてくれたヤツと同じ味じゃないか?
ひと月前のことだ。料理とちがい薬の味というものは苦いのが相場である。早く忘れてしまうものだが、あの薬は癖のあるにおいが残るので否が応でも嗅覚が記憶を呼び覚ました。
だが、この状況をどう解釈するべきか……ディランは混乱した。
できるだけ実物を飲むのはあとにしようと言われてきただけに、今しがた自分の喉を通っていった液体はなにを意味するのだろうと。
――飲んでよかったのか……?
ディランの動揺を他所にポーシャの態度は普段どおりだ。彼女が説明したとおりに配合を変えただけなのかもしれない。
それ以上尋ねると、ポーシャへの信頼が損なわれる気がしてディランは沈黙を守った。
薬の味が変わったこと以外は、体調はすこぶる良かったせいもある。
そこで直接魔法使いには確認せず、小さな友人に探りを入れることにした。
アランが屋敷に遊びにきたのを見計らって、ディランは散歩を口実にして森への散策に連れ出した。
「ポーシャの薬?」
散歩に連れ出したアランはきょとんとディランの顔を見る。
森を鮮やかに彩っていた銀杏や楓もすでに絨毯のように地面を覆っている。
「色々頑張ってくれているようなんだが、薬作りが上手くいっているのか聞いてないか?」
「薬のことは僕、ほとんどわからないから……でも、呪文を唱えながら薬草とにらめっこしてることあったよ」
「にらめっこ?」
薬草に関して新しい発見があったのだろうか? 単純に他の仕事を作業していたのか……ディランはわけがわからなくなってしまった。
「でも、ポーシャが頑張ってるんだから大丈夫だよ!」
魔法使いポーシャに対して絶大な信頼を寄せるアランは力いっぱいディランを元気づける。
「魔法使いの長老さんの代わりに治してくれるんでしょう? ポーシャがすごい魔法使いだってことだよね?」
――そう言われてみれば……
長老が直接治療する時間がとれなかったとはいえ、真っ先にポーシャに白羽の矢を立てたのだ。経験豊富で優秀な魔法使いは他にいくらでもいただろうに。
――らしくねぇな。やっぱり俺は怖いんだ。
自力で乗り越えられない壁の存在が。
どんな危険に直面しても対処できると信じていたディランだが、アヒルになったことで日々鍛えてきた剣の腕は役に立たなくなってしまった。
「ディラン、だからポーシャのこと信じてあげて。きっともとに戻してくれるよ」
アヒルはしげしげとアランを見つめる。同じ年齢層の子供と比べると小柄なほうだろう。
けれど少年は人を信じることにかけては勇敢だ。
「アラン。ここにいてくれて助かった。俺がもとに戻ったら必ず礼をする」
「礼なんていいよ。アヒルの恩返しなんて期待できないし……」
「だからアヒルじゃないって言ってるだろ!」
少年とアヒルは落ち葉が敷き詰められた小径を歩いた。
魔法使いの住まいが少しだけ見えてくる。遠くからでも黄茶色の屋根が目立つようになっていた。
「アラン、さっきの話はポーシャには内緒だぞ」
「どうして?」
「どうしても! ポーシャが気分を悪くしたら困るからな」
ディランがそう答えると、アランは少し考えてからうんと頷いた。
「ポーシャを悲しませないためなんだね? 僕、知ってるよ。そういうの『男同士の約束』って言うんでしょ? まえにお父さんから聞いたことある!」
――ちょっとちがうが、まぁ、いいか……
ふたりともポーシャに不快な思いをさせたくないのは事実だ。
小さな友情を育みつつ、ひとりと一羽は木々のトンネルを潜る。
「?」
ふとディランが歩みを止めた。あたりの気配が急激に変化したことに気づいたからだ。
――見られてる。
第三者の視線というものを痛いほど意識した。
「ディラン、どうしたの?」
急に立ち止まったディランを、アランが不審に思い顔を覗き込む。
「怪しい気配が……アラン、すぐに屋敷へ……っ」
だが手遅れだった。
枯れ葉を踏みしめる音に反応すると、そこにはまるで全身が燃えているような……炎に包まれた狼がディランたちを見つめていた。




