09 ことの経緯(3)
「ディラン!」
ロバートは、煙のなかに消えた友人の名を呼ぶ。
――なんだ? 何が起きた?
急激な体温の上昇は一時的なものだった。ディランはいまだ白煙に視界を遮られている。
辛うじて足下には目が届いた。
「これは……」
転がっているのは、先程自分が投げたフォークだ。拾い上げようとして指が動かないことに気づく。
――なんで指が……ん?
霧が晴れていくように、少しずつ白煙が薄らいでいく。
割れたガラス瓶がやたら大きく感じた。映りこんだ生き物と自分の動きが同調していることに気づいたとき、嫌な汗が全身から噴き出した気がする……目視では確かめようがなかった。
「え、アヒルっ?」
白煙のあとに残されたのは一羽のアヒルだけだった。アヒルの足下には人間の着衣……ディランの着ていた服が散らかっている。
己の手を見ればそれはアヒルの翼だ……白い羽毛に覆われた。
「なんじゃこりゃあぁぁぁ~~~!」
おそらく一生のうちでこれほど叫んだことはなかっただろう。
こうしてディランの、アヒルとしての生活が幕を開けたのだった。
+ + + + + +
「なるほど……それで変身呪文をかけられたわけね」
ディランがアヒルに変えられた経緯をポーシャに語ったのはロバートが王都へと出発したあとのことだ。
「そういうときは、魔法使いの口に猿轡を噛ませることをお勧めするわ。杖がなくても呪文を唱えてしまえば術は完成してしまうの」
もっとも、上級魔法使いにはそんな対処法は役に立たない。潜在的に魔法力の高い者は、杖どころか呪文を唱えなくても感覚で魔法を操ることができるからだ。
杖はあくまで魔法を使うとき、呼び出す力を補強するための依り代に過ぎない。
「ところで、これはなにをやってるんだ?」
アヒル、もといディランが魔法使いに質問したのは無理からぬことだ。
小一時間ばかりまえから、ディランは巻尺で全身を採寸されていたからだ。
「あなたの変身後の身体測定よ。もうすぐ終わるけど……あ、体重は絶対計らないとね」
などといって翼を最大限広げた幅まで確認する。
魔法で変化した質量も考慮するべきだ、というのがポーシャの考え方らしい。
「ところであっちの坊主はなにをやってるんだ?」
「アランのこと?」
アランはポーシャに頼まれて学校から帰ってくると食事の後片づけやディランの世話も手伝っている。時々大きな声でひとりごとを言うものだから、他人に干渉しないディランもさすがに気になっていた。
「そうか……あなたには見えないわよね」
「見えないって、なにが?」
大真面目に尋ねているのだが、ポーシャは小さく笑って答えてはくれなかった。アランのことよりも優先すべき話があると彼女はディランの正面に屈みこむ。
「ディラン。私は全力を尽くすつもりだけど、昨日言ったようにもとの姿に戻れる保証はないのよ」
「……わかってる」
思っていた以上に事態が深刻なのは承知している。
「だが、引き受けてくれるヤツがいるだけでも望みがあるだろ?」
王都でディランを診てくれた魔法使いたちは早々と匙を投げてしまった。王都でも評判のいい魔法使いが挑戦してもダメだった。諦めかけたとき、国の魔法使い協会の名誉会長でもあるバールに会えたのは幸運だった。
「こりゃぁ厄介じゃな」
「……治せないのか?」
長老が低く唸るのを聞いて、ディランはいよいよあとがない状況だと息を飲んだ。
「隣国との会合が入って充分手を尽くせんでな。だが、あのコなら……」
「あのコ?」
王都の養成学校の卒業生で、バールが才能を認めた魔法使いを紹介された。
それがポーシャ・ウォレンである。
予想に反してかなり若い女性だったが文句を言っている場合ではない。
「試す価値があるというのなら、俺はおまえを信じてなんでもやる」
ディランはポーシャを見据えて断言した。




