第八十九話 招待状
「クリスマスってのは、所謂、カップルと子持ちの家庭に訪れるイベントのことか?」
ある休日。
影の部屋で廣瀬先生の恋路について話していた時、先日、廣瀬先生のクリスマスデート大作戦の話をすると、影は随分殺気立ったようにそう捲し立てた。
「…………クリぼっち?」
「黙らせるぞ」
「え…………キス?」
「なんでそうなんだよ…………」
口を覆って顔を逸らしてそう言うと、影が困惑の声を漏らした。
「でもボッチなのは…………」
「否定はしない」
じゃあボッチじゃんという意見を私は喉の奥でギリギリ押しとどめた。
恐らく、怒られる。
「でもそうは言うけどさ」
私は姿勢を元に戻してからそう切り出した。
「私の家サンタさんとか来なかったよ?」
「…………何が欲しい?買ってやろう」
影がいきなり父親のような眼差しで言うので、私はベッドの奥側へとちょっと距離を取った。
「なんで逃げんだよ」
「生理的に…………」
「…………俺も傷つくからね?」
そんな阿多英前を言い聞かされてしまったが、本当に若干きついものがあった。
「で…………あれか?
金なくて何にもして訓無かったのか?」
「それもあったね
物心ついたとき、と言っても記憶ははっきりしてるけど、そんぐらいの時から既にサンタは架空だって言われてた気がする」
「ひでえな」
私は座る位置をちょっと横にずれて、壁に背中をつけてスマホを見た。
「『も』ってなんだ?」
「優愛がさ、毎年パーティー開くんだよ
それに招待されがちだったから、仕事で忙しい親と一緒にクリスマスなんて過ごせなかったしパーティーなんてあの人たちに行ってる暇ないし」
なんとも暗い話題になっているなと薄々感じながら、多分人前で初めてするような話をできる滅多にない機会として、その話を特段腫れ物にして話を変えようとは思わなかった。
影も「へー」とぶっきらぼうに言って、一口酒を飲むだけだ。気が楽になる。
「ま、どっちにしろ俺には関係ないな」
「残念ながら関係あるんだな」
「…………いうなそれ以上。聞きたくない」
影はそう言ってヘッドホンをしてしまった。
私は立ち上がって、パソコンに向き煽った影の頭にかかり耳をふさぐヘッドホンを取り外した。
「…………聞きたくない」
「パーティーにご招待」
「聞きたくなかった…………」
影はその場で机に突っ伏してしまった。
一応まだ見ないつもりのパソコンから目をそらして、私は影の横に立って少ししゃがんだ。
「あともう一つお願い」
「もう何でもいいよ…………」
そんな言っちゃいけない言葉を吐露してしまった影に対して少し悪い笑みを浮かべた後、私は言う。
「クリスマスデートの手助けしよ」
ーーーーー
翌々日。
理科準備室に私たち三人は呼び出された。
いるのはもちろん廣瀬先生だ。
あの話をしてからもう一週間ちょっとが経っている。
何か進展でもあるといいけど。
「今日はちょっと報告がありましてぇ」
少し悲し気にそう言う先生に、わたしは違和感を覚えた。
それはどうもほかの二人も同じらしい。少し不安そうな顔をしている。
「クリスマスの話ですか?」
そう聞くと、先生は小さく頷いた。
「実はそのぉ。断られちゃったんですよねぇ
あはは」
弱く笑う先生は小さく「ふう」と息を吐いた。
その姿を見たわたしたちは少し反応に困った挙句、三人でアイコンタクトを取って、すっと立ち上がり。
「え。え。な、なんですか!
なんでこっちに寄ってくるんですか!?」
先生の左右真後ろに立ってある人はしゃがんで手を取り、ある者は肩をもんで、ある者は太ももをゴリゴリとマッサージを始めた。
「たいへんでちたね~」
「頑張った頑張った」
「お疲れですもんね~」
そんなふうに先生を擁護する言葉をわたしたちはまるで赤ちゃんをあやすように言って並べた。
「あ、あの、別に疲れてるわけでも傷ついてるわけでもないんですけどぉ」
その時、わたしたちの手は時が止まったように動きを停止して、少しののちスタスタと自分の席に戻っていった。
「えーと、断られたんですよね?」
「なんか用事があるとかなんとかって」
先生はぶつぶつと呟くようにそう言った。
「それ…………」
優愛が口を開いたかと思えば、そう言ってしばらく溜めてから。
「浮気ですね」
と言い放った。
おいおい、と思いながらわたしと凛は恐る恐る廣瀬先生のほうに目を向けた。
「や、やっぱりぃ?」
先生はいきなり声のボルテージを上げて優愛のその言葉に不安そうな顔をして肯定的な態度を取った。
案の定というかなんというか、この先生はほんとすぐに口車に乗る。
「ちょっと待ってください先生
そもそも先生たち付き合ってないですよね?」
優愛の邪悪な笑みを横目に、わたしは説得するようにそう言った。
「え?あぁ確かにぃ…………浮気じゃないのかぁ」
先生はなぜか上の空な態度になって腕を組んでそう言った。
「でもでも!あの先生にクリスマスの用事があるなんて!どっかの女とイチャコラしてそうじゃないですか?」
決してあの先生のそう言う想像はつかないが、なぜかその言葉に乗り回される廣瀬先生はやっぱり不安そうになって「それは、そうかもぉ」とまぁた弱弱しく海に泳ぐ一匹の鰯のようにつぶやいた。
「廣瀬先生ー
あの、高橋先生に女がいるとことか想像できっか?」
「いや、でも、一応男性だしぃ、ねぇ?」
「ねぇ?じゃないです
そもそも廣瀬先生の誘い断ったこと自体あの先生からは想像つかないんですし」
「んー確かに」
なぜか優愛側の意見に翻りそうな先生にすかさずわたしは水を差して少し話題をそらした。
それに気が付いた優愛は随分不服そうだけど。
「で、どうすんだ?」
凛は足と腕を組んで深く椅子に座ってそう言った。
「どうってぇ?」
「諦めるのか追っかけるのかって話
そもそも先生がその話してからもう一週間は経ってる。追いかけるならそろそろ期限切れだろ」
「う…………」
かなり鋭いナイフで廣瀬先生を差す凛の言葉は、先生を黙らせるのに十分で、当の先生は胸に傷を負ったように手で押さえている。
すると、先生がいきなり「ん?」と唸って首を傾げた。
「なんで私が一週間前に高橋先生を誘ったことを知ってるんですかぁ?」
その文章に、わたしたちは再度時が止まったように瞬きを止め、・・・、なんて漫画的表現が似合う時間が少々過ぎたのち、三人で椅子から飛び降り文字通り土下座をして「「「すみませんでしたー」」」と必死に謝った。
ーーーーー
「あーだから、やたらと人がいなかったんですねぇ…………」
わたしたちはいろんな点をぼかしつつ、廣瀬先生と高橋線の二人の空間を作るために工作をしていたことを明かした。
「まぁその、いろんな手段という手段でまぁ…………」
「そこが気になるんですけどぉ」
途中のラーメン屋にセールの張り紙を張らせて何人かの先生を釣り上げたり、教室をそれなりに荒らしてみた先生が渋々直したり、まぁやってることは悪ガキのそれなので言うのはちょっとあれである。
「…………で、どうすんだよ」
凛が一つ咳払いをしてからまた話を再開した。
「追いかけるかどうか、かぁ…………」
先生は首を曲げて斜め下を眺めながら言う。
「人には秘密の一つや二つくらいあるものです
できる限り誘いたいですけどぉ、無理に詰めることはしたくないですね」
曖昧な返答だが、それでもまだ誘うという勇気を持っているところは先生らしい気がする。
秘密。なんて言葉に少し動揺したのかもしれないけど、わたしたちはその返答に満足して、同時に立ち上がった。
「じゃぁ先生。これ」
「なんです?」
優愛はポケットから一枚のチケットを取り出して渡した。
「もしも寂しかったら来てください。うちのクリパ」
赤と緑の随分かっこいい招待状を受け取った廣瀬先生は「ええ、ぜひ」とほほ笑んだ。
わたしたちはそのまま準備室を後にした。
あの高橋先生が誘いを断るのはどう考えても不自然だ。
でもなんだか、そこにずかずかと踏み込んでいくのは私達がやること時じゃない気がする。
きっとそれはあの二人が自分たちで解決するべき溝だ。




