第七十五話 悩んでも仕方がない
「…………はめたな」
「てへぺろ」
木曜日。久しぶりに平日の影の家に来ていた。
すでに十月に月が替わった森は、少し色づき始めていたのには驚いた。
何やら夜西さんが今日図書室を開けてくれなかったらしい。
久しぶりの放課後in影の家。影はソファでぐったりしている。
ちなみにはめた、というのはグループのことだろう。
「…………怒」
「怒って口で言う人初めて見た…………」
おこ、とか、いかり、ならまだいいが、怒。
そう来たかと私はちょっと感心した。
…………てへぺろってうざいけど、死語なのかな。急に不安なんだけど。
「なんか先週、ずっと笑ってるなと思ってたら、やっぱ企んでたな…………」
「ちょっとね
星ちゃんを見習おうかと思って」
「星みたいなやつが増えたら、俺が壊れるわっ!」
では、今回は優愛と私の二人がいるので、それはもうボロボロなこととなるだろう。
「…………案外楽しいかも、影からかうの」
「ホントにやめろ」
影はそう言ってクッションに顔を沈めた。
ここの所初対面が多かったので、少しメンタルがぶれているらしい。
「そういえば、優愛と面識ありそうだったね
私の話以外にも」
「あー、まあ少しなら
別に最近だし、しゃべってもいねえけど」
「へ~」
やはり会ったことあったのか。
優愛の反応から少し思っただけだったけど、本当だったらしい。
どこで会ったのかは聞かないようにしておこう。
「今日って夜西さんに追い出されたんだっけ?」
「言い方悪いけどな」
「なんか用あるのかな」
「想像つくだろ?」
「…………明さんか~」
「ああ」
よく考えればそうだ。
確か、体育祭で少し進展があったんだっけ。
「あの二人、よく考えたらすごいよね」
「何が?」
「学校一の美少女と、学校一の陽キャってとこ?」
「ああ…………」
二人とも、方法は違えど有名人だ。
このコイバナはそれなりの大きな話であることを再認識できる。
「夜西さん、ほんと美少女というか…………なんかアイドルみたいな」
「ね
肌は白くてすべすべだし、眉毛も長いし、髪は藍色で、顔もかわいくて、雰囲気は夜の女王…………みたいな」
どんなケアをしているのか聞いてみたいが、そこで高級なコスメを紹介されると困るのでなかなか聞けない。
「前も、クラスの男子が『放課後に時間ありませんか?』みたいな口説き文句言って、無事撃沈されてたな」
「それ聞くとほんとに女王様みたい」
夜西さんに特異な雰囲気と魅力があるのはわかるけど、同時に何をされてもぶれないような、そんなようにも見える。
実際はかなり可愛げのある子だったけど。
「明さんもすごいよね
ずっと人が寄ってきてるし、結構おてんばで陽キャというよりギャル的な感じ?
男子だけど」
「まあ、そうだな…………うん」
影の返事が含みがある。
やはりもともと知り合いということで思うところがあるのだろうか?
「なんかあるの?」
「いや、別に大したことないけど
あいつ、夜西さんのことどんくらい知ってるんだろって、思っただけ」
「フーン」
夜西さんのことを知る。というのがどれだけ大変か、私にもわかる。
友人関係?知らない。
家族?知らない。
他にもたくさん。夜西さんの情報は足りていない。
だからこそのあの性格なのかもしれないけど。
ーー明視点ーー
「…………」
放課後。
俺は夕日の光が当たらない図書館の前で立ち尽くしていた。
今日は平日唯一の部活の休日。
つまり、夜西さんに誘われた図書館へ足を運べる数少ない一日である。
この日を逃すなんてことはない。
が、どうやって入ろうかは分からない。
「ん~~…………」
俺はそのまま顎に手を当ててうなった。
ずっと頭の中で響き続けた言葉がある。
主人に言われたことだ。
どの自分で関わるのか。
俺はどうするべきなのだろうか。
本当の自分を曝け出してしまうべきだろうか。
それとも無理してでも、あの人が見ている自分を見せるべきだろうか。
ああ、悩ましいというよりも正解がないことに足が震えてくる。
どうすればどんな未来があって、自分はどんな顔をしてそこに立っているのだろう。
想像がつかないのは当たり前だ。そうじゃない。怖いのはもっと罪な話だ。
どうすれば、夜西さんを傷つけない?
「すぅぅ…………」
俺は息を吸ってから、その扉に手をかけた。
もういい。どうせこの中に入るのは確定しているんだ。
なら入って、その時自分がどんな反応をしたのか。それを正解にしてしまおう。
「っ…………!」
ガラガラっと、俺は扉を開けた。
中は電気が付いていなくて、代わりにパソコン一台の画面の光と強く真横から指す夕日の赤が中を照らしていた。
「ん…………ん…………」
カウンターに一番近い棚に夜西さんは居た。
夜西さんはヘッドホンをつけながら、本を一冊棚の上段にいれようとしていて、身長がなかなか届いていない。
俺は扉を静かに閉めて夜西さんのもとに歩いて行った。
夜西さんの後ろに立って俺は手を差し伸べた。
「ここ、です………かぁ?」
本をとんと押して入れてあげると、夜西さんは随分びっくりしたようですぐに横にステップしてしまった。
少し警戒してから俺の顔を見た夜西さんはヘッドホンを下ろして、首を振って髪を整えた。
甘く記憶に残る匂いがする。
「あ、ありがと…………」
「…………は、はい!
どういたしまして」
いつもとは違って、髪をいじりながら幼気に言う夜西さんに、少し動揺しながらも俺はそう返事をした。
「「…………あの」」
最悪だ。被ってしまった。
言いたいことを一つ言えれば今日は大成功だと思っていたのだが、それにこんな試練が…………!
「先いいぞ」
「いや、そっちこそ…………」
すると、夜西さんはぎゅっと本を抱きしめた。
後ろにはカーテンが涼しい軽い風で靡いている。
「じゃあ…………
これからも、毎週来てくれるか?」
「…………もちろん、です!」
なんか敬語をつけてしまう。
これじゃ影様の前の俺よりになったな。まあ、受け入れてくれるのなら別にいいか。
「そうか…………」
若干、夜西さんの変わらない表情に嬉しさが見えるのは気のせいだろうか?
いや無いな。
「そっちはなんだ?」
「え、いやぁその」
俺と言いたい内容が被ってしまって「同じです」なんてこっぱずかしくて言えない。
俺はふと本棚を見た。
「あの、本見てもいいのかなって
…………下校時間くらいまでとか?」
そう言うと夜西さんはカウンターのほうにゆっくり歩きだした。
「大丈夫だ」
夜西さんはそのまま椅子に座って抱えていた本を読み始めた。
俺も目についた本を手に取って立ち読みを始めた。
「あの、毎週この曜日にしか来れないん、ですけ……ど」
向こうの顔を見るとちょっと不満そうだった。
「…………敬語止めますか?」
「…………好きにしろ」
「わかった、こうだな
夜西…………さん」
夜西さんはそれでもうれしそうだ。
本を読みながら思った。
さっき、俺は自分を二つに分類したが、よく考えればどちらも余所行きではないだろうか。
主人に見せる顔と友人に見せる顔。ならば自分に見せる顔は何なのだろう。
人がたくさん顔を持つなら、俺は夜西さんのために顔を作ろう。
そしていつか、個性がどこかに着地することを願って居よう。
結局俺は下校時間まで図書館にいた。
夜西との下校は、ちょっと尚早だろう。




