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56. 図書館

ルーカス→瑞希視点


瑞希の体調が回復した翌日。俺は瑞希と朝食をとった後、ある片付けを済ませて王城から帰って来たところだった。


(ああ、本当に自分の愚かさに嫌気がさす)


苛立ちにくしゃりと前髪をかき上げる。

片付けてきたのはーーある侍女の記憶だ。

今更贖罪にもならないが、花祭りの日離宮の掃除に来た者の記憶を盗み見て、当日客室周辺の掃除をした人物を特定した。たかが情報収集の為にデートに付き合っただけの名前もうろ覚えの女の記憶を見れば、悪意を持って瑞希の菓子を捨てた事が分かって目の前が真っ赤になった。

記憶の中で、こんな俺の為に一生懸命にお菓子を作ってくれていた瑞希の姿を思い出すと、何度目ともしれぬ後悔で胸が締め付けられる。

俺は殴りつけたくなる気持ちを抑えて、何か喚いている女から俺の記憶を有無を言わさず抹消した。また可笑しな考えを持って、瑞希に対して何かしでかさないとも限らないからだ。

こんな女を腕にぶら下げて瑞希の前に立っていた自分に吐き気がする。その時の瑞希の傷ついた表情を思い出すと、自分を殴り殺したくなった。


そんな事を考えながら離宮へ帰り着いた俺は、ちょうど本を抱えて出かけようとしている瑞希を見つけ目を見開いた。

たくさんの本を抱えてヨタヨタと歩いている様子に、慌てて駆けつけ小さな背中を支える。


「ミズキ!」

「あ、ルーカスさん」


俺を見て花のように綻ぶ瑞希の笑顔に、俺は愛おしさで笑み崩れそうな顔面をなんとか抑えて口を開く。


「まだ病み上がりなのにどこに行くの?」

「あ、えと、王立図書館です。……その、私はまだ、誰も犠牲にならずに歪みを消滅させる方法を見つけられてなくて……。だからせめて少しでもたくさんの資料に目を通したくて」


へにょりと眉を下げて瑞希は小さく笑った。苦労を苦労とも思わずに、当然のことのように言う瑞希に、たまらない気持ちになる。

瑞希の記憶を見て知っていた。彼女が、一人で街に行くのを怖がっていることを。当然だ。半獣人の子供を守るためにあんなに大人数に責められて、石まで投げられたのだから。誰も味方のいない異世界で、それはどれだけの恐怖だっただろう。

庇うことも、守ることも出来なかった過去の自分の愚かさに俺は拳を握りしめる。


「街に行くなら……どうして、俺を呼んでくれなかったの?」


心配から責めるような響きになってしまった俺の言葉に、瑞希は申し訳なさそうに眉を下げた。


「あ、あの、ごめんなさい。私なんかの用事に付き合わせてしまうのは、申し訳なくて……」


しゅんと俯いてしまった瑞希に、俺はハッと顔色を変えて慌てる。


「ち、違う!ごめん!ミズキを責めたかった訳じゃないんだ。……本当に、ごめん。自分のあまりの不甲斐なさに、八つ当たりしてしまっていた」

「……え?」


俺は瑞希の手元からすっと本を取り上げると、彼女にそっと手を差し出した。


「一緒に行こう。これからは、どんな小さな用事だっていいから俺に声をかけて。瑞希以上に大切な用事なんて、この世にないんだから」

「……はい。ありがとうございます、ルーカスさん」


瑞希が笑ってくれた事に安堵した時、アンナ嬢の『干渉しすぎる男は嫌われますよ』との絶対零度の声音をふいに思い出してしまい真顔になる。さっと血の気が引いて慌てて言い添える。


「あ、で、でも、瑞希が嫌な時とかはちゃんと言ってね」

「ふふ、嫌なんて思いませんよ」


頬を染め、おかしそうに笑って俺の手をとってくれた瑞希にぎゅっと愛おしさが溢れる。彼女が名前を呼んでくれるだけで、ただの記号だった自分の名前が特別な物になったように思えた。彼女の小さな手を握る権利を今手にしている事が、奇跡のようだ。

どうして今まで、彼女を一人にしていられたのか理解できない。こんなに可愛い女の子が街を一人歩きしていて、今まで誘拐されなかったのはそれこそ奇跡だ。

……まだ俺に頼れないのだって、当然だ。今まで俺は、散々瑞希を傷つけてきた。ミズキはずっと、たった一人この世界で耐えてきたのだ。


(甘えてほしい?違うだろ!変わるべきは俺の方だ。瑞希が俺に頼ってくれるように、もっと俺が頼り甲斐のある男にならなければ)


どうすれば、瑞希にもっと安心して頼ってもらえるだろう?どうすれば、彼女に報いることができる?俺の持つ全てを差し出しても、到底釣り合うとは思えなかった。この世のどんな宝石だって、彼女の笑顔の輝きには霞んでしまう。彼女が望んでくれるなら、俺は何を投げ打ってでもその望みを叶えるだろう。


(どうすれば、ミズキをもっと笑顔にしてあげられるだろう。何をプレゼントすれば、喜んでくれる?)


今まで何人もの女と付き合ったことがある癖に、俺の頭は最適解を弾き出してはくれなかった。だって、何もかもが違うのだ。適当に付き合ってすぐに記憶から消す者たちと、絶対に嫌われたくない、命より大切な唯一の女の子。比べることすら烏滸がましかった。




***



私の歩調に合わせながら、優しく手を引いてくれるルーカスと図書館に向かいながら、私は先ほどのルーカスの様子を思い出していた。


(迷惑かけないようにしたかったけど、結局心配をかけちゃったな……)


歪みを消滅させるというルーカスの一番大切な願いを遮り、私は彼に生きてほしいと願った。そして、ルーカスは私の願いに頷いてくれた。それは、私にとって奇跡みたいに嬉しいことだった。それだけでも幸せなことなのに、ルーカスはかいがいしく私の体調を気遣ってくれて、たくさんの優しさをくれる。私の料理をとても嬉しそうに食べてくれるのも、とてもとても嬉しかった。


あなたのくれる優しさに、少しでもみあう自分になりたくて。もっと、あなたの役に立てる自分になりたくて――。


そう考えて、いつものように一人で図書館に行こうとしたのだけれど、ルーカスに見つかって心配をかけてしまった。


「ミズキ、こっちに」


ルーカスが私の肩を自分の方へ引き寄せる。私がいたすぐ横を、後ろから大柄な男性が走って通り過ぎていった。

私が通りで誰かにぶつからないよう、さりげなく守ってくれるルーカスの胸に抱き留められて頬が熱くなる。


「あ、ありがとうございます」

「うん」


優しく笑顔を浮かべてくれるルーカスに、とくりと心臓が跳ねる。

とても大切にしてくれているのは分かっている。私なんかには、もったいないくらい。だからどうしても、私は彼が犠牲にならないで歪みを消滅させる方法を見つけたいのだ。まがい物の聖女である私でも、できる事があると信じたかったから。

そんな自己満足のような行動にルーカスを付き合わせてしまっていいのかと申し訳なく思いながらも、繋がれた手の温もりがあまりにも優しくて、私は自分から手を離すことはできなかった。



たどり着いた王立図書館は、蔦が周りを覆う古い石造りの神殿のような大きな建物だ。この国で発行された全ての蔵書が収容されており、今は滅んだ王国の資料も保管されている。特定の魔術や歪み関連の資料には閲覧制限があり、許可証を持ったものでないと書庫に入れないようになっていた。


私が資料を返した後で魔術関連の資料棚へ行くのに、ルーカスもついて来てくれる。魔術関連の書庫は一番奥まった場所に位置しており、ほとんど人もやってこない場所だ。

私の隣で本の背表紙を見ているルーカスに、私はおずおずと口を開く。


「あの、ルーカスさんはここの資料の内容なら全て知っているんじゃないかとは、分かっているんです。でも、私にはこんな事しかできなくて」


何のヒントも見つけられていない自分が情けなくて言い訳のようにそんなことを口にすれば、横を歩いていたルーカスが立ち止まって私と瞳を合わせた。窓からの木漏れ日に輝く金糸の髪が近づいて、大きな手が私の頬に優しく触れる。


「そんなことない。どれだけミズキが俺たちの為に頑張ってくれていたのか、俺は知ってる。無駄な事なんて、何一つないよ。これからは、二人で一緒に探そう。一緒に、生きられる道を」

「っ!はい」


真っ直ぐに届けられた言葉に、目頭が熱くなる。

本当はずっと、不安だった。

いくら資料を読んでも今まで何の手がかりも掴めなくて、自分のしていることは間違っているんじゃないかと焦りばかりが心を苛んでいく。それはまるで、出口のない真っ暗闇の中を彷徨っているみたいだった。

だけど今、真っすぐな翡翠の瞳が道しるべのように私の闇を照らしてくれる。歪みの消滅方法を知っても、ルーカスは私と一緒に生きられる方法を探してくれると言ってくれたのだ。それが何よりも嬉しかった。


「あ、あの、私、転移魔術についての本で少し気になっている記述があって……」


また泣いてしまわないよう、照れ隠しのように以前読んだ資料を手に取ってルーカスに開いて見せる。手書きの木簡を乱雑にまとめたような古い資料なのだが、他のとは異なった理論で書かれていて疑問に思っていたのだ。


しかし該当箇所を指さして顔を上げると、驚きで固まるルーカスの顔があった。


「ルーカスさん……?」

「……ミズキは、この文字が読めるの?」

「え?」


不思議なルーカスの問いに、私は首を傾げる。


「は、はい。召喚された時から、こちらの文字は読めるようになっていましたから」

「この文字も?初めから?」

「?はい」


この国の文字はまるで記号のような文字列で全く規則は分からないのだけれど、頭の中で自動的に日本語の意味と結びついて読み解くことができた。この木簡の文字も、少し変わった記号が使われているとは思ったのだけれどいつもと同じように読むことができる。


「――これは、古代ディエナ語。今じゃ、この国では古代語の専門家でなければ読むことは出来ないんじゃないかな」

「え⁈」


ルーカスの言葉に、私は驚く。この世界に来た時から全て自動的に読めるようになっていたせいで、違う言語だとは思ってもみなかったのだ。

ルーカスは、自分の荷物の中からとても古そうな木簡を取り出して私の前に差し出した。


「ミズキ、もしかしてこの資料のタイトルも読める?」

「は、はい。『ラーナフィスの変遷』です」


読んだままを伝えると、ルーカスは真剣な表情で何かを考え込んだ後、私を見つめて口を開いた。


「これもまた、二千年前に滅びた国の言語だよ。資料が少なすぎて、俺も解読出来てない。

――どうやらミズキは、この世界の言語ならすでに滅びたものであっても関係なく、全ての文字を読み解くことが出来るみたいだ」


ルーカスの言葉に、私は驚きで目を見開いたのだった。



いつも読んでいただきありがとうございます!そしてあまり更新出来ていない現状が誠に申し訳なく……_:(´ཀ`」 ∠):現在あまり執筆時間が取れない状況なので、しばらくお休みさせてもらって、まとまった時間が取れるようになる来年3月からまた更新を再開させていただこうと思います。

いつも読んでくださっている読者の皆様にはお待たせしてしまい本当に申し訳ありません(>人<;)また3月にお会いできると嬉しいです!

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