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22. 街(1)


ルーカスたちが帰ってきてから数日。私は眠い目を擦りながら、本を抱えて離宮の廊下を歩いていた。


(今日も、目ぼしい記述は見つからなかった……。次は魔術関連の本も見てみた方が……)


ふらふらしながら歩いていた私の腕を、その時誰かが掴んだ。


「ヒっ」


大きな手にとっさにパーティーでラングに触れられた事を思い出してしまい、私は怯えたように体を縮め振り返った。


「やあ、聖女様。ふらふらしてたけどどうしたの?」

「……ルーカスさん……」


振り返った先にいたルーカスの姿に、私はほっと安堵の息をつく。かすかに震える手を隠すと、私は笑顔をつくって彼に向き直った。


「あ、ありがとうございます。大丈夫です、ルーカスさん」


こうして二人で話すのは、パーティーの時以来だ。私は少し緊張しながらも、丁寧に頭を下げてずっと伝えたかった感謝を告げた。


「……あの、この前のパーティーでは、助けていただきありがとうございました」

「別に、一応護衛の仕事をしただけだよ。ところで、聖女様は街へお出かけかな?」


まるで何事もなかったかのようなルーカスに、私は安堵しながら返事をする。


「は、はい。そうです」

「ずいぶんこっちの世界に馴染んだみたいだね、聖女様」


ルーカスの言葉に、私はあいまいな笑顔を浮かべた。

王宮の外へ出るようになったと言っても、いつも離宮と王立図書館の往復しかできていない。街の様子を見てみようかと足を向けたことはあったけれど、大勢の人々の行き交う通りの中に一人で立つと、途端に私がこの世界にたった一人であることをまざまざと実感させられてしまう。それ以来、いつも街は足早に通り過ぎるだけだった。


「聖女様には今度は是非ハーリア領にも来てほしいなぁ。皆が厳しい環境でも、助け合って生きている良い場所だよ」


ニコニコニコ。笑いながらそう言うルーカスだが、そんなハーリア領の人たちを救う手段を持ちながら隠している私を責めているのが分かる。私はそれでも、笑顔を浮かべて「はい、是非」と答えた。みんなと一緒に辺境伯領に行ってみたい。それは、本当のことだったから。



***



王立図書館への道すがら、私は今にも降り出しそうな厚い雲に覆われた空を眺めた。


(また、嫌な顔、させちゃったな)


先ほどの私の笑顔に小さく眉を寄せたルーカスの表情を思い出し、私はぎゅっと胸元の本を抱きしめる。街の店の窓に、この空のように暗い表情をした女が映っている。


(家でも、学校でもそうだった。さっきまで笑顔で話していた人たちが、私を目にすると嫌そうな表情をする。ルーカスさんも、嫌な思い、させちゃったかな……)


せめて『瑞希』のようにいつでも笑顔でいようと思っても、なかなか上手くいかなかった。


トボトボと歩いていると、道の端で人が集まっているのに気が付いた。なんとなく目を向けた私は、ハッと息を呑む。

その中心に、紺色の頭を抱えてうずくまる幼い女の子が見えたのだ。


「どうしたんですか!」


私はとっさに体が動き、女の子を庇うように前に出た。その小さな体は、かわいそうなほど震えていた。


「おい姉ちゃん、そいつは“混ざりもの”だぜ。生意気に店で買い物をしようとしていたから躾けてやったんだ」


にやにや笑う店の男。見回せば、周りの人々も咎める事なく見世物のように見物している。まるで、これが当然のように。

どうにもできない悔しさと悲しみの感情にグッと唇を噛む。今にも殴られると思っているのか体を縮こまらせる子供を抱きしめる私の腕も震えていた。


『私は、いつか半獣人と人間が手を取り合える世界を作りたいのです。そのためにも、この地を魔獣から守ってみせます。きっといつか、この国の人たちも分かってくれる』

リヒトの明るい笑顔を思い出す。そして、それを優しく見守るルーカスの表情も。


半獣人の、ハーリアの人たちを救う手段を隠匿する私に、彼らを咎める資格なんてない。分かってる。

ウィスタリア侯爵のパーティーで散々半獣人の人たちの悪口に同調した私が、何をと言われるかもしれない。分かってる。


――それでも、私は今までの我慢が決壊したかのように悲しみの渦に囚われて、口を止めることが出来なかった。


「……どうして、ですか?どうして、半獣人というだけで、彼らを傷つけることができるんですか?」


私の言葉に、ニタニタ笑っていた彼らは白けたような冷たい顔を私に向ける。


「チっ、なんだ、お前も“混ざりもの”か?」

「……いいえ、私は人間です」

「人間がなんで“混ざりもの”庇ってんだ?頭おかしいのか?」


バカにしたような男に、私は立ち上がって向き合った。


「ハーリアの人たちは、命を懸けてこの国を魔獣から守ってくれているんですよ」

「当然だろう。それがあいつらの役割だ」

「確かに、半獣人は人間より力も強くて、魔力も多いです。でも、傷つけば痛いし、心も痛みます。おんなじ、人なんです。それでも、この国を守るために戦ってくれているんですよ⁈」


私は少しでも伝わってほしくて、願うようにそう口にした。


『こんな歪んだ世界になってしまったのは、歪みのせいだよ』

人間からの差別に悔しげに唇を噛むリヒトにそう言ったルーカス。彼は、全ての責任は歪みを作り出した自分にあると思っている。そんなことないと、誰かに言ってほしかった。ルーカスやみんなが、なんの憂いもなく笑い合える世界になってほしかった。


しかし、返ってきたのは私への敵意と怒声だった。


「半獣人と俺たち人間を同じ人だと⁈ 」

「ふざけるな!」


誰かから投げつけられた石が額にあたり、強い痛みが襲う。じくじくとした痛みと、額から流れるぬるっとした感触が現実を突きつける。

怖かった。

考え方が違うのは、世界が違うことも、文化も、生き方も違うのだから仕方がない。私の方が異端なのは分かってる。それでも、同じ世界に生きて、同じ言葉を話して、笑い合える人同士のはずなのに、どうしてここまで傷つけることができるのだろう。


この痛みは、きっとハーリアの人たちが受けてきた痛みの一欠けらにもきっと及ばないんだろう。みんなは、もっと苦しい思いをして戦い続けている。


「お願いです……」


私は、震える声を絞り出す。


「お願いだから、彼らを、傷つけないでください……!」


降り出した雨が、涙と共に私の頬を滑る。


「うるせえよ!」


激昂した男が腕を振り上げた。私は痛みに備えてぎゅっと目をつぶったけれど、その時届いた雷鳴に振り下ろされそうだった腕は空を切った。



「――おい、おっさん。これ以上手を上げるようなら、お前の上に雷を落としてやろうか」



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