第97話 夜の闇に魔王はチョロいと笑う。
病気に冒された村をザガートが救うと、住人が歓喜の言葉で一行を迎え入れる。命を救ってくれた英雄を全力でもてなしたい気持ちになる。
村は飲めや歌えのドンチャン騒ぎになり、広場では祭りが行われて、集会所では宴会が行なわれた。うまい酒と飯を食らい、歌を唄ってダンスを踊る。子供達は楽しそうに表通りを駆け回る。
長い苦しみから解放された喜びを皆で分かち合う。彼らにとって村を蝕む呪いが消えた事は、それほど大きな感動だった。
宴会が一段落して、誰もが寝静まった晩……時計の針が十二を指した頃。
村の外れにある人気のない原っぱに、一人の女性が立つ。
女性は物憂げな表情を浮かべたまま、村の外をぼーっと眺める。夜の空気は肌に突き刺さる程度には冷たかったが、考え事に没頭していた女性は気にも止めない。
一陣の突風が吹き抜けて、着物の裾をバサバサと揺らす。時折隙間から覗かせる太腿が、艶めかしさを際立たせる。
「こんな場所で、一人で考え事か?」
和服を着た女性……鬼姫が物思いに耽ていると、背後から男が声を掛けてきた。声に反応して女が後ろを振り返る。
「……何じゃ魔王、お主であったか」
男の姿を目にして、鬼姫がそっけない返事をする。見知った人物である事を確認すると、興味無さげに元の方角へと向き直る。再び考え事に没頭する。
ザガートはズカズカと歩いていって彼女の隣に立ち、同じ方角を眺める。しばらく相手に付き合うように黙り込んでいたが、やがて思い立ったように口を開く。
「……村の子供達と遊んでいたな」
鬼姫が人間の子供と馴れ合っていた事を指摘する。住人に胴上げされていたザガートだったが、彼女の動向を遠くから眺めていた。
「お前を信用しない訳じゃないが、万が一にも人を襲う可能性を考慮していた。それが杞憂に終わって本当に良かったと思っている。敢えてヒト族に付き合ってくれた事、俺から礼を言わせてもらいたい」
心の中に不安材料があった事、それが払拭された安堵の気持ちを声に出す。最後は人間に心を開いた事を深く感謝する。
「……この村はおかしな連中ばかりじゃ」
鬼姫がボソッと小声で呟く。下を向いていたため表情は読み取れないが、苛立っているようにも、落ち込んでいるようにも見えた。
「我が元いた国では、人間と鬼は争うのが当たり前じゃった。見かければ即殺し合いになる。どっちかが先に手を出す次元の話ではなく、互いに相手を心の底から憎み、消し去りたいと願っておった。我が生まれるよりずっと前の代から、争いは続いておった。我はそれが当たり前の事じゃと思っておった」
東の国でヒト族と鬼が一触即発状態にあった事を明かす。もはや対話して分かり合う事は不可能であり、どちらかが滅びるまで争うしか無かったという。
「じゃが、この国の連中はどうじゃ? お主の仲間というだけで、たったそれだけの理由で、ヒト族は妾を受け入れてしまいおった。一目でニンゲンではないと分かる我を……たくさん人を殺してきた我を、まるで家族のようにッ!!」
顔を上げて夜空に浮かぶ月を眺めると、村人に受け入れられた戸惑いを口にする。目にうっすらと涙が浮かんで、瞳を潤ませており、今にも泣きそうになる。
「こんな気持ちになったの、生まれて初めてじゃ。我は……我はもうどうすれば良いか分からぬ。分からぬのじゃ……」
苦悩の言葉を吐露すると、その場にしゃがみ込んでうずくまる。自分ではどうすれば良いか答えが見つけ出せず、立ち往生したように塞ぎ込む。これまでとは真逆の対応を取られた事に、心が揺らいだのが窺える。
ヒト族の少女に懐かれた事は、彼女にとってはよほどショックが大きかったようだ。何しろ今まで持っていた価値観全てを否定されたのだから。
「鬼姫……」
葛藤を抱え込んだ女の姿を見て、ザガートが深刻な面持ちになる。しばらくじっと彼女を見ていたが……。
「鬼姫……お前、案外チョロいな」
そう口にしてププッと噴き出す。想定外の女の甘さに思わず顔をニヤつかせた。
「なっ……!!」
魔王に笑われて鬼姫が顔を真っ赤にする。胸の奥底から急に恥ずかしさがこみ上げてきて、穴があったら入りたい心境になる。自らのプライドを穢された気がして、目の前の相手に対する激しい怒りが湧く。
「魔王、貴様ッ! よくも……よくも妾を侮辱しおったな! 許さん、絶対に許さんぞ! 我がこうして真剣に悩んでおったというのに! だいたいこういう話は、本来であれば魔王である貴様の役目であろうが! バカモノ!!」
すぐさま立ち上がると、罵詈雑言を早口で喚きながら、魔王の頭を両手でポカポカと殴る。微妙にメタフィクションな台詞を吐いて、人に心を開くのは魔王の役目だと指摘する。
魔王は女の言葉に一切反論しない。殴られても痛くないので、相手のなすがままにさせる。満面の笑みを浮かべたまま、頭をポカポカ叩かれ続ける。
夜の原っぱで、二人が微笑ましいやりとりをしていた時……。
「……ムッ!?」
魔王が突如言葉を発して、村の外へと振り返る。それまでの穏やかな雰囲気から一転して、真剣な表情へと変わる。
鬼姫も魔王が何かに気付いたのだろうと察して、殴るのをやめる。男が見ているのと同じ方角に目をやる。
二人の視線が向けられた草むらがガサガサッと音を立てて揺れた後、足音が物凄い速さで遠ざかっていく。足音の主が去った後、元の沈黙が訪れる。
(偵察用のゴブリンか……俺達が村にいる事を、上司に報告しに行ったようだ。転移魔法を使ったのか、途中で気配が消えている。俺の追跡を逃れる対策をしていたとは、なかなか優秀な密偵のようだ)
ザガートが足音の主に思いを馳せる。後を追うための形跡を消された事を悔しがりつつ、相手の優秀さに舌を巻く。
「今日はもう遅い……そろそろ寝るぞ」
そう口にしてマントをバサッと閉じると、宿のある方角に向かってカツカツと歩く。男の背中は敢えて多くを語らなかったが、明日の戦いに備えてゆっくり休めと言いたげなのが伝わる。
「……ああ」
鬼姫もまた魔王の真意を汲み取り、彼の後に付いていく。そうして二人は宿へと戻っていった。
◇ ◇ ◇
村の前にそびえ立つ山……その頂上にある、大きな岩場。
背丈六メートルを超す巨大な人影が、大股開きでドガッと岩に腰掛ける。夜の闇に覆われていてハッキリと姿を見る事は出来ないが、二本の角とコウモリの羽を生やしており、シルエットだけでデーモンだと分かる。
山に棲む魔物のボスであろうと思われる悪魔の前に、一匹のゴブリンが早足で駆け付ける。他の個体と異なり、忍者のような格好をしている。
「……貴方様の見立て通り、ヤツらは村に来ていました。カフカ様がお敗れになられた話は、どうやら本当だったようです」
ゴブリンは片膝をつくと、魔王一行が村を訪れた事を伝える。それにより魔王軍の幹部がやられた噂が真実だった事を付け加えた。
「グフフッ……ソウカ……ヤツガ村ニ……」
ゴブリンの報告を聞いて、大きな影がニヤリと笑う。同胞が敗れた事を知らされても焦る様子は無い。それどころか魔王が近場に現れた事を喜んですらいる。
「待ッテロ、異世界ノ魔王……必ズヤ貴様ニ、深イ絶望ト苦痛ヲ味アワセテヤル……グフッ、グフフフフッ……」
大きく裂けた口元からダラダラと涎を垂らしながら、不気味な笑い声を発するのだった。




