第86話 廃墟の決闘
ゼタニアの町から北に二キロ向かった場所にある、神殿跡地の廃墟……そこにギースはいた。戦闘に使う道具がぎっしり詰まった袋を、紐に腕を通してリュックサックのように背負い、鞘に収まった一振りの剣を左腰に挿す。女神像の後ろには台座に固定したボウガンが配置されており、準備は万端だ。
ズボンのポケットから懐中時計を取り出して見てみると、約束の時間まであと二、三分といった所だ。
(……コイントスで運命でも占うか)
待っているのが退屈になり、暇潰しに占いをしようと思い立つ。懐中時計をポケットにしまうと、今度は一枚のコインを取り出す。表に数字が、裏面に女性の顔が書かれている。
ギースはコインを指で弾く。垂直に宙を舞ったコインがくるくる回転しながら、彼めがけて落下する。ギースはそれを右手の甲で受けた瞬間、サッと左手で隠す。
(表が出たら俺様の勝ち、裏が出たらヤツの勝ち……どうだ!!)
心の中で叫びながら左手をどける。右手の甲を見てみると、コインは表を向いていた。
「フン……こんなモンに未来を委ねるようじゃ、どのみち先は無ぇ」
吐き捨てるように言いながら、コインをポイッと投げ捨てる。占いで良い結果が出たにも関わらず、何故か不機嫌になる。本当は悪い結果が出て欲しかったのか、それとも占いにすがる自分が急に馬鹿らしく思えたのか……。
投げられたコインは地面をコロコロと転がっていき、裏面を上に向けて倒れる。そこに現れた一人の男がコインを拾い上げる。
「時間通りに来たつもりでいたが……待たせてしまったか?」
男はそう言いながらコインをポケットにしまう。
頭に悪魔の角を生やし、黒いマントを羽織り、三人の女性を連れた長身の若い男性……紛れもなくギースがここに来る事を待ち望んだザガートに他ならない。
「待っちゃいねえよ……ただ遊んでただけだ。それよりここに来たってこたぁ、俺の誘いを受けてくれるって考えて良いのか?」
魔王の疑問に傭兵が笑いながら答える。詫びる必要は無い旨を告げる。
男の背後に仲間の女性がいたのを見て、一対一の決闘する意思があるかどうか聞いて確かめる。
「案ずるな……勝負は約束通り、一対一で執り行う。彼女達はただの見届け人だ。勝負には一切手出しさせない」
ザガートはそう口にすると、合図を送るように左手をサッと横に振る。彼の指示を受けて、ルシル達が十メートルほど後ろに下がる。
「……ありがてえ」
懸念が払拭された安心感でギースがニヤリと笑う。
二流の暗殺者ならここで彼女達を人質に取ろうと考えただろう。ギースも相手が魔王でなければ、そうしたかもしれない。
だが彼は魔王のこれまでの戦いの記録を映像で見ている。その中には少女を盾にしたケセフが一瞬で首を撥ねられたものもある。人質を取るような小細工が通用しない事は百も承知だ。
ギースは鞘から剣を抜いて構える。敵の方を向いたまま、間合いを詰めるように数歩前へと進んで、ピタッと止まる。
ザガートはその場から動こうとしない。腕組みして相手を睨んだまま突っ立っている。来るなら来てみろと言わんばかりの態度を取る。
両者は数メートル離れて向き合ったまま一歩も動かない。慎重に相手の出方を窺うように静止している。瞬き一つしない。
ビデオの再生を止めたように固まったまま時間だけが経過する。渇いた風がヒュウッと吹き抜けて、砂埃が宙に舞う。
そのままいつまでも固まっているかに思われたが……。
「行くぞ、魔王ッ! 人間サマの底力、見せてやるぅぅぅぅううううううーーーーーーーーッッ!!」
先に口火を切ったのはギースの方だ。戦闘開始の合図とばかりに大きな声で叫ぶと、正面の敵に向かって全速力で駆け出す。近接戦の間合いに入ると、両手で握った一振りの剣を高々と振り上げて、魔王の頭上に振り下ろす。
振り下ろされた剣の刃が魔王の額に当たると、ギィンッ! と大きな金属音が鳴って弾かれる。ダイヤモンドの壁を斬り付けたような感触を覚えて、剣を握る男の両腕がビリビリと痺れる。
反撃を恐れた男が慌てて数メートル後退する。それを見てザガートが鼻で笑う。
「どうした……底力を見せるのでは無かったか?」
相手を嘲る言葉が口を衝いて出た。威勢良く斬りかかったにも関わらず掠り傷すら付けられなかった事に、お前の力はそんなものかと皮肉を込めた口調で挑発する。
「まだだッ! まだ俺は本気を出しちゃいねえ!!」
ギースはそう叫ぶや否や、背中の袋からオレンジ色の液体が入ったガラスの瓶を取り出す。瓶の蓋を開けると、中の液体をゴクゴクと飲み干す。空になった瓶をポイッと投げ捨てる。
直後男の体がドクンドクンと脈打って、眩い金色のオーラに包まれた。
「全能強化と同じ効果がある魔法の薬……ハイパードリンク! これで五分の間、俺の能力は十倍に底上げされたッ! ザガート! これで貴様の首を取る!!」
薬の効果を包み隠さず教える。自身の能力が底上げされた事を教えて、敵を仕留める事を宣言する。
「うおおおおおおおおッ!!」
勇ましく吠えると、魔王に向かって全速力で駆け出して一気に間合いを詰める。
「うららららららららぁぁぁぁああああああーーーーーーーーッッ!!」
腹の底から絞り出したような大声で叫ぶと、両手で握った一振りの剣を目にも止まらぬスピードで振り回す。音速を超える速さで振られた剣が魔王を何度も斬り付ける。そのたびにキンキンキンッとけたたましい金属音が鳴る。まるで銅像を削る作業をしているようだ。
何十回、いや何百回斬っても魔王には傷一つ付かない。それどころか相手を侮辱するように腕組みしたまま笑っている。
魔王は戦いが始まってから一歩も動いていない。直立不動の姿勢で、相手のなすがままにさせている。さながら子供のケンカに付き合う大人のようだ。
それでもギースは一歩も引かない。いつか手傷を負わせられると信じているのか、それとも何か考えがあるのか、ただがむしゃらに剣を振り続ける。
その光景がおよそ一分ほど続いた後……。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
剣を振る男の腕が止まる。口で激しく呼吸して、全身に滝のような汗がブワッと噴き出て、疲労困憊したようにガクッとうなだれる。
剣を握る手がプルプル震える。体力が底を尽きたのが一目で分かる。
「……フンッ!」
ザガートは敵を小馬鹿にするように鼻息を吹かすと、左脚で膝蹴りを繰り出す。ドグオッと鈍い音が鳴り、男の腹に膝小僧がめり込む。
「うっ……うぼぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーっっ!!」
ギースが滑稽な奇声を発しながら後方に吹き飛ばされる。強い衝撃で地面に叩き付けられると、横向きにゴロゴロ転がる。魔王に背を向けて寝転がったままピクリとも動かず、気絶したようにも見える。剣は吹っ飛ばされた拍子に彼の手元から離れていた。
……これまでの流れで、魔王が優勢である事を疑う者はいなかった。




