第78話 ケルベロス死す
ザガートの攻撃魔法によって息絶えたケルベロスだったが、新たな姿を得て蘇る。亡霊という霊体の不死属性になった事、魔王軍十二将の一人であった事を明かす。
ケルベロスは最高ランクの即死魔法を唱えて命を奪おうとしたが、魔王には全く通用しない。並みの冒険者には脅威となる呪法も、彼にとっては子供の遊びにしかならない。
ザガートは敵が張り巡らせた地獄結界を消失させて自らの力を知らしめると、全力で魔獣を討つ事を宣言するのだった。
「ゲヘナの火に焼かれて、消し炭となれ……火炎光弾ッ!!」
敵に手のひらを向けて即座に攻撃魔法を唱える。魔王の手のひらから煌々と燃えさかる梨くらいの大きさの火球が放たれて、魔獣めがけて飛んでいく。
火球は上級の悪魔が一撃死するほどの威力だ。魔王はこれで勝敗が決したと思った。
だが男の予想に反し、火球は魔獣の体に触れると、そのままスゥッと通り抜けてしまう。犬の背後にある虚空へと飛んでいき、ボンッと音を立てて消失する。
「何ッ!?」
ザガートが一瞬驚いた顔をする。眉間に皺が寄り、無意識のうちに下唇を噛む。
想定と異なる結末になった事に困惑したあまり、危うく取り乱しそうになり、冷静さを保つのに必死だった。
魔王が呆気に取られていると、男の動揺した姿を見てケルベロスがニヤリとほくそ笑む。敵に一杯食わせた喜びで胸が躍り出す。
「フハハハハハハハハァッ! 霊体トナッタ俺ニハ、アラユル攻撃ガ通ジナイ! 物理攻撃モ、属性魔法モ、全テダッ! ドンナ攻撃ダロウト、俺ノ体ヲ風ノヨウニ通リ抜ケル!!」
敵を嘲るように大きな声で笑う。優位に立った嬉しさのあまり、自らの特性をベラベラと喋りだす。あらゆる攻撃に対して無敵になった事を明かす。
「唯一ノ例外ハ、悪霊ヲ浄化スル力ヲ持ッタ光魔法ノミ! ダガ、ザガートッ! 魔王デアル貴様ニ、光属性ハ扱エマイ! 即チ、貴様ニ俺ヲ殺ス手段ハ無イ! コノ戦イハ、最初カラ俺ノ勝チニ決マッテイタノダ!!」
光魔法だけが唯一自分に通用する手段だと教える。相手を煽るように挑発的な言葉を浴びせた。
敢えて自分を殺す方法を口にしたのは、魔王には『それ』が出来ないと踏んだからだ。それしか無いと分かっていても、それが出来ないもどかしさを味あわせて、悔しがらせてやろうという思惑があった。
「フフフッ……そうか。光魔法なら通用するのか」
だが魔獣の思惑に反し、ザガートがニタァッと笑う。表情は悪魔のように邪悪な笑みに染まり、不気味に口元を歪ませた。下を向いたまま「クククッ」と声に出して笑った後、顔を上げて氷のような眼差しを相手に向ける。ギラギラした狼のような瞳は、敵に対する淀みなき殺意に溢れる。
敵を倒せないもどかしさを抱く素振りは微塵もない。それどころか、悪い企みを胸に抱いたような邪悪さすら漂わせる。何らかの解決策を見つけたであろう事は一目瞭然だ。
「悪しき魂よ……聖なる光に焼かれて浄化せよッ! 不死破壊ッ!!」
敵に手のひらを向けて魔法の言葉を唱える。直後魔王の手のひらから眩い輝きを放つ光線が発射された。光線は手のひらよりも大きくなり、近未来のSFに出てくる極太レーザーのように太くなる。
一直線に放たれた光線が命中すると、ケルベロスの体が巨大なオーラのような光に包まれる。すると彼の体を構成する炎が、消化器を噴射されたように鎮火していく。
「グッ……ウガァァァァアアアアアアーーーーーーッッ!!」
浄化の光で焼かれる苦しみに、ケルベロスが悲痛な声で叫ぶ。全身を引き裂かれるような激痛を味わったのか、体を何度も地面に打ち付けて激しくのたうち回る。目をグワッと見開いて、口からは涎を垂らして発狂寸前になる。霊体だという事を忘れてしまいそうだ。
痛みから逃れようとするように、ミミズのように全身をくねらせて悶える。無論そんな事で魔法の効果が切れる筈もなく、彼の体はどんどん分解されていき、最後は首から上だけが残る。
「何故……何故魔王デアルオ前ガ、光属性ノ魔法……ヲ……」
口惜しそうに言葉を吐くと、最後に残った頭も分解されて塵も残らず消滅する。
魔獣を浄化すると、彼を包んでいた光が役目を終えたように消えて無くなる。
ザガート達はまた敵が復活するかもしれないと思い、しばらく様子を見たが、今度ばかりは何も起こりそうに無い。魔獣が立っていた場所にただ草が生えた地面があるだけだ。風がヒューーッと通り抜けて草をカサカサと揺らす音は、戦いが終わった事を否応なく悟らせた。
更にそれから数秒が経過すると、魔獣が死んだ地点の頭上に青い光が集まっていく。光は凝縮されて一つの宝玉を形作ると、ゆっくり落下していって魔王の手元に収まる。眩い光を放つガラスのような半透明の球体に、蟹座の紋章が刻まれていた。
それは大魔王の城に行くために必要な十二の宝玉のうちの一つだ。今回四つめを入手した事になる。
(たわけめ……そもそも蘇生術が光属性の最上位階魔法だというのに、それを使える俺が不死破壊を使えない道理が何処にある? 人語を解した所で、しょせん犬は犬か……)
ザガートはケルベロスの判断の甘さを心の中で指摘すると、手のひらに収まった宝玉をサッと懐にしまう。敗北を招く結果となった敵の愚かさをありったけの言葉で侮辱した。
宝玉を手にしたザガート達一行が、山の麓へ下りようとした時……。
「……ムッ!?」
異変を感じた魔王が慌てて足を止める。一行が後ろを振り返ると、ケルベロスが死んだ地点に、白い玉のような光がボワァッと浮き上がる。それは次第に大きくなっていって魔獣と同じ大きさまで膨れ上がった後、バァンッ! と音を立てて破裂する。そして百を超える数の小さな光に分裂した。
中心に人間の顔が浮き上がったその光は、霊体であろうと思われたがスペクターのような邪悪さは感じられない。しばらくフワフワと現世に留まるように浮かんでいたが、魔王を見て感謝したようにニッコリ笑うと、成仏したように天へと昇っていく。
(そうか……ケルベロスに殺された者は、肉だけでなく魂までも捕食される。今までヤツの体の一部となり、現世に縛り付けられていた者が、ようやくあの世に旅立てたというのか)
ザガートは一連の光景を目にして、何が起こったかを即座に理解した。魔獣の餌となり、永遠に醜い化け物の血肉になり続ける責め苦を負った者達が、その苦しみから解放された事を心から喜ぶ。死後十二時間が経過したため蘇生させる事は叶わなかったものの、それでも彼らに感謝された事に内心満更でもない気持ちになる。
ザガートが満足感に浸っていた時、天に昇っていた無数の魂のうち一つが、魔王めがけてすっ飛んでくる。成仏するのを慌てて取りやめたような挙動不審さがあり、落ち着きなくジグザグと飛び回る。
明らかに他とは違う動きをするその魂は、魔王の前まで来て止まると、ゆっくりと口を開く。
「ザガートォォ……俺はまだ半日経っちゃいねえ。お願いだぁ……俺を生き返らせてくれぇ」
野太い男の声で情けない言葉を漏らす。魔王はその男の声に聞き覚えがあった。
光の中心に浮かび上がる男の顔……虎のような髭を生やした、むさ苦しい中年男の面構えは、紛れもなく盗賊ガンビーノのものだ。ザガートに即死魔法を掛けられて慌てて逃げ去った彼であったが、ケルベロスの血肉に成り果てていた。
最初は顔だけだったガンビーノの霊は、半透明に透けた上半身の人型へと姿を変える。下半身はフェードアウトしたように消えたままだ。
(フーーム……)
ザガートは男の頼みを聞いてしばし思い悩む。もし彼が悪事を働こうとした為に死んだのではなく、反省したにも関わらずケルベロスに襲われて食われたのだとしたら、憐れむ余地はあると考えた。
生き返らせてやってもいいか……一瞬そんな言葉が頭をよぎりかけた時。
「お頭ぁーーっ……」
ガンビーノの後ろにいた九つの魂が、恨めしそうに名を呼びながら彼の方へとやってくる。一緒にケルベロスに食われた彼の子分であろうと思われた。
「お頭、ズルいですよ……いつもアンタばっか抜け駆けしようとして」
「俺達が死んだのはアンタのせいだ」
「アンタがあの女を犯そうなんて言い出すから、俺達は体が砕けたんだ」
「俺達はアンタを絶対に許さねえ……」
口々に不満の言葉を吐く。即死魔法が発動する引き金となった首領の無責任さに心底嫌気が刺し、この事態を招いた責任を取らせようとした。
部下達が首領を問い詰めた会話によって、彼らが悪事を働こうとした為に死んだ事実も明白となる。
「いや……あの……その……」
ガンビーノがみっともなく言い訳しながら後ろを振り返ると、魔王がゴミを見るような眼差しを向ける。約束を破った彼らに愛想を尽かしたようにため息をつく。
「失せろ……二度と俺の前に顔を見せるな」
ザガートは腹立たしげに吐き捨てると、ハエを追い払おうとするように手をシッシッと振る。男の頼みを聞き入れる気が無くなった事は火を見るより明らかだ。
「………」
ガンビーノは魔王の言葉に反論できず黙り込む。悪事がバレた以上、とても食い下がれそうにない。どうしても生き返る事を諦めきれず、しばらくその場に留まっていたが、最後は観念して魔王の側から離れていく。
ガックリ肩を落としてショボくれたまま天へと昇っていく男の後ろ姿は何とも哀れだ。これが散々悪事を働いた者の末路なのか……そう思わせるものがあった。
彼の子分達も後を追うように天へと昇っていき、その場にいた全ての魂が成仏する。後には太陽が燦々と照り付ける山の大地が広がっていた。
「いつまでもこんな所に居ても仕方がない……先を急ぐぞ」
ザガートはそっけなく口にすると、スタスタと早足で歩き出す。見るからに不機嫌そうな顔をしており、一連の出来事に苛立ちを覚えた事は一目瞭然だ。
一刻も早くこの場から立ち去りたい……そんな心情が読み取れた。
「あ……ああ」
レジーナ達はそんな魔王に掛ける言葉が見つからず、黙って彼の後についていく。それぞれ思う所はあったが、男の怒りを鎮められるとは思えず、ただ歩き続けるしかない。
四つめの宝玉を手に入れたにも関わらず、一行にとっては何ともスッキリしない一日となった。




