第77話 ケルベロスの新たな形態
ケルベロスが死ぬと、三人の少女が魔王に向かって駆け出す。
「ザガート様、やりましたねっ!」
「さすがだな、ザガート!!」
「師匠、遂にやったッスね!」
ルシル、レジーナ、なずみが思い思いの言葉を吐く。敵を仕留めた男の活躍を心から喜ぶ。作戦勝ちした思慮深さに尊敬の念を抱く。
ザガートも少女達に褒められて、満更でも無さそうにニッコリ笑う。
戦いの緊張が解けて、和気藹々としたムードが漂い始めた時……。
「……ムッ!?」
異変を感じた魔王が、慌てて後ろを振り返る。ケルベロスが死んだ場所に目をやると、空に散ったはずの粒子が自ら意思を持ったように動き回り、大地に降り注ぐ。魔獣の肉体と同質量の灰が降り積もった後、突然火が点いて燃え出す。
毒々しい紫に光る炎は激しく燃え上がった後、何かの形を取っていく。
「……ケルベロス!!」
炎の姿を目にして、ザガートが思わずそう口にした。
ケルベロスがさっきいた場所、そこに彼の形をした紫の炎が立っていたのだ。
かつて肉で構成された体はメラメラと燃えさかる暗黒の炎へと変わっており、より神話の『地獄の番犬』らしさを強調させるものとなっている。瞳は邪悪に赤い光を放ち、少女達を見つめたままいやらしそうにニタァッと笑う。
一連の事象は、死んだはずのケルベロスが新たな姿となって蘇った事を悟らせるには十分だった。
「我ハ、亡霊ケルベロス……魔王軍十二将ガ一人ナリ」
復活を遂げたケルベロスが自ら名乗る。名前に『亡霊』と付ける事で不死属性を得て蘇った事を強調し、魔王軍の幹部の一人であった事を明かす。
これまで獣のような唸り声しか発しなかった彼だったが、復活後はまるで知性を得たように流暢に喋りだす。
当初彼が魔王軍の幹部かどうかは、ザガートが「そうかもしれない」と思っただけで、明確な判断材料が無かった。もしかしたら、ただ地図で×印を付けた場所の近辺にいただけの、野良の魔獣かもしれなかった。
だが彼自身がそう名乗った事で、彼を倒せば四つ目の宝玉が手に入る事が確定的となった。
「蒼天ハ暗黒ニ染マリ、世界ハ地獄ヘト塗リ替エラレン……死ノ世界ッ!!」
名乗りを終えるとケルベロスが呪文らしき言葉を唱える。すると天がゴロゴロと雷のような音を発した後、瞬く間に暗雲に包まれて、太陽の光が一切射さなくなる。彼が立っていた場所を中心として、半径二百メートルの大地がグズグズに腐りだして、生えていた植物が秒速で枯れていく。辺り一帯に腐敗臭が漂い始め、空気を吸っただけで吐き気を催しそうだ。
腐った大地の隙間から、青白く光る火の玉のようなものが無数に湧き出る。それらは尾を引きながら四方八方へと飛び回る。
よく見ると火の玉の中心に人間の顔が浮き出ており、恨めしそうな表情をしている。「オロローーンッ」と声に出して悲しげに泣く。ブツブツと聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で、怨嗟の言葉を吐く。
一目で悪霊だと分かるその物体は、ザガート達を見ると生者に嫉妬したように襲いかかろうとした。
「精霊の力よ、我を守りたまえ……魔法障壁ッ!!」
ルシルが咄嗟に両手で印を結んで魔法の言葉を唱える。彼女を中心として、半透明に青く光るバリアのようなものがドーム状に張り巡らされた。
「みんな、早くっ! この中に入って!!」
バリアの中に退避するよう仲間に促す。彼女の指示に従い、ザガート、レジーナ、なずみがササッと結界の内部に身を隠す。
悪霊の群れは障壁を破ろうと試みたものの、光の壁はダイヤモンドのように分厚く、水槽にぶつかった金魚のように弾かれる。何度も諦めずに突進したが、障壁はビクともしない。
彼らの力ではバリアを破れそうにない。その事にルシルがホッと一安心する。
「これは……ッ!!」
一連の光景を目にして、レジーナが驚きの言葉を口にする。
明らかにケルベロスが唱えた魔法について知っている者の取る態度だ。
「姐さん、この変な術の事、何か知ってるんスか!?」
王女の反応が気になり、なずみが術について聞いてみた。
「ああ、城の本棚にある書物に書かれていた。魔力により特殊な領域を形成し、術者の周囲の空間を地獄へと変える、最上位階の範囲即死魔法……死の世界ッ!!」
仲間の問いに王女が答える。古代の書物で得た知識から、ケルベロスが唱えた魔法の詳細な説明を行う。
「地獄の大地からは悪霊スペクターが無限に湧き出るッ! スペクターに触れられた者は即座に命を落とし、ゾンビとなって蘇る! ゾンビに襲われた者は新たなゾンビとなり、術の効果が続く限り、彼らは永久に増えていく! かつて栄華を誇った巨大帝国が、この呪文一つ唱えただけで滅亡に追いやられたと、古の書物にはある!!」
魔法の恐ろしさを早口で語りだす。術の危険性を伝えようと必死になったあまり、口から大量の唾が飛ぶ。途中ハァハァと息が上がり、額から汗が流れ出し、顔が真っ赤になる。
「だが何よりも恐るべきは、並みの即死魔法に耐性を持つミノタウロスですら、スペクターに触れられれば命を落とす事だ!!」
最後に術の威力の高さについて、説明を付け加えた。
ミノタウロスは致死風に無傷で耐えられる強靭な肉体の持ち主だ。その彼が命を落とすという話からも、この『死の世界』という術が最高ランクの即死魔法である事が十二分に伝わる。
「……ソノ通リダ。ヨクゾ俺ノ代ワリニ話シテクレタ」
王女の説明が終わると、ケルベロスが嬉しそうにニタァッと笑う。自分に代わって術の特性を話してくれた彼女に「手間が省けた」と敵ながら感謝し、労いの言葉を掛けた。
「俺ガ解カヌ限リ、術ノ効果ハ永久ニ続クッ! 魔法障壁ハドレダケ術者ノ魔力ガ高クテモ、必ズ五分デ効果ガ切レル! ソウナレバ、オ前達ハスペクターノ餌食トナル! モハヤ逃レル術ハ無イ! オ前達全員、ココデ生ケル屍トナルノダ! ハァーーーッハッハッハァッ!!」
ルシルの張ったバリアが永久に効果を持続するものではないと指摘し、彼女達が死の運命から逃れられないと自信満々に叫ぶ。最後は自分の勝利が確定的となった歓喜のあまり、山中に響かんばかりの大声で高笑いした。
「くっ……」
ケルベロスの言葉に、ルシルが苦虫を噛み潰した表情をする。魔獣の指摘は的を射ており、一言も言い返せない。ただ相手の言い分を黙って聞き入れるしかない。
レジーナもなずみも顔をうつむかせたまま悔しげに下唇を噛む。ルシルが言い返せない以上、自分達に反論の余地など無いという思いに駆られた。
一瞬、バリアの外に出て敵を攻撃する考えが頭をよぎったが、スペクターの集中砲火を避けられるとは思えない。霊体となった魔獣に攻撃が通用する保証も無い。とても現実的な打開案とは呼べず、脳内で却下される。
ルシルも、レジーナも、なずみも、ケルベロスも、その場にいた誰もが勝敗は決したと思い込む。ただ一人の男を除いては……。
「フンッ……俺を生ける屍に出来るというなら、やってみせるがいい」
ザガートが恰好を付けるようにマントを右手で開いて風にたなびかせた。魔獣の発言を一笑に付すと、正面に向かってズカズカと歩き出す。そのままバリアの外に出ようとした。
「おいザガート、何をする気だッ! おかしなマネをするのはやめろ! いくらお前でも、結界の外に出たら死ぬぞ!!」
正気とは思えない魔王の行動に王女が血相を変える。大声で叫びながら慌てて止めようとしたが、魔王は仲間の忠告を無視して結界の外に出る。
男が攻撃可能範囲に姿を現すと、全てのスペクターが一斉に彼の方へと集まっていく。餌に群がるピラニアのように大きく口を開けて噛み付こうとした。
数え切れないほどの悪霊に呑まれた男の姿を見て、ケルベロスがニタァッと笑う。魔王が悪霊の餌食になった事を少しも疑わない。
「……!?」
だが次の瞬間目にした光景に、魔獣は心臓が飛び出んばかりの勢いで驚く。
犬の視界に映り込んだもの……それはスペクターに触れられたまま平然と立つ男の姿だった。
悪霊は男の命を奪おうと執拗に襲いかかったものの、何度体に触っても命を奪う事が出来ない。お化け屋敷の立体映像のようにスッスッと通り抜けてしまう。触れられたら死ぬという王女の話が真実なのか疑いたくなる。
最上位階の即死魔法であるはずの『死の世界』が、男には全く効いていない。それはケルベロスにとって到底受け入れがたいものだ。
「ふんっ!」
ザガートは喝を入れるように一声発すると、握った右拳を高々と振り上げて、地面に向かって振り下ろす。そのまま地獄の大地を全力で殴り付けた。
拳が叩き付けられると、地を裂くような轟音と共に山全体が激しく揺れた。すると天を覆っていた暗雲が急速に晴れていき、美しい青空が澄み渡る。
腐った大地は治癒魔法でも掛けられたように元に戻っていき、枯れた草花が瞬時に生き返る。周囲に漂っていた腐敗臭は消えて無くなり、綺麗な山の空気になる。
「オオッ……」
太陽の光が射し込むと、スペクターの群れは口惜しそうに呻き声を漏らしながら、塵も残らず消滅していく。新鮮な山の大地から新たに悪霊が湧き出る事も無い。
一連の光景は魔獣が張り巡らせた領域が消失し、地獄世界では無くなった事を容易に悟らせた。
「バッ……馬鹿ナ!?」
術の効果が消された事にケルベロスが俄かに慌てふためく。あまりに予想外の出来事が起こってしまい、頭の中がグチャグチャになり、体の震えが止まらなくなる。霊体だというのに冷や汗を掻きそうな勢いだ。
即死魔法が効かないだけでも驚きなのに、男は事も無げに地獄結界を破ったのだ。とても信じられるものでは無かった。
魔獣が動揺していると、ザガートが腕組みしながら彼の方へと歩いていく。完全に勝ち誇ったドヤ顔になっており、偉そうにふんぞり返りながらのっしのしと歩く。
「スペクターに触れられた程度で俺が死ぬと、本気で思ったのか? だとしたら随分と舐められたものだな……」
勝者の余裕に満ちた言葉を吐く。最初からこうなる事が分かっていたと言わんばかりの態度を取る。ルシル達からすれば脅威に感じる呪文も、魔王にとっては子供の児戯に等しい。焦りを抱く要素など一ミリも無い。
「ケルベロス……俺の本当の強さを思い知るがいい!!」




