第67話 毒巨人を殺す為には……。
――――ポイズン・ジャイアントが踊り始めて二時間が経過。
時計の針は既に四時を回っており、太陽が落ちて周囲が暗くなり始める。遠くの空でカラスの群れがカァカァ鳴いて、蝉がミンミン鳴く声がこだまする。辺りはすっかり夕暮れの景色になる。
三人の少女は地べたに寝そべってうたた寝したり、雑談して遊ぶ。完全に緊張感が消し飛んで、戦いに飽きたムードが漂っていた時……。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
毒巨人達が激しく息を切らす。全身びっしょり汗まみれになり、表情に疲労の色が浮かんで、下を向いたままグッタリとうなだれる。完全にスタミナが底を尽きたらしく、二時間続けていた踊りが止まる。
彼らの技を受けたはずの当のザガートは特に変わった様子が無い。男達の方をやる気無さげな表情でボーーッと見ながら、耳の穴を指でほじくったり、退屈そうにあくびをしたりする。魔力を吸い取られたようにはとても見えない。
「ハァ……ハァ……フッ……フハハハハッ! ど、どうだザガートおおおっ! 俺達の踊りで、魔力が枯渇しただろうッ!!」
先頭にいた毒巨人の長男が顔を上げて大きな声で笑う。すっかり体力を使い果たしたはずだが、表情は一仕事を終えた満足感に溢れる。
とても嬉しそうにニッコリ笑ういかついおっさんの笑顔が、額から流れる汗でキラキラ輝いており、かえって不気味だ。
「そうだザガートッ! もうこれで貴様は魔法を使えなくなった! オシマイだッ! 観念しろ、クソ野郎!!」
「潔く負けを認めて死ね! すっとこどっこい!!」
次男と三男が後に続くように喚き散らす。自分達の踊りが魔王の魔力を奪い去ったと確信して、ここぞとばかりに挑発的な言葉を浴びせる。技が効かなかったかもしれない考えは頭の片隅にも浮かばない。
「………」
ザガートは彼らの罵詈雑言に一切口を挟まない。敢えて一言も発しないまま、毒巨人の言葉にただ聞き入る。彼らのやりとりに付き合うのが馬鹿らしくなって、反論は無駄だと諦めたようにも見える。
しばらく連中の言いたい放題に言わせていたが……。
「風の精霊よ、盟約に基づき敵を狙い撃て……追尾魔法ッ!!」
やがて悪口を聞き飽きたのか、正面に手のひらをかざして魔法の言葉を唱える。魔王の手のひらから、空気を圧縮した塊のようなものが三つ立て続けに放たれて、巨人めがけて飛んでいく。
それらは側面から回り込むように弧を描いて、巨人の尻へと襲いかかる。
魔法が尻に激突すると、バァンッ! と空気が破裂した音が鳴り、軽い爆発のような衝撃が巻き起こる。
「ギャアッ!」
「グワーーッ!」
「いてえっ!」
空気の弾丸を尻にぶつけられて、巨人達が三人仲良く吹っ飛ぶ。前のめりに地面に倒れて派手にゴロゴロ転がった挙句、真っ赤に腫れ上がった尻を両手で摩ったまま涙目になる。かなりの屈辱を与えたと思われるが、致命傷にはなっていない。
巨人達が打たれ強かった訳ではない。魔王が相手をからかうためにわざと手加減した事は誰の目にも明らかだ。
「ちっ……チクショウ!! 何でだッ! 何故なんだッ! 俺達の踊りによって魔力が底を尽きたはず! それなのに、何故魔法が使える!? 何でだッ!!」
兄弟の長男が慌てて起き上がりながら、胸の内に湧き上がった疑問を口にする。男が魔法を使えた事にどうしても納得が行かず、声に出して問わずにいられない。
「そうだそうだ! 何でだ!!」
「インチキしやがって、この野郎!!」
次男と三男が一斉に野次を飛ばす。子供の口喧嘩レベルの不満をブーブー垂れる。何か卑怯な手を使ったに違いないと考えて、必死に猛抗議する。
「フゥーーッ……」
ザガートが心底呆れたようにため息を漏らす。目を閉じて下を向いたまま、ブンブンと首を左右に振る。見るからにめんどくさそうな表情になる。
「……俺の魔力がどれだけあると思っている? そこいらの冒険者をコップの水に例えるなら、俺の魔力量は海に匹敵するほどだ。仮に貴様らがその珍妙な踊りを一ヶ月休まずに続けたとしても、十分の一たりとも削れはせんぞ」
顔を上げて目を大きく開けると、自分の魔力量が底無しである事を、分かりやすい喩え話によって伝える。毒巨人達がいくら踊り続けようと、魔王の魔力を枯渇させる事は不可能なのだと、残酷な事実をありのまま突き付けた。
踊りそのものが効かなかった訳じゃない。魔力は確かに減ったかもしれない。
だがそれは山よりも大きな竜に一匹の蚊が刺した程度で、致命傷には全く届かない。どれだけ必死に頑張ろうと、決して成果へと結び付かない無駄な努力でしかない。地球から月に石ころを百回投げても届きはしないのだ。
「う……海だと!? そそそ、そんな馬鹿な!!」
毒巨人の長男がパニックに陥って声を上擦らせた。相手の魔力を枯渇できない事にショックを受けたあまり、ジリジリと後ずさる。額からは冷や汗が流れ出し、顔面蒼白になり、手足の震えが止まらなくなる。
「ドムの兄貴ィ!! どどど、どうするよ!?」
「このままじゃ俺達殺されちまうッ! もうオシマイだぁっ!!」
次男と三男が、この世の終わりが訪れたかのように絶望する。自分達が殺されるしかない未来を想像して、天を仰いで絶叫したり、頭を抱え込んでうずくまったりする。
「ばばば、馬鹿野郎ッ! 諦めんじゃねえ! 俺達にはまだ奥の手が残っている! それを使ってヤツを殺すッ! 俺達は生き残るッ! 絶望する必要なんて、何処にもありゃしねえ!!」
長男が声を上擦らせながらも、希望を失わないよう発破を掛ける。切り札を温存していた事を口にして、それを根拠として元気を取り戻させようとした。
兄の言葉で弟二人が「ハッ」と我に返る。そう言えばあれがあったんだ、と冷静に思い直して、取り乱すのをやめる。
「ザガート、我ら毒巨人族の最終奥義を見せてやるッ! とくと目に焼き付けて死ぬがいい!!」
長男が死を宣告する台詞を発すると、三人が横一列に並んで大きく口を開ける。明らかに何らかの技を放とうとするかのように、スゥゥーーーッと大量の空気を吸い込んで、胸がパンパンッに膨れ上がる。
「三重猛毒息吹ッ!!」
技名を叫ぶや否や、三人の口から毒々しい紫色をした煙のようなガスが一斉に放たれた。合流して一つの巨大な塊になったそれは、目にも止まらぬ速さで飛んでいき、ザガートを一瞬にして呑み込む。
避ける暇すら無かったのか、それともわざと避けなかったのか、男は何もせずガスの餌食になる。
「ざっ……ザガートォォォォオオオオオオーーーーーーッッ!!」
レジーナが悲痛な叫び声を上げる。魔王が毒ガスをまともに受けたのを見て、いくら彼が無敵だとしても、心配せずにいられない。
もしや魔王は深手を負ったのではないか……そんな考えが頭をよぎり、胸が激しくざわついた。
「大丈夫ッスよ、姐さん……師匠はあのくらい何ともないッス」
なずみが優しく言葉を掛けながら、仲間の背中をトンッと叩く。魔王が健在だと伝えて、王女を安心させようとした。
師匠がやられたかもしれないなどとは少しも考えない。彼ならこのくらいは平気だろう、と打たれ強さに確信を抱く。
当の魔王はガスに呑まれたままだ。毒の煙は男を包み込んだまま滞留しており、いつまで経っても晴れようとしない。モクモクとその場に留まり続ける。
その状態のまま二十秒が経過し、一向に状況が変化しない。普通の生き物ならとっくに悶え苦しんで死んでいる頃だ。
やったか? ……その言葉が毒巨人の頭をよぎった時。
突如男が立っていた場所を中心として、ブワァッと強風が吹き荒れる。それによって魔王を包んでいたガスが一気に吹き飛ばされて、視界が晴れやかになる。
魔王はガスに呑まれる前と変わらぬ状態のまま、そこに立っていた。顔色一つ変えておらず、何事も無かったかのようにピンピンしている。ふぁーーっと退屈そうにあくびをしたり、耳の穴を指でほじったりする余裕すら見せている。
常人ならば十秒足らずで死に至る猛毒を全身に浴びたにも関わらず……。
「なっ……何故だッ! 何故生きている!? 俺達の吐いた毒ガス、通称『臭い息』は、常人ならばニオイを嗅いだ瞬間肺が焼け爛れて即死する威力ッ! 万が一耐えたとしても、目が焼けて、毒に冒されて、正気を失い、あらゆる状態異常に冒されてもがき苦しむシロモノだというのにッ!!」
毒巨人達が驚くあまり騒然となる。自分達が吐いたガスの威力を事細かに伝えながらも、それに耐えてみせた魔王の頑丈さに心の底から恐怖を抱き、愕然となる。
「何故だと? フンッ、笑わせる……俺は貴様らの主たるアザトホースと互角に渡り合える力を持った、世界最強の魔王だぞ。それが今更毒だの即死だの状態異常だの、そんな次元の低い技が通用すると、本気で考えたのか?」
ザガートが腕組みして得意げなドヤ顔になりながら言う。相手を小馬鹿にするように鼻息を吹かせながら、自分が最強の魔王であると主張して、状態異常が効かない事を声高に説明してみせた。
「そろそろ貴様らの茶番に付き合うのも飽きた……これで終わりにさせてもらう!!」
戦いを終わらせる事を宣言し、毒巨人達に手のひらを向ける。
「地より生まれし者腐れ落ち、大地に還らん……致死風ッ!!」
魔法の言葉を唱えると、男の指先から黒い霧のような靄が放たれた。空気感染型バクテリアの集合体であるそれは、毒巨人達にまとわり付くと、彼らの体を目にも止まらぬ速さで分解する。
「ギャアアアアアアアアッ!!」
「ウギャァァァァアアアアアアーーーーーーッッ!!」
「アビャァァァアアアアアッ!!」
体を溶かされる激痛に悶えたあまり、毒巨人達が天にも届かんばかりの悲鳴を発する。彼らは腕や足をブンブン振って、自分達にまとわり付く黒い霧を必死に振り払おうとしたが、彼らがいくら暴れても霧は決して離れようとせず、相手を全力で捕食する。
三人の体は強酸を浴びたようにドロドロに溶けていき、瞬く間に肉も内蔵も腐れ落ちて、骨だけになる。彼らが物言わぬ白骨死体となるのに十秒と掛からなかった。
(猛毒巨人族三兄弟……決して弱い魔物とは呼べなかった。戦ったのが並みの冒険者なら、命を落とすだけの強さは十分に持っていただろう)
巨人の死体を眺めながら、ザガートが敵の強さに思いを馳せる。これまでの戦いを回想して、魔物の中では高い実力を持っていたであろう彼らに一定の評価を与える。
「だがまぁ……今回ばかりは相手が悪かったな」
その実力を上回る最強の魔王にブチ当たってしまった彼らの不幸を、ドヤ顔で憐れむのだった。




