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第65話 常識を知らない男

 アスタロトが広場から立ち去ると、それまでにぎやかだった街中が騒然となる。一瞬がシーーンと静まり返った後、間を置かずしてざわざわと騒がしくなる。魔界大公爵の宣戦布告に誰もが戦々恐々となる。

 街の人々の反応は様々だ。もう一人の転生者だという彼の力に恐れを抱く者、彼に支配される事を心配する者、ザガートならば彼を打倒してくれるはず、と救世主の勝利を疑わぬ者、いけすかないねっとり野郎だと陰口を叩き、露骨に不快感を抱く者……皆が男の話題で持ち切りだ。


 ザガートはしばらく人々のウワサに耳を傾けたが、いつまでもこのままでいては仕方ないと考えて、事態の収拾をはかる。


「仕事を中断してこの場に駆け付けた者も大勢いるだろう。ひとまず脅威は去った……各々(おのおの)がやっていた仕事に戻るといい。アスタロトは必ず俺が倒す。街に危害が及ぶ事は無いと約束する。だから安心して平和な日常を送ってもらいたい」


 両手をパンパンッと大きな音で叩いて群衆を静まらせると、普段の生活に戻るように言う。魔界大公爵の討伐を約束して、彼らに不安を与えまいとした。


 魔王がそう言うなら、と人々は彼の言葉に従い、立ち話をやめて帰路にく。広場に集まっていた群衆は蜘蛛くもの子を散らすようにワーッと離れていき、祭りが終わったように静かになる。広場には数人の町民と見張りの兵士だけが残り、アスタロトが現れる前の平穏が戻ってくる。


 領主ハウザーは群衆を解散させて騒ぎを沈静化した魔王に深く頭を下げて礼を言い、レジーナは男の冷静な対応に「さすがだな」と感心する。


「魔王様……」


 領主の娘ルカは一人不安そうになりながら、魔王のマントのすそつかむ。うまく言葉に出せないが、彼が敵に敗れる事を心配したようだ。


「何も心配する必要は無い……必ず無事に戻ってくる。それまで待っていてくれ」


 ザガートは少女の心情を察して、優しく言葉を掛けながら頭をでた。


  ◇    ◇    ◇


 一行は街の外に出ると、ガルアードの塔を目指して歩く。城門から馬車が通るための道がかれてあり、一行はそれに沿って進む。特に魔物に襲われるでもなくトボトボ歩いていると、やがてそれらしき建物が見えてくる。


「……あれがヤツの言っていたガルアードの塔か」


 ザガートが地平の彼方に見える、大地にそそり立つ巨大な塔を見ながら言う。

 平原のド真ん中に建てられた『それ』はかなりの高層建築らしく、魔王が元いた世界の『東京スカイツリー』に匹敵する高さだ。上のはしは空に突き刺さったようにも見えて、あたかも天界を支える柱のようですらあった。


「うわああああああっ! ででで、デカいッス! とんでもなくデカい塔ッス! オイラ、こんなの見たの生まれて初めてッス!!」


 なずみが上を見上げながら驚嘆の言葉を漏らす。この世界には二つと存在しないであろう超高層のタワーを前にして、興奮するあまり鼻息が荒くなる。


「一階層ずつ塔を上がって行ったら、かなり時間が掛かりそうですね」


 ルシルが途方にれたように言う。とてつもなく巨大な塔を上がっていく労力を頭の中で計算して、その重労働の壮大さにまいすら覚えた。


 今一行の前に建っているのは、ただの観光名所ではない。魔王軍の拠点であり、魔族の巣窟なのだ。中に邪悪な魔物がウジャウジャいる事は想像にかたくない。

 単に塔を登るだけでも重労働なのに、その上さらに魔物まで倒すとあっては、体力が持ちそうにない。下手すれば数日から数週間、もしかすれば数ヶ月は掛かりそうだ。


「……ガルアードの塔ッ! 今は亡き巨大帝国が、天界に到達するために建造したと、城の本棚にある書物に書かれてあった! 塔は神のいかずちに撃たれて破壊され、帝国は滅ぼされたが、ガルアードという魔王が塔を修復したとある。魔王が勇者に討伐されても塔はそのまま残り、今は魔族の拠点として使われている。その階層は全二百階ッ! アスタロトが最上階にいるというなら、ヤツはその二百階にいるという事なのだろう!!」


 レジーナが塔の成り立ちについて早口で語る。いにしえの書物で得た知識を並べ立てて、そのスケールのでかさを仲間に伝えようとした。


(フゥーーム……二百階か。とても徒歩で登っていける階数では無いな)


 王女の話を聞いて、ザガートが気難しい顔になる。あごに手を当てて眉間みけんしわを寄せたまま、「ムムムッ」と声に出してうなる。

 二百階という具体的な数字を知らされて、内心塔を攻略するのは面倒だなと思い始めた。外側から飛んでいく方法も考えたが、塔の高さをかんがみれば効率的とは呼べない。

 今後の方針について深く思い悩んだが……。


「塔の中にりし者、我にその位置を示せ……財宝探知トレジャー・サーチッ!!」


 やがて答えが決まったように行動を起こす。両手でいんを結んで魔法の言葉を唱えると、頭の中に塔の内部を映し出した地図のようなものが浮かび上がる。魔物の位置を示す赤い点らしき物体が塔の中をウロウロしており、他の色をした点は見当たらない。


(フム……塔の中にとらわれた人質や、めぼしいお宝は無いようだ……ならば!!)


 探知魔法によって内部の詳細を知ると、グワッと目を見開いてズカズカと数歩前へと進む。しばらく物思いにふけたように塔をじっと眺めたが……。


「ゲヘナの火に焼かれて、消しずみとなれッ! 火炎光弾ファイヤー・ボルトッ!!」


 正面に右手のひらをかざして攻撃魔法を唱える。直後手のひらから煌々(こうこう)と燃えさかるなしくらいの大きさの火球が放たれて、塔めがけてまっすぐ飛んでいく。最後は光る小さな点になり、見えなくなる。

 それから数秒が経過した後……。




 突如塔の根元がドガァァァアアアアアーーーーーンッ! と大きな音を立てて爆発する。まるで積み上げた爆弾に火がいたように巨大な炎が吹き上がり、火球が直撃した箇所からビシビシと亀裂が入りだす。


 塔は強風に押し負けた大木のように根元からボッキリとへし折れて、斜めに傾いたまま重力に任せて落下していく。そのまま地面に叩き付けられて砂山のようにもろく倒壊していく。落雷のような轟音が辺り一帯に鳴り響き、大地が音を立てて激しく揺れた。


「ギャアアアアアアアアッ!!」

「ドグワァァァアアアアアーーーーーッ!」

「ZAPpppppp!!」


 塔の倒壊に巻き込まれた魔物の絶叫がこだまする。中にいたのはオーク、ゴブリン、スライム……いずれも下級の魔族だ。彼らが瓦礫がれきに押しつぶされて生きていられる訳がなく、皆が無惨な死を迎える。

 魔物の断末魔の悲鳴がいくにも重なり、周囲は阿鼻叫喚の地獄と化した。


 塔が完全に崩れ落ちて、魔物の悲鳴がむと、辺りがシーーンと静まり返る。冷たい風がヒュウウッと吹き抜ける音だけが鳴り、遠くでセミが鳴いている声が聞こえる。


「………」


 レジーナ達はポカンと口を開けたままぜんとなる。一瞬何が起こったか全く理解できなかった。

 三人は誰もが塔の中に入る事を考えていた。一階層ずつ順番に上がっていく事を想定していた。それ以外の方法は頭の片隅かたすみにも思い浮かばなかった。

 だが魔王は中に入ろうとせず、事もあろうに塔そのものを破壊してしまったのだ。それを理解するのに時間が掛かった。


 しばらく呆気あっけに取られて棒立ちになっていた王女だったが、やがてハッと正気に立ち返る。


「ざっ……ザガートォォォォオオオオオオッ! おおお、お前というヤツは一体、なんて事をしてくれたんだぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーっっ!!」


 のどが割れんばかりの大声で叫びながら魔王に詰め寄る。あまりに非常識すぎる行いに、顔を真っ赤にして怒りだす。


「そうキィキィわめくな……何をそんなに怒る必要がある? 事前に探知魔法を使って塔の中を念入りに調べた。中に人質やお宝のたぐいは一切無かった。いたのは魔物の大群だけだ。だから塔を丸ごと破壊してしまっても、何も問題無かろう」


 王女の猛抗議に、ザガートが気だるそうに耳の穴を指でほじくりながら答える。教師にしかられた生徒のようにめんどくさそうな顔をしており、反省する素振りはじんも無い。自分がやった事の正しさを、根拠を並べ立てて主張する。


「まあ……それはそうなんだが……」


 魔王の言葉に反論できず、王女は一瞬納得しかけた。


「……いや、だとしても、これは無いッ! これは無いぞザガートッ! 私はこれまで世界を救った勇者の冒険の記録を、城の本棚にあった書物でたくさん読んできた! その中には困難な迷宮に挑んだ数々の戦いがしるされていた! だが塔そのものを破壊するなんて事をやらかした勇者は一人もいなかった! ザガートッ! お前はなんて非常識な男なんだッ!!」


 だがやはり納得行かず、物凄い剣幕で食ってかかる。過去の勇者のやり方を引き合いに出して、魔王が如何いかにトンデモなやり方をしたかを早口でまくし立てた。感情的になったあまり口から大量のつばが飛び、顔中汗まみれになり、呼吸が荒くなる。最後はハァハァと息を吐いて、ひざに手をついてまえかがみになる。


「当然だ……俺は勇者ではなく、魔王なのだからな」


 ザガートは腰に手を当ててふんぞり返りながら、誇らしげなドヤ顔になる。自分は魔王だから勇者と同じやり方をする必要は無いと、完全に開き直った態度を取る。


「全く……つくづくお前というヤツは」


 レジーナもすっかり怒り疲れて気がそががれたのか、説得を諦めた様子だ。彼が非常識なのは規格外であるがゆえに仕方のない事なのだと、心の中で自分に言い聞かせる。


あねさん、諦めましょうよ……師匠はこういう人なんスよ」


 なずみは「ハハハッ」とかわいたような声で苦笑いしながら、王女をなぐさめようと背中をポンポン叩く。

 ルシルは彼女に同意するようにウンウンうなずく。


 季節外れの冷たい風が、あいわらずヒュウウッと吹き抜ける。それはあたかも魔王の破天荒な行いに、天が心底あきれたかのようであった。

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