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第63話 魔界大公爵アスタロト

「おお、魔王様ッ! よくぞ……よくぞ魔王軍の手下を倒してくださった!!」


 ハウザーが感激の言葉を漏らしながら早足で駆け出す。娘の命を救うのみならず、呪いを掛けた張本人であるアーリマンを倒した魔王の偉業をねぎらおうとした。


「ムッ……待て! 喜ぶのはまだ早い! 館の外に敵が一体待ち伏せている!!」


 何らかの異変を察知したらしきザガートが、手のひらを向けて領主の言葉をさえぎる。館を取り巻く危機が完全には去っていない事を教える。


 魔王の忠告に、領主が急ブレーキを踏んだように慌てて立ち止まる。祝福ムードは一瞬にして吹き飛び、部屋の中がシーーンと静まり返る。誰も一言も喋る事なく、魔王の次の行動を待つようにゴクリとつばを飲んだ。


 当のザガートは何かを見るように天井を眺めたまま言葉を発しない。敵の気配を探っているようにも、考え事をしているようにも見える。


 しばらく眉間みけんしわを寄せて気難しい表情をしていたが……。


「……見つけたぞッ!!」


 そう口にするやいなや、突然ドアをバンッと開けて、部屋の外へ出ていく。そのまま屋敷の外へ向かって一気に駆け出す。

 他の者は一瞬呆気あっけに取られたような棒立ちになったが、すぐに正気を取り戻して、急いで後を追う。


  ◇    ◇    ◇


 ザガートが屋敷の正面にあるいしだたみの広場に出る。他の者が遅れてやって来る。

 広場にいた兵士や街の住人達は何が起こったのかとにわかにざわつく。一行がまるで何かから逃げるように館から出てくる光景は明らかに普通じゃない。兵士の何人かは執事や領主から話を聞こうとした。


 ザガートは空のある一点を敵視するような目で見ていた。

 その直後……。


「魔王軍に逆らいし愚か者どもよ、ゲヘナの火に焼かれて消しずみとなるがいい……火炎光弾ファイヤー・ボルトッ!!」


 呪文の詠唱が、その場にいる全員に聞こえるように大きな声で響き渡る。

 次の瞬間、魔王が見ていた方角の空から、煌々(こうこう)と燃えさかるなしくらいの大きさの火球が放たれた。それは地上の魔王めがけて一直線に飛んできている。


「フンッ!」


 ザガートは腹立たしげに鼻息を吹かせながら、右手のひらを空へと向ける。火球が手のひらに衝突すると激しい爆発音が鳴り、周囲に火の粉を飛び散らせた。

 火球の威力は相当のものであったようだが、魔王の手はかすかに焦げ跡が付いただけで、深手を負った様子は無い。


「フハハハハハハッ! 私の火炎光弾ファイヤー・ボルトを素手で受け切るとは、なかなかやるじゃないかッ!!」


 火球が放たれた方角の空から甲高い声が響き渡る。直後そこから黒い影のような物体が猛スピードで飛んできた。鳥の翼がある『それ』は一瞬カラスのように見えたが、よく見ると人の形をしている。


 背中に翼を生やした人物は広場の真上まで来ると、ゆっくり降下していって、一行の前にある地面へと降り立つ。着地と同時に背中の翼が折りたたまれてマントの形状に変化する。

 彼らの前に現れた者、それは頭部に悪魔のツノを生やし、黒いころもを身にまとった成人男性……ザガートと同じ上級悪魔アーク・デーモンだった。


(この男、発せられる魔力の気配が、魔族のそれとは異なる……それどころか、俺と同じ……!?)


 魔王のような姿をした男を一目見て、ザガートがかすかな違和感を覚える。魔力の質の違いによって、彼が大魔王の生み出した魔法生物ではなく、自分に近しい存在ではないかと疑念を抱く。

 あれこれ推測が浮かび上がったものの、今はそれを考える場合ではないと頭を切り替えた。


「お前がアーリマンの言っていたアスタロトか?」


 敵意に満ちた瞳で相手を見ながら素性を問う。少女に呪いを掛けたじいの上司であろうと思われる人物を前にして警戒心を隠さない。


如何いかにも……改めて名乗らせて頂こう。私は魔王軍十二将の一人、魔界大公爵アスタロト!!」


 魔王の問いに男がニヤリと口元をゆがませた。魔王軍の上位幹部である事を誇らしげに明かす。


 容姿はどう見ても魔王なのだが、魔王を名乗っていないのは、魔王軍において『魔王』の肩書きが許されるのは大魔王アザトホースだけなので、『魔界大公爵』を名乗ったのだろう……ザガートはそのように考えた。


「この野郎、よくものこのこと俺達の前に姿を現したなッ!」

めやがって!」

「やっつけてやる!!」


 二人のやりとりを見ていた街の兵士がいきり立つ。ザガートの後ろで待機していた彼らだったが、槍を手にして前に出ようとする。一人で乗り込んできた敵を数に頼って蹴散らそうとした。


「待て、かつに手を出すなッ! そいつがその気になれば、この場にいる者は俺以外一瞬で皆殺しにされる!!」


 血気にはやろうとした兵士達をザガートが押しとどめる。敵の恐ろしさを客観的に伝えて、彼らを無駄死にさせまいとした。

 魔王がそう言うなら、と兵士達は大人しく引き下がる。これまでの功績から、救世主の言葉を疑ったりしない。


「それでアスタロトとやら、一体俺に何の用だ?」


 兵士達を下がらせると、ザガート自ら用件を問いただす。

 並みの人間にはアスタロトと戦わせるべきでないと考えたが、それと自分自身が相手をするのとは別の話だ。いざとなったらこの場で一戦まじえる事も覚悟しなければならないと身構える。


「んっふっふっふっふーーーーんっ、ザガート君……僕はキミに会いたかったんだよ」


 アスタロトが急にねっとりした口調で喋りだす。一人称が『私』から『僕』に変化し、相手を『くん』付けで呼ぶ。彼自身はフレンドリーなつもりかもしれないが、相手を小馬鹿にしているようにも聞こえて、魔王は内心「気持ち悪い男だ」と嫌悪感すら抱く。


「僕に与えられた使命は、キミを抹殺する事……だが僕が今日ここに来たのは、キミと戦うためじゃない」


 アザトホースから魔王抹殺の指令を受けた事、それを実行するために現れた訳ではない事を伝える。


「ザガート君、単刀直入に言おう……僕の仲間にならないか?」


 握手を求めるように右手を差し出して、誘いの言葉を口にする。


「魔王が……魔界大公爵の仲間に!?」


 アスタロトの発言に、場が騒然となる。誘いを掛けられたザガート自身よりも、彼の周囲にいる者が驚きの言葉を発して、広場がざわざわと騒がしくなる。

 ルシル、レジーナ、なずみ、グスタフ、ハウザー、ノーラ、ルカ、そして広場にいた兵士や街の住人達……その場にいた全ての者の表情が恐怖に染まり、体の震えが止まらなくなる。


 もし魔王が敵側に寝返ったら大事おおごとだ。大魔王に匹敵する力を持つ彼が魔族にくみしたら、大魔王が二人に増えたも同然になる。そのような事になれば、人類は間違いなく滅亡する。

 決してあってはならない最悪の可能性を想像しただけで戦慄し、恐怖し、絶望せずにいられなかった。

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