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第60話 娘に掛けられた呪い

「ノーラよ、異世界の魔王様をお連れしたぞ!」


 部屋に入るやいなや、ハウザーが大きな声で叫ぶ。

 彼の言葉を聞いて、ノーラという名で呼ばれた女性がベッドのそばから立ち上がり、領主に向かって駆け出す。


「ああ、貴方っ! これで……これでルカの病気が治るかもしれませんのねっ! この時をどれほど待ちびた事でしょう……」


 感激の言葉を漏らしながら夫婦で抱き合う。最後はウッウッと声に出してむせび泣く。愛する娘が助かる希望で胸がいっぱいになる。よほど心労が重なったのか、女性の顔は少しやつれていた。


「その娘が、俺をここに呼んだ理由……という訳か」


 ザガートが一連のやりとりを見て状況を察する。

 寝たきりの少女、夫婦の会話……それらをかんがみれば、娘が不治の病におかされており、魔王にそれを治して欲しくて呼んだ事は火を見るより明らかだ。


「ええ……我々の身に何があったか、お話しましょう」


 ハウザーが重苦しい表情で口を開く。


「一週間ほど前の事……魔王軍の手先を名乗る男が屋敷を訪れました。魔界大公爵アスタロトの部下だとか。彼は私にこう言いました。街の住人の命を生贄いけにえとして差し出せ、そうすればお前達家族の身の安全だけは保証してやる……と」


 魔族の使者が屋敷を訪れた事、邪悪な取引を持ちかけられた事を教える。


「無論そんな事できるかっ! と即答で断りました。そしたら彼は腹いせとばかりに、私の娘に呪いを掛けていったのです。魔王軍に逆らう者はこうなるのだ、と捨て台詞ぜりふを吐いて……」


 相手の要求をはねのけた事、それによって娘が呪いを掛けられたと語る。


「それから娘はずっと眠ったままです。しかも日を追うごとに症状は重くなり、体は衰弱していく……古今東西の優れた医者、回復系の魔道士、有名な薬草を集めましたが、どれも効果がありません。さらに医者が言うには、このまま何の手も打てなければ、娘の命は二週間と持たないとの事」


 八方手を尽くしたものの、病気が治らない事、娘の命が長くない事を口にする。

 話が後半に差し掛かるに連れて、領主の声のトーンがどんどん暗くなる。下を向いたまま、眉間みけんしわを寄せて、苦虫を噛みつぶしたような表情になる。娘の現状に苦悩したように両肩を震わせた。


「……お願いですッ! どうか……どうかルカの命を助けて下さいッ! 無礼は重々承知しておりますッ! けれど、もう貴方様に頼る以外、他に方法が無いのですッ! ルカに先立たれてしまったら、私は……私はッ!!」


 突如顔を上げて物凄い勢いで駆け寄っていくと、魔王の両肩をつかんで、娘の治療を嘆願する。よほど必死だったのか、目をグワッと見開いた阿修羅のような顔になる。最後はズルリとすべり落ちるように床にひざをついて、声に出して泣き崩れる。

 大の大人が悲嘆にれて泣く姿はいたたまれないものがあった。


「………」


 領主の話を聞かされて、ザガートはしばし黙り込む。これまで得た情報を頭の中で整理しながらあれこれ考える。


 領主は他に手が無いと言ったが、魔王軍の要求をめば、娘の病気は治っただろう。敵は当然それを見越して呪いを掛けたはずだし、領主の頭に選択肢として浮かばなかったはずは無い。

 にも関わらず、領主はえてそうしなかった。それは愛する娘を失おうとも、民を犠牲には出来ないという気高い心の表れだった。

 魔王は内心、彼のぜんとした対応に敬意を抱く。為政者いせいしゃとしてあるべき姿だと感心する。


 今回の事件が宝玉集めに関わっているとは断定できない。だが愛する娘の病気に苦悩する夫婦を放っておけない義憤に駆られた。罪なき者が悪人に苦しめられる事があってはならないと考えた。

 何より、困窮して自分を頼ってきた者を無下むげにするのは救世主の名誉に傷が付く思いがあった。


「……出来るだけの事はしてみよう」


 そう言うと、少女が寝かされたベッドの方へと歩いていく。

 魔王が、高熱でうなされたまま眠る娘の顔をのぞき込もうとした瞬間……。


「……ムッ!?」


 突如異変を察知して、慌てて後ろへと下がる。

 その直後、少女の頭上に半透明にけた巨大な時計が浮かび上がる。立体映像か幻覚かは分からないが、直接手で触れる事が出来ない。

 時計の針は『九』を指していたが、そこから一時間進んで『十』を指す。

 すると少女の表情が一変して、「ウーッ、ウーッ」と声に出して苦しみ出す。


「娘が呪いを掛けられた時、頭上にこれが浮かび上がったのです! 時計は普段姿を隠していて、針が進む時だけ姿を表す! 針が進むたびに娘の病状は悪化する! ああ……もし時計の針が『十二』を指したら、その時ルカの命は尽きるでしょう!!」


 ハウザーが時計を指差しながら早口で説明する。娘の命を奪わんとする呪いを憎々しげな表情でにらむ。


(これは……死の宣告ッ! 時間差で発動する、高等の即死系魔法ッ!!)


 時計の幻覚を目の当たりにして、ザガートが呪いの正体に気付く。

 それは病気や毒などという生温いものではなく、確実に少女を死へと追いやる恐ろしい力だった。並の術者の仕業ではない……そんな言葉が頭をよぎる。

 思った以上に厄介な敵のようだと男は考えた。


「フフフッ……」


 魔王が考え事をしていた時、部屋のすみで小さな笑い声がした。他の連中には聞こえない、ゴキブリの足音ほどの小さな音だったが、魔王の聴覚をもってすればとらえるのは容易だ。


「そこにいるのは誰だッ!」


 ザガートは反射的にそう叫びながら、机の上にあった鉛筆えんぴつを手に取り、声が聞こえた方角に向かって投げる。

 部屋の隅へと飛んでいった鉛筆は何も無い空中でピタッと止まる。その直後、鉛筆を手でつかんだ何者かが、透明化を解除したようにスゥーーッと姿を表す。


 ワープしてきた訳ではない。その者は最初から、そこに立っていたのだ。


「クククッ……俺の居場所に気付くたぁ、なかなかやるじゃねえか……異世界の魔王サマよぉ」


 姿を現した男が不敵に笑う。透明化がバレた事に焦りを抱く様子はじんもない。手にした鉛筆を窓の外にポイッと放り投げる。


 その者は二メートルの長身だが、猫背でせ細った老人だった。不気味に目を赤く光らせており、ワシ鼻で、ひげは生やしていない。

 高位の司祭のような法衣をまとっていたが、法衣は黒く染まっており、ドクロの首飾りをぶら下げている。山姥やまんばのようにつめを伸ばしており、グワッと開いた両手を正面に突き出す。

 見た目だけなら老人の不審者に思えなくもなかったが、これまでの流れから魔族の手先である事は明白だ。


「……お前がルカに呪いを掛けた張本人か」


 ザガートが相手を敵視する目で見ながら問いただす。

 魔王の問いに、老人がニヤリと口元をゆがませた。


如何いかにも……俺はアスタロト様の忠実なしもべにして、即死魔法のスペシャリスト……アーリマン!!」

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