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第56話 その男、神か悪魔か。

 ザガートが敵を倒した余韻にひたっていると……。


「ああっ! あれはっ!!」


 レジーナが突如大きな声で叫びながら、ある一点を指差す。

 彼女が指差した方角に皆の視線が向けられると、いつからそこにたのか、人影のようなものが立つ。


 人影は大人のリザードマンの姿をしていたが、身体が半透明にけており、足が無い。この世ならざる者である事が一目で分かる。


「とう……ちゃん」


 謎の人影の姿を見て、ジャンがそう口にした。


 スライムの一件があったために、敵が化けているのではないかと誰もが身構える。だがゾルガの表情は温和で、敵意のようなものは感じられない。ザガートも敵の策略ではないだろうと判断して警戒を解く。


 ゾルガの霊らしき物体はジャンを懐かしそうにじっと見る。次に魔王の方を向いて、何かを伝えるように口をパクパク動かすと、最後は満足したようにニッコリ笑いながら、何処かに向かって歩き出す。


 彼が向かう先に仲間と思しきリザードマンの一団がいる。彼らも半透明に透けている。

 ゾルガを加えた一団は森の奥の方へと歩いていき、先頭から順番に一人、また一人と姿が消えていく。自分達をこの世にしばっていた物が無くなり、はんに旅立つ準備が出来たかのように……。


「父ちゃんっ! 父ちゃぁぁぁぁああああああーーーーーーんっっ!!」


 父の背中に向かってジャンが叫ぶ。のどが割れんばかりの声量を振り絞る。


「俺、母ちゃんのこと大事にするッ! これから何があっても、絶対母ちゃんを守るからッ!!」


 母親を守る決意を、大きな声で伝えた。


 ゾルガは後ろを振り返り、ジャンの方を見ると「分かった」と言いたげにコクンとうなずく。再び前を向いて歩き、森の闇へと消えていった。


「絶対……守る……から」


 父の去りゆく姿を見届けると、ジャンがひざをついて泣き崩れる。亡き父と再会できた喜び、今度こそ本当の別れになった悲しみ、それらが胸の中で混ざり合い、ウッウッとえつを漏らして泣く。


 ルシルは服のポケットからハンカチを取り出して、泣き続ける少年の涙を優しくぬぐう。少しでも彼の悲しみがえるようにと願いながら。

 レジーナとなずみは何とも言えない表情になりながら、二人を見守る事しか出来なかった。


(精神と肉体が切り離されてもなお、現世にとどまり続けた魂……それがスライムの死によって、ようやく解放されたというのか)


 一連の不可解な現象についてザガートが考察する。死後十二時間が経過したゆえに蘇生できない彼らであったが、それでも満足して成仏しただろう……そう思いを抱く。


「ありがとう……か」


 ゾルガに口パクで言われた言葉を、声に出して復唱する。他人に深く感謝された事に、うまく言葉で言い表せない不思議な感情が湧く。


 ふと上を見上げると、いつの間にか雨がんでおり、晴れやかな青空が広がる。木と木の間から太陽の光が差し込んでおり、森の中が少し明るくなる。何処かに隠れていたツバメの群れが、戦いの終わりを知ったように戻ってきてチュンチュン鳴く。


 それは長い間森の動物を苦しめたスライムが死に、平和が訪れた事を実感させる風景だった。


  ◇    ◇    ◇


 ザガート達が村に戻ってスライムを倒した事を伝えると、村中が歓声で沸き立つ。住人同士が感動の涙を流しながら強く抱き合い、村が救われた喜びを分かち合う。スライムの襲撃を恐れる必要が無くなった事に心から安堵し、同胞の無念を晴らせた満足感にひたる。


 ジャンの母親も息子が無事だった事に深く感激して、泣きながら息子を抱き締める。最愛の家族を救った魔王に何度も頭を下げて感謝する。

 ジャンは母親に心配を掛けた事を深く反省して「ごめん」と謝るのだった。


 その後、村が救われたお祝いと、死者のとむらいを兼ねた祭りが開かれた。

 開けた場所にキャンプファイヤーのようなき火が用意されて、全員が輪になって炎をかこむ。一人のリザードマンが村に伝わる歌をうたうと、他の者がそれに合わせて踊りだす。死者の魂が安心してあの世に旅立てるよう、村の神に祈る。


 ルシルとなずみは岩に腰掛けたまま、彼らの祭りを楽しそうに眺める。レジーナは村の男達に混じって、炎で焼いた肉をうまそうにムシャムシャと食べる。


 当のザガートは満足げな表情で祭りを眺める。自分がこの平和を取り戻した事実に胸をおどらせた。

 この平和が何者かの手によって壊される事があっては決してならない……そう思いを抱く。魔王にとって、村の住人はもはや家族に等しい存在となっていた。


 夜更けまで続いた祭りは終わりを迎え、人々は安らかな眠りにく。


  ◇    ◇    ◇


 祭りの翌日……村の入口に出発の準備を終えたザガート達が立つ。彼らを見送るべく、長老ジアラと村の住人達がいる。ジャンと彼の母親も一緒だ。


「本当に行かれるのですな……名残惜しゅうございます」


 ジアラが別れを惜しむ言葉を口にする。一行に旅の目的があり、引きめられない事は分かっていたが、それでも彼らに残って欲しいと願う。


「何も今生こんじょうの別れになる訳じゃない……いずれ世界が平和になったあかつきには、またこの地を訪れるつもりでいる。それまで待っていてくれ」


 ザガートは長老の背中をポンポン叩きながら村の再訪を約束する。残念そうな顔のじいを少しでも元気付けようとした。


「それより、本当に護衛の魔物をこの地に残していかなくて良いのか?」


 リザードマンの若者達を見回して、不安そうに問いかける。


 ザガートがこれまで救った村や城には、何かしらの『力』を残していった。それは自分が離れた後に魔族が襲来しても、攻め落とされる事が無いようにという配慮からだ。この村に対してもそうしようと提案したら、彼らは不要だと言ったのだ。


「いつまでも貴方様にばかり頼ってはいられません……何より死んでいった者達に申し訳が立たない。我々も貴方様のように強くあらねばならないと、そう決心したのです。そのために、自分達で村を守っていきたいのです」


 一人の若者が前に進み出て疑問に答える。魔王に本当の強さを教えられた事、それによって自衛の思いを強くした事を明かす。後の事は任せろと言いたげに、心臓のある左胸を握り拳でドンッと叩く。他の者も彼に同意見のようだ。


 ザガートもまた、若者の話を聞いて「彼らの意思を尊重せねばなるまい」と思いを抱く。好意の押し付けによって、村の若者達の自立をさまたげるような事があってはならないと結論付けた。


「ならば万が一に備えて、これを渡しておく」


 そう口にすると、ひもからぶら下がった風鈴のような鈴を長老に手渡す。


「もしお前達の手に負えない化け物が来たと判断したら、それを複数回鳴らせ。どんな敵が来ようと、俺が一瞬で駆け付けて皆殺しにしてやる」


 魔王に危急を知らせる道具であった事、村によほどのピンチが訪れた時は、必ず助けに向かう事を伝える。


「我々の身を案じて頂いた事、深く感謝します……これはありがたく頂戴ちょうだいしましょう」


 長老は鈴を受け取ると、魔王の気遣いに感激して何度も頭を下げる。


「………」


 魔王と村の住人が話し込んでいる間、ジャンは一言も喋らない。下を向いたまま思い詰めた表情をする。父の死からまだ立ち直れていないようにも、魔王との別れを惜しんだようにも感じ取れる。


 ザガートはズカズカと歩いていって少年の前に立つと、その場にしゃがんで、両肩に手を乗せて顔をのぞき込む。


「少年よ……そんな顔をしていると、親父が安心してあの世に旅立てんぞ」


 真剣な表情で相手の顔をじっと見ながら口を開く。


「お前がおふくろを守ってやるんだろう? だったらドンと胸を張れ」


 頭を優しくでながら、力強い言葉で少年を奮い立たせようとした。


「……うんっ!」


 ジャンが顔を上げてしっかりと元気に答える。魔王の言葉に勇気を与えられたのか、これまで抱えた不安が吹き飛んだように明るい表情になる。


「短い間だったが世話になった……この村での出来事は一生忘れはしない。お前達なら村をより良い方向に導けると、そう信じている。元気でな」


 ザガートは立ち上がって住人達を見回すと、この地の未来を彼らに託す。

 別れの挨拶あいさつを済ませると、村の外に向かってゆっくりと歩き出す。ルシル達三人の少女も後に続く。


「魔王のお兄ちゃん、ありがとう! 本当にありがとおおおおおーーーーーーっ!!」


 ジャンは大きな声で叫びながら、手を振って見送った。

 いつか必ず再会できると、強く信じて。


  ◇    ◇    ◇


 村を離れて十分ほど……一行は次の目的地を目指して、湿地帯の中をただ歩く。


 湿地帯の空気は相変わらずジメッとしたが、魔王の表情は晴れやかだ。妙にウキウキしているのか、鼻歌をうたいながらズンズンと早足で歩く。


 上機嫌な様子の魔王を、レジーナがニヤニヤしながら眺める。


随分ずいぶんと機嫌が良さそうじゃないか。少年に好かれたのがそんなに嬉しかったのか? ん?」


 わざと相手をからかうような疑問をぶつけてみた。


「……否定はしない。俺は女と子供が大好きだ。かよわいものを見ると、無性に助けたくなる衝動に駆られる」


 ザガートは王女の言葉に反論しない。照れる様子はじんもなく、「そうですが何か?」と言わんばかりに胸を張って堂々と歩く。少年に好かれて喜んでいる事実を素直に認めた姿は、いっそ清々(すがすが)しいまでに誇らしげだった。


「やれやれ……全く、一体何処の世界に女と子供を助けたくなる魔王がいるんだか」


 開き直りとも取れる男の発言に、王女が皮肉じりにため息を漏らす。子供が好きな事を隠そうともしない魔王に心底あきれたように苦笑いする。


「ザガート様は魔王勇者……魔王救世主ダークロード・メサイヤですから」


 ルシルが世間での彼の通り名を口にしながらニッコリ笑う。


「師匠はいずれ、世界全ての民をべる王になられるお方ッス!」


 なずみが自信満々な口調で言う。決して魔王をおだてようとお世辞せじを吐いた訳ではなく、彼の圧倒的な強さ、愛の深さなら、それが出来るだろうと確信している。


 ザガートは三人の会話を「フフンッ」と鼻で笑いながら聞き流す。彼女達の言葉を冗談半分に聞きながら、足を止めずに前へ前へと進む。そうして地図に書かれた三つめの宝玉がある地を目指して歩く。




 元いた世界の神ゼウスによって異世界に飛ばされ、最強の魔王となったザガート。

 人類を創造した神ヤハヴェに見捨てられた異世界。

 届かぬ祈りを神にささげ、決して現れぬ勇者を待ち続ける人々。


 このままでは死を待つしかない哀れな民に救いの手を差し伸べられるのは、自分しかいない……魔王は今回の一件によって、そう思いを強くしたのだった。

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