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第53話 デス・スライムの卑劣な策略

「あの子ったら、私がちょっと目を離したすきに……ああっ」


 少年の母親が悲嘆にれて泣き出す。ひざをついて両手で顔を覆ったまま、ウッウッと声に出して泣く。手で覆った顔から、大粒の涙がボロボロとあふれ出す。

 自分のせいで子供が死ぬかもしれないと責任を感じる。夫に続いて息子まで失ったら、もう生きていられないと深く絶望する。


「奥さん、最後に息子と別れた場所まで案内しろッ! 息子の居場所は俺が突き止めるッ!!」


 ザガートが少年の母親に強い口調で道案内を頼む。ジャンを見つける事を約束して、少しでも不安を和らげようとした。

 しばらく泣き続けた母親だったが、魔王の言葉で冷静さを取り戻して泣きむと、すぐに立ち上がって小屋の外へと歩き出す。魔王と仲間達は彼女の後に付いていく。


  ◇    ◇    ◇


 小屋を出て十軒ほど歩いた母親が、ピタッと足を止める。


「ここです……ちょっと前まで、息子はこの小屋にいました」


 そう言って、一つの小屋を指差す。

 ザガート達は母親が指差した小屋の中へと入る。


 誰もいない小屋の中を一行が探索する。何か痕跡が残っていないか念入りに調べる。

 魔王はあごに手を当てて思い詰めた表情をしながら、ある一点を凝視していたが……。


「……ムッ!」


 突如何かに気付いたように言葉を発すると、ズカズカと歩き出す。先ほど見つめていた場所の前に来てしゃがむと、何かを手で拾い上げる。

 魔王が拾ったもの……それは少年のものと思しき、動物の体毛だった。


 ザガートは少年の毛を握り締めたまま、意識を集中するように目を閉じる。


「生命のひと欠片かけらよ、あるじの位置を我に示せ……探知魔法オブジェクトサーチッ!!」


 魔法の言葉を唱えると、手に魔力を注ぎ込む。すると手の中にある物体がまばゆい光を放ち、魔王の脳内に映像のようなものが流れ込む。


「……つかんだぞッ! ジャンは南の森にいるッ!!」


 目をグワッと見開いて、少年の行き先を告げた。


「奥さん、アンタはここに残っててくれ! 息子は俺が必ず助けるッ! もうこれ以上家族を失わせるようなマネはしないッ!!」


 ザガートはすぐさま小屋の外に出ると、母親に村に残るよう指示を出す。少年が向かったと思われる森を目指して全速力で走り出した。


 ルシル達三人も急いで彼の後を追う。母親は大人しく指示に従い、その場に残る。


「ああ、貴方……どうか……どうかあの子をお守り下さい」


 ひざをついて両手を合わせると、息子が無事でいるよう夫の霊に祈った。


  ◇    ◇    ◇


 日の光が一切差し込まない、暗い森の中……ザーザーと雨が降る音だけが鳴る。木の葉が水滴をビチビチと弾丸のように弾いて、地面がグチョグチョに濡れて沼地のようになる。

 動物の気配は無く、遠くでカラスがカーカーと鳴く声が聞こえるだけだ。それがかえって不気味な雰囲気を漂わせる。


 ひとのない森を、リザードマンの少年が歩く。


(こっちだよ……こっちにおいで……)


 謎の声に導かれるがまま、声が聞こえる方角を目指してただ歩く。暗い森の中を、奥へ奥へと進んでいく。方向感覚を狂わされてもおかしくないほど同じ景色が続いたが、声に向かって歩いたため特に迷ったりはしない。


 数キロほど歩いただろうか。声が急にピタリと止む。

 少年の視界のはるか彼方に、人影のようなものが立つ。暗い森の中だったため、遠くからではハッキリとは姿が見えない。

 少年が早足で近付いていくと、次第に目視で確認できるようになる。


「ああっ……」


 そこに立っていた人物を目にして、ジャンが驚きの声を漏らす。

 声の主であろうと思われるその男こそ、ジャンの死んだはずの父親ゾルガに他ならない。


「ジャン、父さんの言う事を素直に聞いて、ここまで来たんだな。えらいぞ。ずっと父さんに会いたかっただろう……俺も会いたかった」


 ゾルガが再会の喜びを口にする。指示に従って自分の元まで辿たどり着いた息子をめる。

 息子を見る父の目は優しく、表情は穏やかだ。とても死人のそれとは思えず、本当に生き返ったのではないかすら思わせる。


「とっ……父ちゃぁぁぁぁああああああーーーーーーんっ!!」


 ジャンがたまらずに大きな声で叫ぶ。亡き父と再会できた嬉しさのあまり、胸がはち切れそうになる。目に大粒の涙が浮かんで、今にも泣きそうになる。

 感動を分かち合いたい気持ちになり、父に向かって全速力で駆け出す。


「……うっ!」


 だが二メートルほどの距離まで近付いた所で、少年の足が止まる。

 これまでいだ事が無いような強烈な悪臭を感じたからだ。それはネズミが徘徊する下水道のようなゴミめのニオイ、あるいは卵か肉が完全に腐り切ったような腐敗臭だ。一気に吸い込んだら吐き気をもよおしそうになる。


 そのような悪臭が、目の前にいる父から放たれていた。無意識に足が止まっても不思議じゃない。

 あまりの臭さに少年が鼻をつまむ。


「父ちゃん……何でそんなに臭いの?」


 思わずそんな言葉が口をいて出た。


「何故俺が臭いのか……だって?」


 少年の言葉を聞いた途端、ゾルガがニタァッと口元をゆがませた。表情は邪悪な笑みに染まり、目は獲物を見る獣のようにギラギラと輝く。大きく裂けた口からはダラダラとよだれらす。

 優しい父親という雰囲気は完全に消え失せて、目の前にいる子供を眺めながら、おいしそうに舌なめずりする悪鬼へと変貌する。


 完全にえさを見るような目で相手を見る。どう考えても、愛する息子に向けたそれではない。


 直後ゾルガの体が黒一色に染まり、ブヨブヨと不気味にうごめいた後、熱したロウソクのように溶け出す。彼が溶けた地面から、ネバネバした黒い液体のようなものが、ゆっくりとせり上がる。


「何故ナラ……俺ハ、スライムダカラサ」


 完全に姿を現した黒い液体が、そう口にする。

 それはつい先日リザードマンの村を襲ったデス・スライムに他ならない。雨に濡れて柔らかくなった地面に身を隠していたようだ。まだ以前の大きさに戻るのに餌の量が足りていないのか、昨日の戦いより一回り小さくなっている。


「ああっ……あっ……」


 父だと思っていた相手が父の仇だと知らされて、ジャンが深く絶望する。表情は一瞬にして青ざめて、歯がガタガタと震えだす。胸がきゅーっと締め付けられた感覚がして、息が苦しくなる。脳の血管がドクンドクンと激しく動いて、意識を失いかけた。

 敵に騙された事実に、目の前が真っ暗になった気がした。


 スライムの一部がグニョニョと動いて、前回同様に上半身裸のハゲのおっさんになる。口の部分がパクパク動いて言葉をしゃべりだす。


「俺ハ食ッタ相手ノ記憶ト能力ヲ取リ込ム……貴様ノ父ノ姿ニ化ケテ、口調ト声色ヲ真似ルノナンテ、オ手ノ物ダ……」


 ゾルガの記憶を取り込んだ事、それによって彼の姿に化けていた事実を明かす。


「ソレニ気付カズ、コンナ所マデ、ノコノコトヤッテ来ルトハ、馬鹿ナ小僧ダ。ギショショショ……マサカ本気デ、父ガ生キ返ッタト信ジテイタノカ? ダトシタラ、笑ワセル……」


 演技に騙されてひとのない場所へと誘い出された少年を声に出してあざ笑う。少年の父を思う気持ちを利用した卑劣な行いと呼ぶしかない。


「父ニ会イタカッタノダロウ? ダッタラ会ワセテヤルヨ……アノ世デナァッ!!」


 そう叫ぶやいなや、口を開けるように全身を大きく広げて、少年に向かって前進する。スゥーーッと地面をすべるように移動して、相手を飲み込もうとした。


「うっ……うわあああああああっ!!」


 ジャンは森中に響かんばかりの悲鳴を発すると、スライムに背を向けて全速力で逃げ出す。何としても追い付かれまいと必死だったが、少年の努力を嘲笑うようにスライムがじわじわと距離を詰めていく。敵の移動速度の方が圧倒的に速い。


「助けて、父ちゃんぁぁぁぁああああああーーーーーーんッ!!」


 ジャンがたまらずに目をつむりながら大きな声で叫ぶ。助けが来る事を神に祈る。

 その祈りもむなしく、化け物の伸ばした触手が少年に触れようとした瞬間……。


「ゲヘナの火に焼かれて、消しずみとなれッ! 火炎光弾ファイヤー・ボルトッ!!」


 呪文の詠唱と共に、何処からか火球が放たれる。

 火球が触れるとスライムの上の右半分が轟音と共に爆発して、粉々に消し飛ぶ。


「グアアアアアアーーーーッ!」


 身体が焼ける痛みにスライムが悲鳴を上げる。慌てて傷口を再生させたものの、それでも激痛の記憶が残っているのか、人型部分の表情が大きくゆがむ。敵の襲来を警戒して咄嗟とっさに後退する。


 ジャンがポカンと口を開けると、呪文の発動主と思しき男が駆け付ける。彼の後を追って三人の少女が走ってくる。


「……間に合ったようだな」


 男が安堵の表情を浮かべながら、優しく言葉を掛けた。


「キッ、貴様……ザガートッ!!」


 男の姿を目にして、スライムが名を叫ぶ。

 その男こそ、ジャンを救出するために追いかけてきた魔王に他ならない。

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