第260話 北の国の悪しき王
西大陸の北の果てに一つの国があり、バアル・ハモンという名の王がその地を治めていた。
王は民に重税を課しては、取り立てた金で享楽に耽っており、すこぶる民の評判が悪い。王のやり方に反発した善良な臣下は皆粛清されてしまい、ご機嫌取りに邁進する悪臣だけが残った。
民の王に対する怒りは激しいものがあり、何としても邪智暴虐の王を取り除かねばならないと思わせるほどであったが、王には『黒騎士隊』と呼ばれる一万の精鋭部隊がいた為、誰も手出し出来ずにいた。
王の部屋は王宮の二階にあり、二階から一階へは廊下を歩いてから階段を下りる構造になっている。一階のエントランスには大きなピアノが置かれていて、ベートーヴェンのような音楽家がクラシックの音楽を演奏していた。
その日、王がいつものように自室で女をはべらせて、酒と肉をかっ食らっていると、何者かが廊下をドカドカと早足で駆けてくる音が聞こえた。
「陛下、大変でございますッ! 重税に不満を抱いた領民が反乱を起こしました!!」
黒い甲冑を着た一人の兵隊がドアを開けて部屋へと駆け込んでくる。男は黒騎士隊と呼ばれる精鋭の一人らしく、城下で起こった出来事を報告しに来たようだ。
「フン……何を慌てておる。領民の反乱など、いつも通り武力で鎮圧すれば良いではないか」
椅子に座って偉そうにふんぞり返った、五十代半ばで髭を生やした悪人面の中年男性が、不機嫌そうな顔をしながら言う。領民が反乱を起こしたと聞いても慌てる素振りは微塵も無く、それどころか自国の民を虫ケラのように扱う。
「はっ……ですが領民をいたずらに虐げれば、ザカリアス帝国の皇帝がいずれ口を挟んでくるやもしれませぬ」
黒騎士が胸の内に湧き上がった懸念を伝える。民に対して横暴な振る舞いをすればザガートが何かするのではないかという恐れがあり、その為王の命令を実行に移す事を躊躇する。
「あの救世主気取りの若僧か……だが心配あるまい。かの国とこことは遠く離れていて、ヤツには全く関係が無い話だ。ましてや自国の民をどう扱おうが、よその国に口出しする謂れは無い」
ハモン王が心配する必要は無い旨を告げる。あくまで自国の民を痛め付けるだけであって、他国には何の迷惑も掛けていないから干渉される謂れは無いと強気に出る。
「余の剣と鎧を持って来いッ! かくなる上はワシ自ら陣頭指揮を取り、反乱に加わった者共を一人残らず斬り殺して、川沿いに素っ首を並べて見せしめとしてくれようぞ!!」
暴徒の鎮圧を決断すると、配下の黒騎士に武具を準備するよう命じる。自ら表舞台に立ち、反乱分子を皆殺しにすると強い口調で宣言する。
部下が用意した甲冑を着て、自身も黒騎士の姿になる王。何としても暴徒を鎮圧してやるぞと激しく息巻いて、ガニ股になってのっしのしと歩きながら部屋から出ようとした時……。
「シャーーーーッ!!」
ドアの陰に潜んでいた一匹の蛇が大声で吠えながら王へと襲いかかる。
蛇は王の右足のふくらはぎにガブリと咬み付くと、とても蛇とは思えないほどの猛スピードで床を這って移動し、窓の隙間から建物の外へと逃げ去る。その逃げる速さは尋常ならざるものがあり、さながらビデオを早回ししたかのようであった。
「ギャァァァァァァアアアアアアアアーーーーーーーッ!!」
右足を蛇に咬まれた王が、この世の終わりと思えるほどの絶叫を発した。前のめりに地べたに倒れると、ゴロゴロと廊下を転げ回りながら激しくのたうち回る。咬まれた傷口を両手で押さえながら「痛い、痛い」と何度も叫んだが、やがて糸が切れた人形のように動かなくなる。
「陛下、大丈夫ですかッ! 陛下ッ! 陛下ぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーッ!!」
動かなくなった王を見て慌てた黒騎士がすぐさま駆け寄る。王が着ていた甲冑を脱がせて肌着だけにすると、心臓がある左胸に耳を当てて心音を確かめようとしたが……。
「し……死んでる!!」
黒騎士がそう叫んだ瞬間、ピアノを演奏していた音楽家が、ジャジャーーンデンデン!! と死のメロディを奏でた――――。
ハモン王が死んだ急報がもたらされると、城に攻め上がる為に集まっていた民衆はすぐさま撤収し、王国に平和が訪れる。民は邪智暴虐の王が取り除かれた事に歓喜し、夜通し祭りをして喜ぶ。暴君の死を悲しむ者などいない。
王が毒蛇に咬まれて息絶えた事が王国内に知れ渡ると、人々は天誅が下ったのだろうと噂しあう。
バアル・ハモンの次にこの国の王となった人物は彼らの噂を信じ、前王と同じ轍を踏むまいと固く決意して善政を敷いたと、そう言い伝えられている。




