第259話 皇帝の采配
ザガートは王宮に戻ると、一階の廊下の突き当たりにある執務室へと駆け込む。
執務室には引き出しのある机があり、机の後ろには椅子が置かれている。机の上に書類を乗せる為の空箱が二つ置かれてあり、それぞれ『承認』『却下』と文字が書かれていた。
魔王が椅子に座ると、廊下にいた男性の兵士がドアを数回ノックしてから部屋へと入ってくる。男は高さ五十センチ以上はあろうという書類の束を両手で抱えたまま歩いていた。
「……これが本日の処理案件でございます」
そう言うや否や、書類の束を机の上にドサッと乗せる。
ザガートは鍵が掛かった机の引き出しから朱肉と印鑑を取り出すと、束の一番上に乗っていた書類を手に取る。数秒間じっと眺めて内容を精査すると、印鑑をペタッと押して『承認』の箱に入れる。次に手に取った書類は数秒間眺めはしたものの、印鑑を押さず『却下』の箱に入れる。そうして書類に一枚一枚目を通しては、印鑑を押したり押さなかったりして、二つの箱に振り分けていく。
ペタンペタン、ペタン……ペタンペタン、と不規則に印鑑を押す音が鳴り続けて、それぞれの箱に書類が積み重なっていく。魔王はかなり速読ではあったが、それでも書類は相当の量があり、全てに目を通した時には二時間が経過していた。
「本日の案件はこれで全部です。お疲れ様でした」
兵士が労いの言葉をかけて、膨大な作業を終わらせた魔王を気遣う。ペコリと頭を下げて一礼すると、『承認』の箱に乗せられた書類の束を手に持って部屋から出ていく。
魔王は次に机の引き出しから紙とペンを取り出すと、紙に何かを書き始める。書き続けながら紙に書かれた文章を声に出して読み上げる。
「ザカリアス帝国皇帝ザガート、隣国ギュッテンハイド国王ザルバドに書簡を送る……貴国が相次ぐ天候不良により飢饉に見舞われ、食糧難に陥っている事は小生の耳にも届いている。そこで不肖このザガート、貴国に食糧物資の援助を行いたいと考えている。隣国の民の窮状を一心に思っての行動であり、下心が無い事をご理解頂きたい。貴殿がこの申し入れを受けて下さる事を切に願う……」
……文章を書き終えると、四つ折りにした手紙を封筒に入れて糊で蓋をする。最後の仕上げとして封筒に署名をして判を押す。
「ブレイズ、いるか」
誰もいない空間に向かって側近の名で呼びかける。
『はっ……ここにおります』
まるで天井に隠れていた忍者のように、机の前にある床にブレイズが片膝をついたポーズのままシュタッと着地して現れる。
「この手紙を至急ザルバド王に届けてくれ」
ザガートは隣国の王に宛てた手紙を不死騎王に手渡す。
ブレイズは封筒を受け取ると、承知したと言いたげにコクンと頷いてからヒュンッとワープしたように姿を消す。一陣の突風となって駆け抜けていったようだが、窓から出たのかドアから出たのかは分からない。
一通りの用事を終わらせたザガートが窓の外を見てみると、既に太陽が沈みかかっていて、周囲の景色が暗くなり始めていた。遥か空の彼方を飛ぶカラスの群れがカーカーと鳴く声が夕暮れの景色を演出する。地上では学校から帰る子供達の姿を見かける。
「……今日はもう休むとするか」
時刻が夕方に差し掛かったのを見て、魔王は本日分の仕事を切り上げる事にした。
◇ ◇ ◇
その日の晩……時計の針が『十二』の時刻を指した真夜中。
王宮の三階にある一室で、ザガートが腰に布を巻いただけの全裸のまま、ソファーにもたれかかりながら窓の外に広がる景色を眺めていた。その部屋は建物の外側に面した壁が一面ガラス張りになっており、カーテンを開ければ街の景色が一望できる。
ソファーの手前にはテーブルが置かれてあり、何種類かの野菜や果物が籠に乗せられたまま置かれている。
魔王は夜の闇に包まれた街を一望しながら、新鮮なトマトを手に取って、皮を剥かないままかぶりついてムシャムシャと食べる。口の中にほんのり広がる甘みを堪能しながら、自分がこの街を支配下に収めた達成感に浸る。
「ザガートさまぁーーー、早くこっちに来て楽しみましょうよーーーー」
魔王が夜の景色を眺めていると、背後から気だるそうな女の声がする。
声が発せられた方角に男が振り返ると、部屋の隅に置かれたダブルベッドに四人の女が裸のまま寝そべっていた。
どうやらこの部屋は魔王のお楽しみ部屋だったようだ。ゴミ箱には使用済みティッシュが山のように積まれており、既に一度やり終えた事が窺える。
最初に言葉を発した女はルシルだ。顔を火照らせて発情した雌犬の顔をしており、両足をだらしなく開いたポーズで魔王をベッドに誘う。かつて性の悦びを知らない純朴な田舎娘であったはずの少女は、もはや淫欲に身を任せたエロ女になってしまった。
「まったく……まさか本当に一国の王になってしまうとはな。お前は本当に大した男だよ……」
レジーナが上半身を起こして魔王の方を見ながら、彼が成し遂げた偉業を褒め称える。全裸であったとはいえ口調は普段通りであり、ルシルに比べれば理性を保っているように見えた。
「師匠ほどの力があれば、全世界を手中に収める事だって可能だったはずッス」
なずみが寝そべったまま顔だけ魔王の方を見ながら言う。尊敬する師に世界の覇者となれる器があると考えており、現状はそれに見合っていないのではないかと疑念を呈する。
鬼姫は真っ先に寝落ちしており、壁の方を向いたままスゥスゥと寝息を立てている。皆の会話に参加しない。
「領土が広がれば広がるほど、王の仕事は増える……部下に仕事を分担したとしても、綻びは生じやすくなる。俺には今の領土と、世界最強になった肩書きさえあれば十分だ」
弟子が抱いた疑問に魔王が答える。領土の広さは必ずしも自身にとってプラスにならない事、自身の統治能力限界と、それによる永きに渡る政権の安定を鑑みて、今の領土がベストだと判断した事を伝える。自分が最強だと知れ渡った現状に達成感を得られた事を付け加えた。
魔王がソファーにもたれかかったまま女達と話していると、ブレイズが天井から降ってきた忍者のように現れて、男の背後にシュタッと着地する。
『我が主よ……北の小国の王が、民に対して不穏な動きを見せておる』
偵察任務によって掴んだらしき情報を伝える。
「例の国の王か……分かった、そっちの方は俺が何とかする。お前は引き続き周辺国の調査に当たれ」
魔王が報告を受けた案件について指示を出す。不穏な動きを見せた王には自分が対処する考えを伝えて、不死騎王には偵察任務を続行するよう命じる。
『はっ!!』
ブレイズが力強く返事して魔王の命令を受諾する。主君との会話を終わらせると、ヒュンッという音とともに瞬間移動したように消えて、一陣の突風となってその場から駆け抜けていく。
ザガートはソファーから立ち上がると、全裸のまま窓辺に立ちながら外の景色を眺める。顎に手を当てて眉間に皺を寄せて気難しい表情になりながら、今後についてあれこれ考えたが……。
「我が魔力よ……一匹の蛇となりて、悪しき王に鉄槌を下せ」
正面に右手をかざして呪文の詠唱を行う。魔王の手のひらから梨くらいの大きさの白い光球が放たれて、空に向かって飛んでいく。光球は長い距離を飛んだ後、地面に降り立って一匹の蛇へと姿を変える。蛇は大地をスルスルと腹這いになって進みながら地平の彼方へと姿を消す。
蛇が何処へ向かったのか……それは魔王にしか分からない。




